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今年のランニング本塁打は9本。そこにはサヨナラも。だが、60年前にクレメンテが打った1本には敵わない

宇根夏樹ベースボール・ライター
ティム・ウェイクフィールド。2010年。ロベルト・クレメンテ賞を受賞(写真:ロイター/アフロ)

2016年は、9本のランニング本塁打(インサイド・ザ・パーク・ホームラン)が飛び出した。いや、フィールドからは飛び出さなかったが、ホームランになった。

それらのうち、9月6日にダンズビー・スワンソン(アトランタ・ブレーブス)が打ったランニング本塁打は、彼にとってメジャーリーグ初の本塁打でもあった。これは、2011年のホゼ・アルトゥーベ(ヒューストン・アストロズ)や2012年の青木宣親(ミルウォーキー・ブルワーズ)らもそう。MLB.comのデビッド・アドラーによると、スワンソンは2000年以降の11人目だという。

スワンソンは4月21日にクラスAアドバンスド(A+)、4月30日にダブルA(AA)でもランニング本塁打を記録した。これらも、それぞれのクラスにおける初本塁打だ。スワンソンはダブルAからメジャーリーグへ昇格し、トリプルA(AAA)は経験していない。

8月19日にランニング本塁打を打ったタイラー・ネークイン(クリーブランド・インディアンズ)も、スワンソンと同じく2016年にメジャーデビューした。こちらは14本目の本塁打だが、場面は同点の9回裏だった。サヨナラ・ランニング本塁打だ。6月22日にはヤシエル・プイーグ(ロサンゼルス・ドジャース)も、フェンスを越えないヒットを打ち、そのままベースを回ってサヨナラ勝ちとなるホームインをしたが、打球(ゴロ)を後逸したセンターにエラーが付き、記録はシングルヒットとなった。

昨年は、7月8日の試合で、ローガン・フォーサイス(タンパベイ・レイズ)とジャロッド・ダイソン(カンザスシティ・ロイヤルズ)が互いにランニング本塁打を打ち合った。9月25日には、アーロン・アルテア(フィラデルフィア・フィリーズ)がランニング・グランドスラム(満塁本塁打)を打った。ワールドシリーズ第1戦では、アルシデス・エスコバー(ロイヤルズ)が1回裏に、初球をランニング本塁打とした。

また、オールスター・ゲームでは、イチロー(シアトル・マリナーズ)が2007年にランニング本塁打を記録している。エスコバーのランニング本塁打はワールドシリーズ史上11人目だが、イチローはオールスター・ゲーム史上初だ。その後も、オールスター・ゲームでランニング本塁打を打った選手はいない。

だが、史上最高のランニング本塁打には、今から60年前にロベルト・クレメンテ(ピッツバーグ・パイレーツ)が記録した、こちらも史上初にして現在も唯一の「サヨナラ・ランニング・グランドスラム」を挙げたい。

1956年7月25日、フォーブス・フィールド。場面は3点差の9回裏、無死満塁。クレメンテは、代わったばかりのジム・ブロスナン(シカゴ・カブス)が投じた初球を捉えた。ピッツバーグ・ポスト・ガゼット紙は「ブロスナンは1球目を投げた、内角高目に」と記している。打球はレフトの頭上を越え、フェンスに当たってセンター方向へ転がった。ブルース・マークセンの著書「ロベルト・クレメンテ:ザ・グレイト・ワン」よれば、クレメンテは三塁コーチが止める声を聞き、その仕草も目にしたが、そのままホームへ突っ込んだという。アウトカウントを考えれば暴走だ。再びポスト・ガゼット紙に戻ると「彼は滑り込み、プレートに触り損ね、それから手をラバーの上に戻して9点目を挙げ」とある。

クレメンテは240本塁打を放った。サヨナラ本塁打は4本、ランニング本塁打は9本、グランドスラムは7本を数える。サヨナラ・ランニング・グランドスラムを除くと、そのうち2種類が重なるホームランは1本もないが、1955年4月18日のメジャーリーグ初本塁打はランニング本塁打で、1957年5月11日には先頭打者ランニング本塁打を記録した。

なお、写真のティム・ウェイクフィールドがランニング本塁打を打ったことはなく、1993年に1本だけ、フェンスオーバーの本塁打を放っている。一方、418本の被本塁打には、2003年にカルロス・ベルトランに打たれたランニング本塁打が含まれている。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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