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大阪の住民投票結果から見えるもの

渡辺輝人弁護士(京都弁護士会所属)
NHKの配信映像より

大阪市民の皆様、お疲れ様でした。NHKが放送している、橋下氏が政治家を引退する旨を明言する会見を見てからこれを書いております。今日の会見を見る限り、橋下氏は完全に政治家を辞める気のようですね。あそこまで言って前言撤回したら、ただの嘘つきでしょう。

住民投票を取り巻く力関係

橋下氏は、自分をチャレンジャーとして描くのが上手く、今回の住民投票も、ダビデ(橋下氏)がゴライアテ(既得権益)に挑むかのように描かれることもありますが、筆者はこのような見方はあまり的を得ていないと思っています。

お金という次元で見ると、維新の党は今回の住民投票に向けて4億円以上と言われる広告宣伝費用を投入しました。大ざっぱに言って、日本人の130分の2が大阪市民なので、日本全体の規模で考えると(追記:「全国規模で換算すると」という意味です)、250億円以上の広告宣伝費用をつぎ込んだことになります。対する自民党大阪府連の広告宣伝費はニュース報道によると5000万円程度らしいです。

政党の力関係で見ると、大阪市政、大阪府政はいずれも維新の党(大阪維新の会)が単独与党です。擁する府・市議員の数も一番多いです。先の総選挙でも、近畿の比例票一位は維新の党でした。一方、自民党大阪府連は反対派ですが、菅官房長官が半ば橋下氏を支持する発言をしました。官房長官が首相の意に反する発言をするとも考えがたく、官邸は橋下支持だったのです。橋下氏は、選挙期間中の5月5日に休養日を設定し、官邸詣でをしたとも噂されます。安倍首相も今週末は視察名目で兵庫、和歌山あたりに滞在していたらしく、陰で大阪の有力者に色々な話をしていたとしても何の疑問もありません。また、可決されて大阪市が解体された場合、行政の割り変えに伴って建設業には特需が訪れたはずで、さらに、黒字優良企業である大阪市営地下鉄の売却も近い将来に実現した可能性が高いため在阪私鉄各社は都構想実現に強い関心を持っていたはずです。この課題で、関西財界を支持層とする自民党が一枚岩になれるはずはないのです。自民党大阪府連は兵糧を断たれ、後ろから矢が飛んでくる状態での戦いを強いられました。大阪の公明党も明確に反対派でしたが、支持団体の中央からはかなり厳しい「動くべからず」という締め付けがあったとも言われています。筆者の周りから聞いた限りでは、地域の創価学会の人たちが反対の声を正面から上げ始めたのは最後の2〜3日でした。民主党は先の府・市議選でほぼ壊滅し、社民党も府・市に議席が無いため、残念ながら存在感が大きいとは言えませんでした。筆者が見るところ、気を吐いていたのは共産党ですが、共産党単体でどうにかなる情勢ではなかったのは明らかでしょう。

在阪テレビマスコミは、政治家としての橋下氏を生み出した母体のようなもので、基本的に橋下氏に対して批判的な態度は取れません。実際、開票を速報をしていた関西テレビは、否決の結果が出た後に、何故か延々と橋下氏の政治家としての軌跡を流し続け、橋下氏が敗北宣言をした記者会見の開始直前に速報番組が終了してしまい、通常のバラエティー番組に移行してしまいました。

橋下市長が勝負に打って出た決断は、このような社会的な力関係の下でのものであり、ギャンブルではあるものの、勝算は十分にあったはずです。決して、蛮勇の類のものではなかったと思います。市議選の結果から賛成派の勝利を予想していた記事も見られます。

【予測】大阪都構想の住民投票はどうなる?各社世論調査からシミュレーションする

結論は外れましたが、なかなか正確な予測だったのではないでしょうか。

否決の意義

今回の住民投票は、このような力関係の中で、それでも0.8%差(賛成69万4844票、反対70万5585票)で「大阪都構想」(実際は可決の場合も都はできず、大阪市を廃止して5つの特別区を設置するものですが)を否決したものです。先の沖縄知事選挙と同様、域内の政治勢力が激突した「天下分け目の関ヶ原」だったわけで、物量で圧倒的に優勢で、かつ、半ば首相官邸の支持を受けた与党が敗北した政治的意義は決して小さくないでしょう。否決後の記者会見で、橋下氏が記者から政治家続投について水を向けたにもかかわらず、引退を明言し続けたのも、単なる気まぐれを超えてこのような文脈があるように思われます。

また、今回の住民投票は、「大阪都構想」が、堺市の事実上の離脱で当初の構想が崩れ、かつ、方々で言われることですが、大阪市議会での議論も極めて不十分なまま行われたものです。NHKの出口調査でも、反対の理由は、議論が不十分という理由が多かったようです。これは筆者の私見ですが、橋下氏は、今後時間を掛けて大阪都構想の議論が深まっても勝てる見込みがないと考えていたから、議論が生煮えの状態でリスキーな勝負に出たのでしょう。実際、自治権の拡大を求める住民投票というのは世界各地で行われていますが、自分から自治権の縮小を申し出る住民投票というのは稀で、筆者から見ても、住民へのメリットは最後までよく分かりませんでした。もちろん、行政の割変えの過程で、上記の市営地下鉄や建設特需のように現在の市民の「既得権」(実際にそう呼ぶべきものかは分かりませんが)を取り上げ、利益に浴する人々は確実にいるはずなので、合理的な思考として大阪市の解体に賛成する人が沢山いることにも何の不思議もありません。

