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高度P制(残業代ゼロ)法案は参院選の重要争点です

渡辺輝人弁護士(京都弁護士会所属)
成長戦略なのか単なる過労死促進なのか

7月10日が投票日の参議院通常選挙の選挙戦もいよいよ佳境に入ってきましたね。筆者は労働弁護士を名乗っているので、その観点から、労働者の生活全般に大きな影響を与える可能性がある争点を指摘したいと思います。

法案は継続審議で参院選後に動き出す

現在、国会に係属中の法案で、今後の労働者の働き方に大きな影響を及ぼす可能性があるのが、政府が国会に提出した「労働基準法等の一部を改正する法律案」です。政府・与党(自民党・公明党)の説明によると労働時間と賃金を切り離した「高度プロフェッショナル制度」などの導入をする法案であり、野党の説明によると「残業代ゼロ法案」「過労死促進法案」とされます。労働弁護士の界隈では「定額¥使い放題」法案とも言われています。

この法案、今年の通常国会では審議されませんでしたが、廃案になったわけではなく、現在、衆議院で「閉会中審査」の対象となっています。

概要その1(裁量労働制の拡大)

この法案、実は、主に二つの制度から成り立っています。一つは「裁量労働制」の拡大です。これは労使で一定の手続を経ると、現場で労働者がどんなに働いても、事前に決められた労働時間だけ働いたことになる制度です。厳密には労働時間のみなし制度なので、筆者や他の労働弁護士などは「定額¥使い放題」制度と呼んでいます。

この法案ではこの裁量労働制の拡大が盛り込まれており、特に現場への影響が懸念されるのは

法人である顧客の事業の運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析を行い、かつ、これらの成果を活用した商品の販売又は役務の提供に係る当該顧客との契約の締結の勧誘又は締結を行う業務

への対象の拡大です。いわゆる「提案型営業」ですが、法人相手の営業マンの多くは、日本語の字面ではこの要件に該当しますね。また、法律上厳密には該当しなくても、隣接する労働者に脱法的に適用されてきたのが労働基準法の常です。現在の法制度では、営業マンなど外勤の労働者に残業代を支払わないのはほとんどの事例で真っ黒な違法(従って是正可能)ですが、現場では残業代を支払わない実態が横行しています。そういうブラック企業が、この制度に飛びつく可能性があります。裁量労働制には「年収1000万円以上」などの年収要件がないため、この法案が成立すれば、外勤の労働者にこの制度が脱法的に導入され、ますます規制が難しくなるのが大きな懸念材料です。

概要その2(高度プロフェッショナル制度)

二つめは「高度プロフェッショナル制度」と言われ、年収1075万円程度以上の労働者について、一定の要件の下、労働基準法の労働時間規制を撤廃するものです。労働時間規制には残業代による規制も含まれるため、これを指して政府は「労働時間と賃金のリンクを切り離す」といい、読売・日経などは「脱時間給」といい、野党は「残業代ゼロ法案」と言うのです。

一方、拙稿「残業代ゼロ法案を図示するとこうなる」で指摘したように、この法案が成立すると、対象となる労働者は、いわゆる“過労死ライン”をはるかに超える労働を慢性的に強いられる可能性があります。この法案が「過労死促進法」の異名をとるのはそのためです。当面、この法案が想定するのは年収が1075万円を超える労働者だけですが、労働者派遣法など他の法制の拡大経過や上述の裁量労働制の拡大の経過を見る限り、将来、年収要件が引き下げられ、適用が拡大される可能性は十分あります。

正真正銘・アベノミクスの一部である

この「高度プロフェッショナル制」などの導入は、安倍政権の経済政策である「アベノミクス」の最初の三本の矢のうち、3つめの成長戦略の中に明確に位置づけられていました。首相官邸のホームページにも今でも以下の文言が残っています。

時間が人を左右するのではなく、人が時間を左右する働き方へ!

時間ではなく成果で評価される働き方をより多くの人が選べるようになります。

政府の主な取組

一定の年収要件を満たし、高い能力・明確な職務範囲の労働者を対象に、労働時間と賃金のリンクを切り離した働き方ができる制度を創設します。

出典:「首相官邸ホームページ人材の活躍強化 ~適した仕事を選べます~」

ここにある「労働時間と賃金のリンクを切り離した働き方ができる制度」が高度プロフェッショナル制のことを表しています。結局、この法案は明確に、安倍首相が選挙争点にしている「アベノミクス」の一部なのです。なお、政府は、この法案について「時間ではなく成果」で賃金が支払われる制度と言いますが、法案には、成果による賃金支払を義務づける部分も、成果測定の一般原則も、何も決まりがありません。

野党の対応

野党は、この法案には反対しており、昨年の国会で審議されたものの、この法案はまだ成立していません。

また、労働者全体にインターバルの導入(前日の労働とその次の日の労働の間に一定の休息時間の導入を義務づけ)、使用者による労働時間把握義務の強化(罰則の導入)などを求める労基法改正法案を国会に提出、係属しており、他の争点はともかく、この争点での与党と野党の対立軸は明確になっています。すなわち労働時間の規制緩和(与党)と労働時間の規制強化(野党)が争点です。

2016/4/19時事通信「長時間労働規制法案を提出=上限設定など求める-野党4党」

法案はこちら→「労働基準法の一部を改正する法律案」

政治はあなたを待ってくれない

大手のメディアが詳しく報道しなくても、選挙争点の報道がピンぼけしていても、選挙後の政治は、あなたを待ってくれません。安倍政権が掲げる「時間ではなく成果による賃金」という成長戦略を信頼して与党に一票を投じるのか、その本質を「定額使い放題」「残業代ゼロ」だとする野党を信じて一票を投じるのか、有権者の判断が待たれています。

弁護士(京都弁護士会所属)

1978年生。日本労働弁護団常任幹事、自由法曹団常任幹事、京都脱原発弁護団事務局長。労働者側の労働事件・労災・過労死事件、行政相手の行政事件を手がけています。残業代計算用エクセル「給与第一」開発者。基本はマチ弁なので何でもこなせるゼネラリストを目指しています。著作に『新版 残業代請求の理論と実務』(2021年 旬報社)。

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