松井秀喜の物語性:ネット上で共感を示す松井世代の心理と愛されるという勝ち方
■松井秀喜へのもう一つの注目
読売巨人軍の4番打者松井秀喜。
ニューヨークヤンキースの松井秀喜。
MVPの松井秀喜。
国民栄誉賞の松井秀喜。
ニューヨークでも愛され続ける松井秀喜。
(今もなおNYから愛され続ける松井秀喜:世界の首都が再び喝采を送るその日まで5.7)
2013.5.7のNHK『クローズアップ現代』でも、「松井秀喜」が取り上げられた。しかし、今回取り上げたのは、大選手、大スターの松井秀喜ではなく、黙々と困難に立ち向かい続けた松井秀喜と、失われた20年を生きてきた30代から40代の「松井世代」による共感である。
■松井秀喜のもう一つの側面
ホームランを打つ姿ではなく、大スターの顔ではなく、謙虚さ、ひたむきさ、ホームランを打ったときでもピッチャーに配慮しガッツポーズをとらない姿、次々と試練に向かっていく姿勢。
そんな松井秀喜。
ヤンキースでも、当初はヒットが出ず「ゴロ・キング」と揶揄された松井秀喜。
2006年手首、2007年右ひざ、2008年左ひざと、3年連続で手術をした松井秀喜。
両ひざに爆弾を抱えたままワールドシリーズに出場した松井秀喜。
MVPを取ったのに、翌年ヤンキースから放出された松井秀喜。
そんな松井秀喜。
■共感する「松井世代」の声
そんな松井秀喜に、自分の人生を重ね合わせ、「勇気をもらった」と語る人々がいる。
「私たちは松井秀喜ほど戦ってきたか」と反省する人々がいる。
番組では、ネット上で共感を示した人々を取材する。
親の後を継ぎ、電器店を経営する男性。売り上げ不振に悩む。しかし、ケガからのリハビリの果て、8ヶ月ぶりにホームランを打った松井秀喜選手に、心を打たれる。努力はきっと報われる。その日は必ず来ると。
外資系企業に勤め活躍したが4度の解雇を経験した男性。理想と現実の相違に苦しむ。しかし、移籍を繰り返し、マイナーリーグでさえもベストを尽くす松井秀喜選手から、力を得る。
命と向き合うナースの仕事を辞めてしまった女性。しかし、「命がけでプレーする」松井秀喜選手の姿に、自分は日々懸命に生きてきたかと自問し、復職へ向かい始める。
このように感銘を受ける「松井世代」。彼らは、松井秀喜選手の生き様を通し、逆風の中をひたむきに生き抜く勇気を与えられる。
■松井秀喜の物語性
「物語」には、いつもまだ不十分な発展途上の主人公が登場する。物語はいつも、友情・努力・勝利・成長だ。困難がなければ、物語が成立しない。主人公は成長できない。心理学的に言って、何の困難もない方が良いと感じるのは、その人間がよほど疲れているか、人生を誤解しているかだ。
困難を乗り越える物語を楽しむ私たちは、人生においても努力して成長するすばらしさを知っている。
ただ、現代は昔ながらの伝記が売れないという。貧しく、誤解されやすかった人が、努力を重ね、ついに成功を手に入れる、昔ながらの偉人伝が、なかなか売れない。
その中で、スポーツは、汗と努力と勝利が生きている世界だ。それでも、汗を嫌うようになった現代人にとって、王貞治は昔のイメージであり、本当は努力家なのにそのそぶりをみせない明るい新庄剛志(阪神→メジャー→日本ハム)を求めた。
けれども、高度成長もバブルも知らない、失われた20年を生きてきた「松井世代」は、明るいイメージだけでは納得できない。彼らは、大相撲の「高見盛」を求め、苦悩する「松井秀喜」を求めた。
なかなか勝利できない彼らは、たとえ勝負に勝てなくても、高見盛や松井秀喜のような、不器用だが「愛されるという勝ち方」に、強くひかれた。
「この世界は、誰もが勝利者になれるわけではない。だが、愛されるという勝ち方もある。」(缶コーヒーBOSSのCM)
■日本人の心性
以前の世代から見れば、現代人は器用だ。多くの人がカラオケで歌う。堂々と意見を述べる。プレゼンテーションが巧みだ。みんなが、お笑い芸人のようなトークをしようとする。ただし、もちろんみんなが人並み以上にできるわけではない。そして実は、多くの青年も松井世代も不安を持っている。
松井秀喜は、日本的だ。とても謙虚で、慎み深く、ひかえめで、感情を抑える。滅私奉公、フォア・ザ・チームだ。自己主張が重んじられるアメリカでさえ、松井秀喜のmodesty(慎み深さ)は、高く評価された。
松井秀喜の生き方は、日本人の心に合う。
■「モデリング」と作られる物語性
人生の手本となる人から、私たちは学ぶことができる。これを心理学ではモデリング(観察学習)という。誰をモデリングの対象(モデル)にするかは大切だ。身近に、あるいは目立つ形で、良い「モデル」がいるかどうかは、人生を左右しかねない。
困難な経済状況の中でがんばってきた30代、40代にとって、住む世界は違うが、同世代で、自分たち同様に困難と闘ってきた松井秀喜は、モデルになり得る。松井秀喜のように困難に立ち向かい、松井秀喜のように黙々と努力し、そして松井秀喜のような社会的評価、愛される勝利を得ようと思えるのである。
私たちの周りには、無数の人々がいて、無数の出来事が起きている。その中で、私たちは誰かをモデルにし、何かの物語を作り出す。実は、物語の種は、それぞれの人々の心の中にある。
怖い怖いと思っていると何でもないものがお化けに見えるように、がんばりたいと思っていると、がんばっている物語が見えてくる。日本は今、立ち直ろうとしている。がんばろうとしている人々がいる。松井秀喜の物語が、彼らの心の中で醸成されている。
■成長する心
『クローズアップ現代』に出演した作家の伊集院静氏は、松井秀喜は信念の人だが、最初から信念の人だったわけではなく、彼の信念は練習の中で育ててきたのだと述べていた。
松井世代の思いも、ただ報道を見て、一時的に感情が盛り上がっただけなら、何の効果もないだろう。しかし、困難に立ち向かい努力の中で松井秀喜をきっかけに、自分自身が紡ぎ出した物語ならば、それは人生を左右する力さえ持つだろう。
伊集院氏は、松井世代に大いに期待する発言をしていた。
私たちは、たしかに、松井秀喜のように、困難に立ち向かい、松井秀喜のように、勝利するのだ。