いずれにせよ、それぞれの市民がそれぞれ一市民として利益を得る見込みが何もないまま、現状の枠組みを破壊する住民投票が可決された場合、それが政治に与えたインパクトは極めて大きかったでしょう。過半数に届かない相対的な多数派が広告宣伝費を大量投入し、あるかどうかも分からないバラ色の未来を喧伝しさえすれば、住民や国民にとって不利な内容でも、民主主義の名の下に住民・国民に飲ませることができる、ということになったはずだからです。逆に言えば、総力戦の末に、0.8%の差を付けて、野党の立場にある反対派が勝利したことは、この国の「買収されない」「騙されない」民主主義の在処を示したように思えます。また、個人的には、敗れたとはいえ、70万近い市民の支持を受けながら、一人で席を立ってしまうような市長が勝たなくてよかったと思っています。

シルバー民主主義?

NHKの出口調査を見る限り、賛成票は30代が一番多く、それ以上の世代では徐々に反対票が多くなり、70代では反対派が多数派になるようです。20代も30代より反対票が多いのも特徴です。これをみて「シルバー民主主義」「若者の敗北」と評論する向きもあるようですが、大阪市の解体が若年層を利するものとは言えないはずで、評価としては単純すぎる気がします。20代の反対が30代より多いことの説明も的確に出来ないように思います。筆者の体験からしても、子供を持ち、育て、定住して地域につながりを持ち、自らも老いていく中で、地方行政との関わりが強くなっていくので、今回の課題で年齢が上がるほど反対票が増えるのはそれほど不可思議なことではないと思います。一言で言えば、学校を卒業した後、地域に根を張り始める前の若年層は地方自治との利害関係が薄いのです。

むしろ、筆者には、大阪市の中心部の区では総じて賛成が多数派で、尼ヶ崎寄り、海側、南側など、大阪市の周辺部で総じて反対票が多いことの方が印象的です。これが、改革により利益を得る可能性の高い(維新のCMを見れば分かりますが、大阪都構想で描かれる未来は大規模開発による未来です)市内中心部の強者と、置いて行かれる可能性の高い周辺部の人々、という構図を示しているとすれば、大阪市民は、それぞれの地域で、それぞれの利益に沿った妥当な判断をしたことになるでしょう。

そして、大阪都構想を否決したからと言って、大阪市が現実に抱える課題が何も解決しないのも事実です。筆者の住む京都もそうですが、地方の疲弊は凄まじいものがあり、大阪市も引き続く地盤沈下にどう対処するのかが重い課題なのです。しかし、筆者は、これに関して言えば、問題点をあぶり出し、不十分ではあっても、全市民的に議論をした大阪市民をちょっと羨ましく思っています。「問題の解決に近道はない」と分かったところから真剣な議論が始まると思うからです。

国政への影響、改憲の国民投票

筆者は、大阪市の住民投票は、安倍政権にとっては憲法改正の国民投票の予行演習だったのではないか、と思っています。それは直接投票により結論を出す、ということだけではなく、権力を持ち、政治に責任を負っている側が積極的に虚実ない交ぜの「バラ色の未来」を描く政策宣伝、多額の広告資源の投入、金(広告料)と恫喝による報道機関の押さえ込みなどで、国民の意思を「買う」ことができるかどうかの実験だったのです。その目論見が上手くいかなかったことは、安倍政権が掲げる憲法改正の国民投票の実施にも少なからず影響を与えるでしょう。そして、改憲課題で安倍首相の閣外協力者だった橋下氏が(同氏の言葉を信用するなら)政界を去ることでもブレーキが掛かるはずです。一方、改憲派が住民投票の失敗から教訓を引き出し、新たな作戦を考え始めるのも必定です。筆者もそうである日本国憲法を擁護しようとする側も、住民投票から教訓を引き出し、憲法を守るためにはどのような議論が必要なのか、検討が必要でしょう。

また、今回の住民投票は、公職選挙法の選挙運動規制が撤廃されたときに、どれだけ自由な選挙活動が出来るかも示したように思います。筆者は、ツイッターやフェイスブックを経由して、市民が手製で作成したビラやポスターを多数見かけました。もちろん、金に任せたテレビ広告等を規制するために、選挙費用の上限は決めるべきだと思いますが、市民が政治について自発的に考え、意見表明するためには、公職選挙法の選挙運動規制の撤廃が急務であると感じられました。

弁護士(京都弁護士会所属)

1978年生。日本労働弁護団常任幹事、自由法曹団常任幹事、京都脱原発弁護団事務局長。労働者側の労働事件・労災・過労死事件、行政相手の行政事件を手がけています。残業代計算用エクセル「給与第一」開発者。基本はマチ弁なので何でもこなせるゼネラリストを目指しています。著作に『新版 残業代請求の理論と実務』(2021年 旬報社)。

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