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教諭への暴行 警察介入の是非:スクールカウンセラーとして思うこと:悪い子どもは腐ったミカン? 

碓井真史社会心理学者/博士(心理学)/新潟青陵大学大学院 教授/SC

■<中学生>教諭への暴行など逮捕相次ぐ

今年4~6月、埼玉県内の男子中学生6人が、教諭への暴行や傷害の容疑で同県警に相次いで逮捕されていたことが分かった。いずれも「胸ぐらをつかんだ」「胸を殴った」などで学校側が通報し、警察官らが現行犯で逮捕した。被害の程度が軽いケースでも学校への警察介入を進めるべきなのか、校内の問題は現場の責任で解決すべきか--。識者らの意見も割れている。

出典:<中学生>教諭への暴行など逮捕相次ぐ 警察介入是非で議論 毎日新聞 8月19日

生徒の暴力行為が増加していると、様々な調査が警鐘を鳴らしています。その背景は多様でしょう。今回全国ニュースとして報道されているのは、警察への通報という問題です。

学校の中では、様々なことが起きます。もちろんほとんどの生徒は良い生徒たちですが、中には違法なことをする生徒もいます。物が壊されることもあります。対教師暴力もあります。

ほとんどの場合、学校は警察には通報しません。学校ではなくても、日常生活でそう簡単に警察に通報はしないでしょうが、学校では特に教育的な配慮によって通報しないこともあるでしょう。

先生がけがをしたり、通院治療が必要な場合であっても、簡単には通報しないでしょう。腹を立て暴れた生徒が、ガラスを割ったり、トイレのドアを壊したりしても、警察には通報しないでしょう。

警察に通報するまでのこともないと判断したり、教育的配慮で通報しないこともります。

それは、ほとんどの場合、隠蔽でもなく、保身でもなく、泣き寝入りでもありません。総合的な判断だと思います。大きなことであれば、当然教育委員会に報告するでしょう。

一方、警察に通報することもあります。朝学校に来たら、数十枚のガラスが割られていた場合などは、被害届を出し、その結果として報道もされるでしょう。それは、先生が腹を立てたからではなく、総合的な判断であり、教育委員会との相談の結果でしょう。

もしも「胸ぐらをつかんだ」だけで警察に通報したとしたら、たしかに疑問は感じます。警察通報へ至る、何かの経緯があったのかもしれません。

■暴力とは・対教師暴力とは

暴力は、「道具的」に使われることもあります。人を痛めつけて、利益を得るような暴力は道具的暴力です。一方、感情的な暴力もあります。ついカッとなってふるう暴力です。

対教師暴力の多くは、感情的であり、しかもかなりキレてしまった結果でしょう。子どもでも、先生を殴ったりしたらただ事でははすまないと、わかってはいます。非行少年たちも、多くの場合は、悪いことをして罰を受けないようにしようとは思っています(ただし、彼らは「だからばれないようにしよう」などと思ってしまうわけですが)。

教師を殴っても何も良いことはないわけですが、彼らは自分の感情を抑えられなくなっています。

そんなことにならないように、生徒との巧みな人間関係を作ることが求められます。ほとんどの教員は、巧みであり、懸命に努力しています。ルール違反をする生徒に対して、時に優しく諭し、時に厳しく叱りつけ、時に彼らなりの努力を認め、時にユーモラスに接し、様々な努力をしています。

複数の教職員で、役割分担をしながら、対応したりもします。私もスクールカウンセラーとして、大暴れした生徒と話すことはあります。担任、学年主任、生徒指導主任、校長、スクールカウンセラーなど、それぞれが連携しながら対応しています。

しかし、何かが上手く行かないときもあります。たとえば、子どものストレスが非常にたまっていて、その先生との人間関係が十分ではないときに、頭ごなしに正論を言われたときなど、生徒がぶちキレる場合があるでしょう(15年前には、女性教師が中学生にナイフで刺殺される事件もありました)。

■警察通報への是非

「夜回り先生」で知られる水谷修・花園大客員教授は「もう学校だけでは対応できなくなっている。教諭にゆとりはなく、礼儀などを含む全ての指導を求めるのは無理がある。子供を育てるのは社会全体の責任。学校が警察を含む各機関と連携しながら子供たちを良い方向に導こうとするのは、間違いではない」と理解を示す。

