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松井秀喜の物語性:ネット上で共感を示す松井世代の心理と愛されるという勝ち方

碓井真史社会心理学者/博士(心理学)/新潟青陵大学大学院 教授/SC
産経新聞編集部刊・週刊ベースボール増刊・月刊 GIANTS増刊

■松井秀喜へのもう一つの注目

読売巨人軍の4番打者松井秀喜。

ニューヨークヤンキースの松井秀喜。

MVPの松井秀喜。

国民栄誉賞の松井秀喜。

ニューヨークでも愛され続ける松井秀喜。

今もなおNYから愛され続ける松井秀喜:世界の首都が再び喝采を送るその日まで5.7)

2013.5.7のNHK『クローズアップ現代』でも、「松井秀喜」が取り上げられた。しかし、今回取り上げたのは、大選手、大スターの松井秀喜ではなく、黙々と困難に立ち向かい続けた松井秀喜と、失われた20年を生きてきた30代から40代の「松井世代」による共感である。

松井秀喜選手が引退表明をした去年12月以降、「自分は松井ほど人生を懸命に戦っただろうか」というメッセージがネット上にあふれた。書き込んだのは松井と同世代の3~40代。共感を寄せたのは、スーパースターとしてより怪我やスランプに苦しみながらも野球選手としての職務を全うしようとする松井の姿だった。

出典:NHKクローズアップ現代松井秀喜とともに闘った“同級生”たち 2013.5.7

■松井秀喜のもう一つの側面

ホームランを打つ姿ではなく、大スターの顔ではなく、謙虚さ、ひたむきさ、ホームランを打ったときでもピッチャーに配慮しガッツポーズをとらない姿、次々と試練に向かっていく姿勢。

そんな松井秀喜。

ヤンキースでも、当初はヒットが出ず「ゴロ・キング」と揶揄された松井秀喜。

2006年手首、2007年右ひざ、2008年左ひざと、3年連続で手術をした松井秀喜。

両ひざに爆弾を抱えたままワールドシリーズに出場した松井秀喜。

MVPを取ったのに、翌年ヤンキースから放出された松井秀喜。

そんな松井秀喜。

■共感する「松井世代」の声

そんな松井秀喜に、自分の人生を重ね合わせ、「勇気をもらった」と語る人々がいる。

「私たちは松井秀喜ほど戦ってきたか」と反省する人々がいる。

番組では、ネット上で共感を示した人々を取材する。

親の後を継ぎ、電器店を経営する男性。売り上げ不振に悩む。しかし、ケガからのリハビリの果て、8ヶ月ぶりにホームランを打った松井秀喜選手に、心を打たれる。努力はきっと報われる。その日は必ず来ると。

外資系企業に勤め活躍したが4度の解雇を経験した男性。理想と現実の相違に苦しむ。しかし、移籍を繰り返し、マイナーリーグでさえもベストを尽くす松井秀喜選手から、力を得る。

命と向き合うナースの仕事を辞めてしまった女性。しかし、「命がけでプレーする」松井秀喜選手の姿に、自分は日々懸命に生きてきたかと自問し、復職へ向かい始める。

このように感銘を受ける「松井世代」。彼らは、松井秀喜選手の生き様を通し、逆風の中をひたむきに生き抜く勇気を与えられる。

■松井秀喜の物語性

「物語」には、いつもまだ不十分な発展途上の主人公が登場する。物語はいつも、友情・努力・勝利・成長だ。困難がなければ、物語が成立しない。主人公は成長できない。心理学的に言って、何の困難もない方が良いと感じるのは、その人間がよほど疲れているか、人生を誤解しているかだ。

困難を乗り越える物語を楽しむ私たちは、人生においても努力して成長するすばらしさを知っている。

ただ、現代は昔ながらの伝記が売れないという。貧しく、誤解されやすかった人が、努力を重ね、ついに成功を手に入れる、昔ながらの偉人伝が、なかなか売れない。

その中で、スポーツは、汗と努力と勝利が生きている世界だ。それでも、汗を嫌うようになった現代人にとって、王貞治は昔のイメージであり、本当は努力家なのにそのそぶりをみせない明るい新庄剛志(阪神→メジャー→日本ハム)を求めた。

