宮崎駿監督引退の辞「僕は自由です」:監督の思いと創造の時代としての高齢期
■宮崎駿監督【公式引退の辞】
私たちを楽しませてくれたスタジオジブリの宮崎駿監督(72)が、長編アニメの監督としては引退することになりました。
宮崎監督の作品は、どれもこれもすてきな作品ばかりです。けれど、大監督になっても人任せにしなかった宮崎監督にとって、長編アニメの制作は、大変な重労働だったようです。これまでも、何回か引退を口にしていましたが、「今回は本気です」と語っています。
(「今やりたいのはアニメじゃない」=「今回は本気です」―宮崎駿監督:Y! 時事通信 9月6日(金)18時43分配信)
■高齢期は喪失の時代?
かつて高齢期は、「喪失の時代」と言われてきました。体力を失い、仕事を失い、役割を失い、収入を失い、知的能力を失い、いずれは友人や家族らも失っていくと考えれてきました。
しかし現代では、高齢期はむしろ「創造の時代」と言われています。
■「ノロマになっていく」
高齢期の心身の変化として大きいのは、スピードの低下です。宮崎監督がおっしゃるように、たしかに「ノロマ」になっていき、若者のようにはすばやく行動できなくなります。判断のスピードも下がります。子ども若者がしているような、てきぱきと判断しすばやく行動することが必要なゲームや仕事は、だんだんできなくなります。
それでは、能力全体が落ちるのかといえば、そうではありません。体力の低下は否定できませんが、技術力でカバーして、40前後になっても活躍しているイチロー選手のようなプロスポーツ選手もいます。
また、目が悪くなったり、足腰が弱くなったりして、以前なら引退するようなケースでも、現代なら様々な機器が助けてくれるでしょう。
心理学の研究によれば、知的能力(知能)も、1分間にいくつできるかといったスピードが求められる能力(流動性知能)は、低下します。しかし、じっくりゆっくり考えて大切な判断をするといった知恵ともいえる能力(結晶性知能)は、高齢になっても衰えません。
特別な病気や怪我さえしなければ、人間の知的能力は落ちないのです。
■「スタジオがもたない」
社会の中で生きていくということは、様々な責任を背負うことです。宮崎監督によるスタジオジブリの作品は、ビッグビジネスです。多くの人達が、これで食べています。宮崎監督は、もしかしたらもう10年かけたら、もう1本長編アニメが作れたかもしれません。しかし、10年もの間待つとしたら、「スタジオがもたない」のでしょう。
私たちは、社会人として働き、生産し続けなくてはなりません。しかし高齢になれば、その責任から開放されます。使命感を持って働くことは楽しいことですが、社会人として責任を果たさなくてはならいことばかり考え続けたら、「ぼくの70代は、というより持ち時間は使い果されてしまいます。」ということになってしまいます。
■「僕は自由です」「スタジオに迷惑がかかることではない」
きゅうくつな責任や、しばり、しがらみから自由になれるのが、高齢期です。自分の好きなことができます。何年かに1本長編アニメを作らなければスタジオがつぶれるからばんばるのではなく、やりたいことがあって、そしてそれは時間がかかっても「スタジオに迷惑がかかることではない」ことです。
「持ち時間は使い果されて」しまう前に、大人としての経験を活かし、子供のように自由な立場で活動できるのが、高齢期です。
■「日常の生活は少しも変わらず、毎日同じ道をかようでしょう」
自由になったからといって、楽隠居してしまうと、体力も知力も下がります。人は、特別な病気や怪我で能力を失うことがあります。それは、高齢者も若者も同じです。
病気や怪我がなくても、使わなければ、能力は下がります。これも年齢に関わりません。
体力自慢の宇宙飛行士でも、無重力状態にいて運動をしなければ、地球に戻ったときには歩くこともできません。筋力はあっという間に落ちます。
60歳でも、20歳でも、「これから先、仕事も勉強も何もしなくて良い。新聞もテレビもネットも見ないで、ただボーっとして一日過ごしてください」と言われて、本当にそうしたらどうなるでしょう。10年後には、何もできない人間になっているでしょう。
病気でもないのに高齢になって知的能力が下がったように見えるのは、知能が下がったためではなく、意欲を失った場合が多いのです。
■「やってみたいことや試したいことがいろいろあります」
以前の責任からは逃れ、また以前のようにはできなくなっても、今だからこその「やってみたいことや試したいことがいろいろ」ある人は、やる気とエネルギーに満ちた生活を送ります。
自分の知識経験能力を活かせることが、人間の幸せです。結果として社会貢献につながり、多くの人を喜ばせ、さらに子ども若者の可能性を信じ、「若い人に期待」し次世代を育てることができれば、さらに幸福感、充実感が増します。社会全体にとって有益です。
引退会見で見せた宮崎駿監督の笑顔は、とっても幸せそうですね。(73歳・宮崎監督「やっと重しが取れる。今後は若い人に期待」:Y! デイリースポーツ 9月6日(金)14時40分配信:笑顔の写真)
■高齢期は創造の時代
高齢期は、今までの仕事や役割を失っても、新しい仕事や役割を見つけられます。現代の高齢者は、健康を維持し続けている人も大勢います。収入は減りますが、支出も減ります。退職して同僚とは別れますが、新たな活動を通して、新たな仲間もできます。
もちろん、みんながこんなに理想的に年を重ねられるわけではありません。みんなが宮崎駿監督のようにはできないでしょう。けれども、若いころには劣等感になっていたことや、重荷になっていたことから開放されるのも高齢期です。
(宮崎監督「やっと重しが取れる。今後は若い人に期待」デイリースポーツ 9月6日)
高齢期は、今や「創造の時代」なのです。
宮崎監督のように、私たちも、いつものように歩き続け、自由を得て、やってみたいことを試し続けていきたいと思います。
こうして大人たち、高齢者たちが生きていくことこそが、「子ども達に『この世は生きるに値するんだ』と伝える」ことになるのでしょう。生きることは、苦しいことですが、楽しいことですから。「宮崎駿監督」という一つの作品は、まだまだラストシーンを迎えません。
*宮崎監督は、「僕は文化人にはなりたくない」と語っています(宮崎駿監督「この世は生きる価値がある」引退会見でキャリアの“根幹”語る Y! ぴあ)。「飛ばねぇ豚はただの豚だ」(『紅の豚』)にはなりたくないということでしょうか。コメンテーターにはならず、クリエーターでいたいということでしょうか。ところで、「飛ばない豚」は、能力がない豚ではなく、飛ぶ意志を失った豚のように、私には思えます。
*私が個人的に好きなのは、やっぱり『ナウシカ』かな。