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今あらためて考える、「SMAPの解散」とは何だったのか!?

碓井広義メディア文化評論家
SMAP最後のアルバム(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

SMAPのいないニッポン

SMAP不在の時代、もしくは“SMAPのいないニッポン”が始まって2ヶ月が過ぎました。もちろん、今も復活を望む声はあるでしょうが、元メンバーたちはそれぞれの“現場”で、それぞれの取り組みを行っています。

また、昨年末から今年始めにかけて複数の関連書籍が出版されました。それはSMAPというアイドルグループが大きな存在だったことの証しでもあります。

SMAPの解散とは一体何だったのか。それを通じて見えてくるものは何なのか。3冊の新書を読みながら、今あらためて考えてみたいと思います。

ジャニー喜多川とSMAP

批評家・矢野利裕さんの『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)で、最も興味深いのはジャニーズ事務所の創設者である、ジャニー喜多川の人物像です。終戦後のアメリカで学生時代を過ごした、日系二世のアメリカ人。その根底にあるのは、アメリカ文化や価値観を日本人に「教える」姿勢です。

ジャニー喜多川にとっては所属するアイドルも生徒であり、教師である自分が求める姿をまっとうすることが必然となる。ただし、そこにはアイドル自身の“自我”はいらない。「自我や自己を遠ざけたところにこそ、(中略)ジャニーズのアイドル性や華やかさは見出される」からです。

SMAPが活動を始めた90年代初頭、テレビの歌番組は激減し、CDもかつてほどの売れ行きが望めなくなっていました。彼らは飯島三智マネージャーの戦略もあり、それまでのアイドルが見向きもしなかった、お笑いの世界やバラエティに参入することで活路を見出していきます。しかし、それはジャニー喜多川が目指す「ショーアップされたスター性」からの逸脱でもあったのです。

ファンとSMAP

社会学者の太田省一さんは『SMAPと平成ニッポン~不安の時代のエンターテインメント』(光文社新書)の中で、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)を「革新的ドキュメンタリーだった」と書いています。なぜなら、アイドルが「バラエティ的な“『素』を見せる”こと以上の『素』そのものだった」からだと。

その後SMAPは、“人間らしさ”という新たな要素を武器に、アイドルの“あり方”そのものをエンターテインメント化していきました。

そしてファンもまた、疑似恋愛の対象としてだけでなく、一種の保護者感覚で長く彼らを応援し、見守り続けてきた。ところが、そんなSMAPが「解散」へと至ることになります。

SMAPの解散、そして・・・

ポピュラー文化に詳しい松谷創一郎さんは『SMAPはなぜ解散したのか』(SB新書)で、ジャニーズ事務所やマスコミを強く批判しています。キーワードは「義理と人情」。

まずジャニーズ事務所について、会社の存在感の大きさと、“義理と人情”の社風とのギャップを指摘します。所属タレントや社員との異様な関係も、マスコミ操縦と世論誘導も、それが前時代的で硬直化した振る舞いだという自覚を持たない(持てない)。またマスコミ、特にテレビ局の忖度(そんたく)と保身がそれを助長しました。

ジャニーズ事務所が持つ、骨がらみの体質である“義理と人情”。そして飯島三智マネージャーに対して、4人のメンバーが抱えていた“義理と人情”。2つの“義理と人情”の衝突の結果がSMAPの解散だった。そう松谷さんは言うのです。読んでいて、十分に納得感のある考察でした。

SMAPの解散は、一つのアイドルグループ、一つの芸能事務所に起きた出来事といった枠を超え、現代社会における「個と組織」や「個と集団」、また「共生とコミュニティ」といった問題を考える、貴重なケーススタディとなりました。これをどう生かすのかは、“SMAPのいないニッポン”が抱えた、今後の課題なのかもしれません。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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