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「最も偉大なアイスホッケー選手」と「ショック・ロックのゴッドファーザー」に共通するもの

宇根夏樹ベースボール・ライター
ウェイン・グレツキー MAY 30, 1985(写真:ロイター/アフロ)

2月9日、NBCスポーツの「ダン・パトリック・ショー」に出演したウェイン・グレツキーは、少年時代に最も好きだったスポーツはベースボールで、デトロイト・タイガースの遊撃手になりたいと思っていたと明かした。グレツキーは以前からベースボールに対する想いを口にしており、ホーナス・ワグナーの「T206」カードを所有していたこともある。けれども、ここまで具体的に語るのは、もしかすると初めてかもしれない。

それに応え、タイガースはグレツキーのユニフォームを用意した。

ジャッキー・ロビンソンの背番号「42」と同じように、グレツキーの「99」もリーグ全球団の永久欠番だ。マイケル・ジョーダンの「23」はそうではない。例えば、クリーブランド・キャバリアーズでは、レブロン・ジェームズが「23」を使用している。昨年12月にレブロンが着たシカゴ・カブスのユニフォームも、背番号は「23」だった。これは、ドウェイン・ウェイド(シカゴ・ブルズ)との賭けに敗れた結果だ。その経緯については「レブロンがシカゴのユニフォームを着る日」で書いた。

グレツキーだけでなく、「ショック・ロックのゴッドファーザー」と呼ばれるアリス・クーパーも、タイガースの選手になることを夢見ていた。トム・スタントン著の「ザ・ファイナル・シーズン」には、こんなクーパーのセリフが紹介されている。「ロック・スターになるかタイガースでレフトを守るかを選べるぞって言われていたら、迷う余地はまったくなかったね。こう言っていただろう。『俺のロッカーはどこだ?』って」

グレツキーとクーパーはそれぞれ、ホッケーの殿堂とロックの殿堂に入った。彼らはベースボールにおいても、殿堂選手になれただろうか。当然ながら、その答を知るすべはない。

クーパーは1969年にデビューし、1972年に「スクールズ・アウト」を大ヒットさせた。その間、タイガースのレフトはウィリー・ホートンが守っていた。グレツキーが1979年にNHLデビューを果たした時、タイガースの遊撃にはアラン・トランメルがいた。1990年代に入るまで、トランメルはルー・ウィティカーと不動の併殺デュオを組んだ。ホートンもトランメルも殿堂入りはしていないが、オールスター・ゲーム選出は4度と6度を数え、トランメルはゴールドグラブを4度受賞した。

また、グレツキーの子供5人(娘2人、息子3人)のうち、3人目のトレバーは、2011年のドラフトでシカゴ・カブスから7巡目(全体219位)指名を受けた。カブスとロサンゼルス・エンジェルスに在籍したトレバーは、マイナーリーグで4年間プレーしたが、クラスAから上には進めず、昨年3月にエンジェルスから解雇された。その後、カナダのケベックに本拠を置く独立リーグに入団したものの、こちらも7月に解雇されている。トレバーは左投げ左打ちで、レフトと一塁を守る。まだ24歳と若い。ただ、どうやらベースボールの「ザ・グレート・ワン」にはなれそうもない。

ちなみに、トレバーは高校時代にアメフトもプレーしていた。チームのクォーターバックにはニック・モンタナジョー・モンタナの息子)がいて、トレバーはその控えだった。また、2014年3月にカブスからエンジェルスへトレードされた時は、マット・ソーシア(エンジェルスのマイク・ソーシア監督の息子)と交換された。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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