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テレビ観戦の夏が終わる

碓井広義メディア文化評論家

記憶の中にある、一番古いオリンピックの映像は1964(昭和39)年、小学4年生の時に見た東京大会だ。三波春夫の「東京五輪音頭」は、今でも歌詞を見ないで歌える。次のメキシコ大会はカラーテレビで見た。

それ以降のオリンピックは正確な順番も言えないが、それでも毎回テレビの前にいた。そして今回のリオも、かなりの時間、テレビ画面に目を向けた。

とはいえ、2016年の今、すでに私たちはオリンピックについてさまざまなことを知っている。それは単なるスポーツの祭典ではない。テレビをはじめとするメディアによって、劇的に演出された“メディアスポーツ”である。マーケティング戦略を駆使した”ビッグビジネス”の側面をもつ、“世界最大規模のイベント”だ。

また、トップクラスの選手にもドーピングなど薬物に依存する者がいる。そして、“平和の祭典”であるはずのオリンピック開催中も、世界各地の紛争や戦闘は止むことがない。

しかし、それらを承知の上で、「人はオリンピックに何を見ようとするのか。たぶん、私はスポーツにおける《偉大な瞬間》に遭遇したいと望んでいるのだ」(『冠 OLYMPIC GAMES』)という沢木耕太郎さんの思いは、私たちの胸の内にもある。

4年に1度という舞台に、世界中から選手たちが集まり、全力で走り、投げ、打ち、跳び、泳ぎ、舞う。その姿は、確かに、見る者の何かを揺さぶる大きなチカラをもっていた。

リオのオリンピックが終わる。テレビ観戦の夏が終わろうとしている。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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