けれども、高度成長もバブルも知らない、失われた20年を生きてきた「松井世代」は、明るいイメージだけでは納得できない。彼らは、大相撲の「高見盛」を求め、苦悩する「松井秀喜」を求めた。

なかなか勝利できない彼らは、たとえ勝負に勝てなくても、高見盛や松井秀喜のような、不器用だが「愛されるという勝ち方」に、強くひかれた。

「この世界は、誰もが勝利者になれるわけではない。だが、愛されるという勝ち方もある。」(缶コーヒーBOSSのCM)

■日本人の心性

以前の世代から見れば、現代人は器用だ。多くの人がカラオケで歌う。堂々と意見を述べる。プレゼンテーションが巧みだ。みんなが、お笑い芸人のようなトークをしようとする。ただし、もちろんみんなが人並み以上にできるわけではない。そして実は、多くの青年も松井世代も不安を持っている。

松井秀喜は、日本的だ。とても謙虚で、慎み深く、ひかえめで、感情を抑える。滅私奉公、フォア・ザ・チームだ。自己主張が重んじられるアメリカでさえ、松井秀喜のmodesty(慎み深さ)は、高く評価された。

松井秀喜の生き方は、日本人の心に合う。

■「モデリング」と作られる物語性

人生の手本となる人から、私たちは学ぶことができる。これを心理学ではモデリング(観察学習)という。誰をモデリングの対象(モデル)にするかは大切だ。身近に、あるいは目立つ形で、良い「モデル」がいるかどうかは、人生を左右しかねない。

困難な経済状況の中でがんばってきた30代、40代にとって、住む世界は違うが、同世代で、自分たち同様に困難と闘ってきた松井秀喜は、モデルになり得る。松井秀喜のように困難に立ち向かい、松井秀喜のように黙々と努力し、そして松井秀喜のような社会的評価、愛される勝利を得ようと思えるのである。

私たちの周りには、無数の人々がいて、無数の出来事が起きている。その中で、私たちは誰かをモデルにし、何かの物語を作り出す。実は、物語の種は、それぞれの人々の心の中にある。

怖い怖いと思っていると何でもないものがお化けに見えるように、がんばりたいと思っていると、がんばっている物語が見えてくる。日本は今、立ち直ろうとしている。がんばろうとしている人々がいる。松井秀喜の物語が、彼らの心の中で醸成されている。

■成長する心

『クローズアップ現代』に出演した作家の伊集院静氏は、松井秀喜は信念の人だが、最初から信念の人だったわけではなく、彼の信念は練習の中で育ててきたのだと述べていた。

松井世代の思いも、ただ報道を見て、一時的に感情が盛り上がっただけなら、何の効果もないだろう。しかし、困難に立ち向かい努力の中で松井秀喜をきっかけに、自分自身が紡ぎ出した物語ならば、それは人生を左右する力さえ持つだろう。

伊集院氏は、松井世代に大いに期待する発言をしていた。

私たちは、たしかに、松井秀喜のように、困難に立ち向かい、松井秀喜のように、勝利するのだ。

社会心理学者/博士(心理学)/新潟青陵大学大学院 教授/SC

1959年東京墨田区下町生まれ。幼稚園中退。日本大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(心理学)。精神科救急受付等を経て、新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科教授。新潟市スクールカウンセラー。好物はもんじゃ。専門は社会心理学。テレビ出演:「視点論点」「あさイチ」「めざまし8」「サンデーモーニング」「ミヤネ屋」「NEWS ZERO」「ホンマでっか!?TV」「チコちゃんに叱られる!」など。著書:『あなたが死んだら私は悲しい:心理学者からのいのちのメッセージ』『誰でもいいから殺したかった:追い詰められた青少年の心理』『ふつうの家庭から生まれる犯罪者』等。監修:『よくわかる人間関係の心理学』等。

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