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朝ドラ『とと姉ちゃん』の舞台は、なぜ浜松なのか!?

碓井広義メディア文化評論家

『とと姉ちゃん』第1週

NHK連続テレビ小説(以下、朝ドラ)の“実録路線”が続いています。明治の女性実業家・広岡浅子をモデルとしていた『あさが来た』に続き、4月4日からは『暮しの手帖』を創刊した大橋鎭子(しずこ)がモデルといわれる『とと姉ちゃん』が始まりました。

第1週で描かれたのは、ヒロインである小橋常子の“幼少時代”です。背景となるのは昭和のヒトケタの時代で、小学生の常子は、両親(西島秀俊・木村多江)や2人の妹と共に何不自由なく暮らしています。しかし、父が結核で亡くなったため、自分が“父親代わり”を務めることを決意し、家族に宣言するという流れでした。まさに“とと姉ちゃん”の誕生です。

このドラマへの“呼び込み”となる第1週ですが、西島さん、木村さん、3人の子役たち、そして常子の叔父役の向井理さんと、メンバーはそれなりに揃っているのに、なぜかあまり盛り上がりませんでした。「日常を描く」と言えば聞こえはいいのですが、要するにエピソードが何とも平板でつまらない。

それでいて、やけに先を急いでいるみたいで、少女時代の常子にも、西島さんが演じる父親・竹蔵にも、視聴者が感情移入しているヒマもなく、2人はわずか1週間で画面から消えてしまいました。仲のいい家族から、さっさと愛すべき父親を消し去ることを目指したような印象です。

まあ、できるだけ早めに、主演の高畑充希さんをドラマの中心に置きたかったのかもしれません。であるなら、高畑さんの登場以降、このドラマが劇的に面白くなることを祈ります。

浜松は“ご当地”か?

さて、スタートから視聴していて、ずっと気になるというか、ちょっとした疑問がありました。それは物語の舞台が、静岡県の浜松になっていることです。

亡くなった常子の父(西島)は浜松の染物工場の営業部長でしたし、常子や妹も浜松の小学校(あまり描かれませんでしたが)に通っていました。第1週を見ていて、「ああ、大橋鎭子さんは、浜松の生まれ育ちなんだ」と思った視聴者は多いのではないでしょうか。

しかし実際には、大橋鎭子さんは浜松の出身ではありません。育ってもいないし、住んだこともないのです。

大橋さんの自伝的エッセイ『「暮しの手帖」とわたし』によれば、生まれたのは東京の麹町、現在のJR線・市ヶ谷駅近くにあった病院でした。だから、出身地は東京です。

父親の武雄さんは、当時の府立一中(現在の日比谷高校)を経て、北海道帝国大学を出た人物です。帰京し、日本製麻株式会社に入社すると結婚し、長女である鎭子さんが誕生しました。

2年後には、妻と幼い娘を伴って、北海道に工場長として赴任。大橋さんが最初に通った小学校も北海道です。

北海道での子供時代について、大橋さんは自分のことを、野原で一日中遊ぶ「グループの大将、ガキ大将」だったと言い、「そのころの私の無鉄砲さというか怖いもの知らずが、決心したら何としてでも実行するという、私の性格の土台になっているのかもしれません」と回想しています。つまり、北海道の風土とそこでの生活が、大橋さんの人生に大きな影響を与えたことが分かります。

やがて武雄さんが結核を患い、会社を辞めて東京に戻ることになります。療養が主な目的でした。

大橋さんは、牛込第一小学校へ。話すと北海道弁が混じるので笑われたり、勉強も遅れていて、学校に行くのが嫌だったそうです。

その後、武雄さんの入院先が変わるのに伴って、一家は鎌倉や東京で暮らしました。大橋さんは3年生で編入した大井第一小学校を卒業し、東京府立第六高等女学校(現在の都立三田高校)へと進学します。「私にとって、ここ(第六高女)は『心のふるさと』『育ての親』でした」と、母校への想いを綴っています。

というわけで、今回のドラマのヒロインが少女時代を過ごした浜松は、「架空の人物・小橋常子」の故郷かもしれませんが、「『暮しの手帖』の大橋鎭子」とは縁もゆかりもありません。

いや、もちろん、これがドラマ、つまりフィクションであることは重々承知です。ただ、『暮しの手帖』という実在の雑誌や、大橋鎭子という実在の人物にからめた“告知”が行われ、視聴者の関心を集めていたので、違和感を持ったのだと思います。

モデルとモチーフ

そういえば、制作側は大橋鎭子が「モデル」だとは言っていないんですね。脚本の西田征史さんも番組サイトのインタビューで、「モチーフ」にした、という言い方をしています。モチーフ?

