テロリズムの心理学:心の戦争に負けないために(ボストンマラソン テロ事件)
テロとは「心の戦争」
アメリカのボストンマラソンで、爆発事件が発生しました。詳細は不明ですが、ホワイトハウス当局者は、ボストンの爆発を「テロ行為」として扱うと述べています。2つの爆弾が爆発し、子どもを含め2人の死亡者、100人の負傷者、手足を失っている人も多いと報道されています(2013.4.16朝)(2013.4.16.14:00補足:死亡3人・重体17人に)。この日は、アメリカの「愛国者の日」でした。
テロは、身体や物に被害を与えるだけではなく、私たちの心に被害を与えます。心への被害こそ、テロの本質かもしれません。
佐渡龍己氏は、著書『テロリズムとは何か 』(文春新書)の中で、テロリズムとは、人々に恐怖と不安を与えるために行われる「心の戦争」だと述べています。
テロリズムが、身体や建物に対する武力行為というだけではなく、私たちの心を狙った心理戦争だとするなら、テロリズムと断固戦うために、私たちの心の問題も考えたいと思います。
弱者としてのテロリスト
「弱者としての」というのは、テロリストにも同情すべきだという意味ではありません。しかし、テロリズムは、弱者から強者への攻撃です。テロリスト達は、アメリカ国家を打ち負かすような武力や経済力は持ってはいません。そのような「弱者」の方法がテロです。彼らの方法は、物を壊し、人を殺すことでアメリカを征服するのではなく、アメリカを心理的に追い詰めようとしているのです。彼らは、人々の恐怖と不安そして怒りをかりたてようとします。
テロは、政治家や軍事施設を対象にすることもありますが、今回のような民衆への無差別テロも多発します。正規の戦争以上に、いつ自分たちが被害に合うかわかりません。人々は、もしかしたら今度は自分達が狙われるかもしれないという不安をもちます。
テロは場所を選ばず、対象を選ばず、終わりもありません。その恐怖と不安は人々の心を締め付けます。その結果、時にはテロリスト達の要求をのむことにもなってしまします。
いつまでもテロの恐怖から逃れることができないと、民衆が政府に圧力をかけることもあります。テロリストの要求に応じるように政府に求めることもあるでしょう。第三世界では、恐怖と不安と憎しみのために、暴動が起こり、社会秩序が破壊されることもあります。
激しい憎しみのために、政府が過剰な報復行動を起こすこともあるでしょう。また民衆がヒステリックになって、政府に報復攻撃を求めることもあるでしょう。しかし、過剰な報復行動は、国際世論の反発を招きます。人道上問題であるだけではなく、場合によっては国際社会がテロリスト側に同情することにもなりかねません。
心の戦争に勝つ
テロリストは、政府や民衆に恐怖と不安を与え、脅すことによって、自分達の政治的目的を果たそうとします。心を痛めつけられた結果、秩序を失ったり、要求に応じたり、国際世論がついてこないほどの過剰反応をしてしまったら、テロリスト達の勝利です。
もちろん、犯人逮捕者は大切です。第二、第三のテロを防がなくてはなりません。しかし、テロリストに勝つとは、犯人側に報復したり、逮捕したりすることだけではなく、恐怖と不安と行き過ぎた復讐心に勝つことなのです。
9.11大統領声明「アメリカの決意は砕けない」
アメリカで9.11同時多発テロが発生したとき、当時のブッシュ大統領は次のように演説しています。
「これは我々の国家を混乱と恐怖に陥らせ、退かせようという狙いによる大量殺人だが、彼らはすでに失敗している。我々の国は強い。我々の偉大な国民は、偉大な国を守るため動き始めている。テロ行為は我が国で最も大きいビルの土台を揺らがすことはできても、アメリカの土台に手を触れることすらできない。鉄骨を砕くことはできても、米国の決意を骨抜きにすることはできない。」
その後のアメリカの行動は、この理想通りには行かず、過剰な復讐行動に出た面もあるかと思いますが、世界の人々が協力し、恐怖と不安と復讐心に打ち勝ち、市民への無差別テロを防いでいかなければなりません。
大統領の演説は続きます。そして、人間不信と怒りにつぶされそうになっている国民に、人間の光の部分を語りかけます。
「きょうわが国は、人間の性質の最悪の部分、邪悪さを目にした。だが、それに対したのは、救急隊員たちの勇敢さ、見ず知らずの人々や隣人のために献血などできることは何かないか申し出て来る人々の優しさという、米国の最良の部分だ。」
これが、単純な国家主義になっては困りますが、心の戦争に勝つためには、人間の心の光りが、心の闇に打ち勝つ必要があるのではないでしょうか。