尾木直樹さんは「生徒の評価権という絶対的権限を持つ教諭が、さらに警察権力を使うのは安易ではないか。学校の自殺行為でとんでもない話だ。背景には教諭の力量不足があり、他生徒への『見せしめ』の意味もあるのだろう。心の琴線に触れるような指導をせずに、生徒が更生するとは思えない」と厳しく批判している。

出典:<中学生>教諭への暴行など逮捕相次ぐ 警察介入是非で議論 毎日新聞 8月19日

短い引用では、お二人の真意は分かりかねますが、対立する意見として紹介されている双方の意見には、それぞれ正しい部分があるように思えます。

子どもに関する全てのことを学校が受け持つわけではありません。それは、学校の責任放棄ではありません。必要に応じて、病院を活用したり、福祉制度を活用したりするように、警察を活用することも有効です。たしかに、子どもは社会全体で育てるものです。

一方、「みせしめ」や「安易」に警察を使うのは、たしかに学校の敗北です。学校は責められるべきです。

指導力を失い機能不全に陥っている学校、教育力が足らない教師が、警察への通報を乱用するなら、それは大問題です(ただし、学校や教師を責めることだけではなく、支援して良い学校にしていきたいと私は思いますが)。

しかし、広い意味の教育の一環として、警察力を活用することは、間違っていないと思います。子どもの教育には、様々なアプローチが必要です。警察沙汰などにしてはいけないときもあれば、警察が介入したり、家庭裁判所の力を活用することが必要なときもあります。児童自立支援施設や、保護観察、鑑別所、少年院を通して、更生する子達もいます。

安易に警察力を使うことは教育の敗北であっても、熟慮を重ねた上での活用であれば、それも教育の一環だと、私は思います。

学校が警察と協力して、生徒を反省させることもあります。家庭裁判所に呼ばれたり、入所し自由が制限されることで、初めて子ども自身の内省が深まり、反省して自分の人生を考えることができるケースもあります。

教育力のある学校の先生たちは、決して子どもを腐ったミカンとして捨てるために警察を使ったりはしていません。入所する子どもたちのことを心配し、入所施設の職員とも連絡を取り合い、子どもを見守り続けている姿を、私は見ています。

■子どもと学校を支えるために

50代男性高校教諭は「暴力を目撃した他の生徒のショックは大きいし、自分の子が被害に遭わないか心配。警察の介入は仕方ない」としつつ、教諭の立場から「大人に暴力をふるうのはそれまでの不信感や不満が積み重なった結果。日ごろから生徒とコミュニケーションがとれる関係を作るべきだ」と話す。

出典:<中学生>教諭への暴行など逮捕相次ぐ 警察介入是非で議論 毎日新聞 8月19日

暴れている生徒への教育の一環として、警察へ通報することがあります。他の生徒たちを守るために、警察へ通報することもあります。いずれにせよ、ほとんどの教師は、一般の生徒のことも、暴れる生徒のことも、一生懸命に考えています。

子どもを孤独にさせてはいけません。保護者を孤立させてはいけません。学校に孤独な戦いをさせてはいけません。そのために、教育委員会があり、PTAがあり、育成協(青少年育成協議会)があり、警察や、マスメディアや、様々な組織、団体があり、そして私たちがいます。

私たちみんなで、子どもを、学校を、支えていきたいと思います。

社会心理学者/博士(心理学)/新潟青陵大学大学院 教授/SC

1959年東京墨田区下町生まれ。幼稚園中退。日本大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(心理学)。精神科救急受付等を経て、新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科教授。新潟市スクールカウンセラー。好物はもんじゃ。専門は社会心理学。テレビ出演:「視点論点」「あさイチ」「めざまし8」「サンデーモーニング」「ミヤネ屋」「NEWS ZERO」「ホンマでっか!?TV」「チコちゃんに叱られる!」など。著書:『あなたが死んだら私は悲しい:心理学者からのいのちのメッセージ』『誰でもいいから殺したかった:追い詰められた青少年の心理』『ふつうの家庭から生まれる犯罪者』等。監修:『よくわかる人間関係の心理学』等。

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