モチーフとは、何かを表現するときの動機やきっかけ、着想のことです。大橋鎭子はモデルではなく、着想を与えてくれた存在にすぎない、ということでしょうか。

だから、本来なら「北海道・東京」が“ご当地”であるべきところを、「静岡・東京」としている。「どうしたもんじゃろのう~」という、“流行希望”のセリフも遠州弁になっています。北海道弁なら、どう言っていたんだろう。

同じ朝ドラでも、『まれ』のようにまったくの架空の人物なら、能登でも横浜でも、好きなように舞台設定すればいいでしょう。

モチーフとは言うものの、朝ドラ『とと姉ちゃん』にとって、大橋鎭子はモデルに近い扱いをしている実在の人物です。「どこで生まれ、どう育ったか」という人格形成に関わる事実を完全に無視した作りは、何とも不思議な感じがします。しかも、ヒロインが進む女学校も浜松になるようで、第六高女を誇りにしていた大橋さんが泉下で寂しがりそうです。

たとえば、『あさが来た』のヒロイン・白岡あさは、ドラマの中で京都の豪商の家に生まれ、大阪有数の両替屋に嫁ぎました。これは実在の広岡浅子と重なります。『花子とアン』の“ご当地”も、翻訳家・村岡花子の実際の故郷である山梨と東京でした。

今回、なぜ北海道を避けたのか、静岡が出てきたのか、イマイチよく分からない。これが、モデルとモチーフの扱い方の違いなのでしょうか。

背景には、全国各地で盛んになっている、朝ドラや大河ドラマの“誘致”合戦があるのかもしれません。ただ、“ご当地”としての浜松が、このドラマを観光事業に活用するとしても、そこにあるのは「大橋鎭子ゆかりの場所」ならぬ、「ロケ場所」でしかない。まあ、それはそれで、いわゆる「聖地巡礼」的な意味合いはあるかと思いますが。

再確認すると、この朝ドラにおいて、『暮しの手帖』も、大橋鎭子も、いわゆるモデルではなく、あくまでもモチーフである、と。だから、ヒロインの生まれ育った場所や環境も、大橋さん本人とは無関係に設定して構わない、という姿勢ですね。でも、それでいいのかなあ・・・。

前述した、大橋さんの自伝的エッセイの中に、こんなエピソードがありました。父・武雄さんの葬儀の際、小学5年生だった大橋さんが「喪主」を務めたというのです。

「母はあえて一歩引き、長女である私を前面に立てたのでした。たいへんでしたが、やりとげました。挨拶もしました。私が度胸のある人間になれたのは、小学生の頃から私を認め、立ててくれた母のおかげだと思います」

ドラマでは、先週金曜(登場から5日目)に、父親が亡くなりました。しかし、喪主どころか、葬儀のシーンさえ、ありませんでした。父が娘に遺言のような言葉を伝えたかと思ったら、「三日後、竹蔵は息を引き取りました」というナレーションが入って終わりです。

余韻を残す最期という狙いだったのかもしれませんが、“小学5年生の喪主”は、ヒロインの「これから」を象徴するエピソードだと思うのです。モッタイナイなあ、と感じるのは私だけでしょうか。モデルだとか、モチーフだとかに関わらず、秀逸な実話を取り入れなかったことは残念でした。

ドラマの成否は、脚本にかかっています。もしも『とと姉ちゃん』が、モチーフとする実在の人物や、その実人生をあまり大切にしないドラマだとするなら(だったらモチーフなど立てるな、と言いたくなりますが)、ストーリーに、エピソードに、もっと想像力を発揮していただきたい。今後、起伏に富んだ物語が展開されることを期待します。

個人的には、『暮しの手帖』を『暮しの手帖』たらしめた伝説の編集者、花森安治がどう描かれるのか、大いに興味があります。たとえモチーフであっても。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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