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北海道南西沖地震から20年―もう一度3.11と防災・減災について考える

矢萩邦彦アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授
震災直後の陸前高田市

1993年7月12日午後10時17分12秒、北海道奥尻郡奥尻町北方沖の日本海海底でマグニチュード7.8の「北海道南西沖地震(奥尻島地震)」が発生しました。この時奥尻島には地震計がなかったため正確の震度は分かりませんが、推定6とされました。地域によってはこの地震を記憶されている方は少ないかも知れません。「大震災」と称されるような災害ばかりを分析しても分からないことが沢山あります。

今回は、岩手県陸前高田市の米崎小学校仮設住宅自治会長(※1)で桜ライン311副代表(※2)を務められている佐藤一男さんにお話を伺いながら、もう一度防災・減災について考えてみたいと思います。

◆「大震災」「被災地」という抽象化

「今回の東日本大震災に関して対比されたのは、ニュースでは阪神淡路大震災ですが、被災地で参考にしたのは1993年の北海道南西沖地震です。」と語る佐藤さん。奥尻島にはいくつもの行政と団体が聞き取りに赴き、津波による海岸沿いと低地の被害・震災直後の遺体捜索とガレキ撤去の同時進行・震災後の高台移転計画等が市町村行政や部落単位での参考にしたといいます。

確かに「大震災」という規模で比較されがちでしたが、阪神淡路との状況は大きく違います。僕自身震災直後NPO(※3)のメンバーとして現地へ訪れた際、事前に調査していた阪神淡路との違いに驚きました。何もなくなってしまった陸前高田市街を歩きながら、先入観の強さを思い知りました。一例を挙げれば、阪神淡路を経験したNPOのメンバーから「あの時、カメラは暴力だった」という進言があり、撮影を控える方針でしたが、現地では「写真撮影など記録してくださる方募集」という貼り紙まで見かけるほど状況は違いました。報道される地域の偏りについてある大手新聞記者は「阪神淡路と大きく違うのは、岩手は都市から遠い上に広すぎるので取材交通費が出ない。だから同じ場所ばかり報道することになる。」と話してくれました。また、震災一週間後に水や毛布を積んで被災地に向かった活動家の中には、すでに多くの避難所に水と毛布があり受け取ってもらえずに積んだまま帰ってきた、という話もありました。

しかし、これは決して東日本大震災における被災地全体の話ではありません。当たり前のことですが、地域によって、仮設住宅によって、また個人によって状況も価値観も違います。必要なものだって場所によって違うのですが、どうしても「被災地」という乱暴な抽象化が誤解を招くシーンも多々見かけました。佐藤さんも、自身の発言が仮設住宅全てに当てはまるように捉えられる、と悩まれていました。

◆想定と危機意識のギャップ

「三陸沿岸に住んでいると、津波関連のニュースは敏感に拾います。」と語る佐藤さんですが、反面、防災については、かなり温度が低かったと振り返ります。

「2011年3月11日の前日まで、自分たちが被災者になるなどという想定がなされたことはなかったと思います。防潮堤がある。避難訓練等の災害から身を守る訓練はなされている。という、思い込みからだと思います。」しかし、この防潮堤が役にたたないサイズの津波が来るだろうとは言われていたといいます。

「平成元年には「宮城県沖を震源とする大きな津波を伴った地震は、30年以内に98%来る」と予想されていましたし、その後、世界各地の地震のニュースを見るたび、海で仕事をする人間は、「平成元年に来てもおかしくない津波が、まだ来ていないということは、想像以上の地震のエネルギーが溜まっているんだろう。」と何度も話していました。しかし、それも防潮堤を超える想像はしても、今回のように6~8kmも奥地まで流れ込むとは予想にいたりませんでした。津波の高さも想像外であり、最高潮位時間も想像をはるかに超えていました。」

◆東日本大震災の経験を活かすために

自身が被災し、これまでの震災の教訓を生かしていなかった反省を誰にも繰り返して欲しくないという佐藤さんは、「個人で出来る防災・減災、家族で出来る防災・減災は、日本中のみなさんに取り組んでいただきたい」と訴えかけます。

以下は佐藤さんの経験からまとめられた、個人で出来る7項目です。当たり前のことのようですが、全て実践している方は案外少ないように感じます。如何でしょうか?

・夜間や地下などでの被災(停電)に備えて、普段からミニライトを持ち歩く。

・怪我に備えて、写真付きの証明書や病歴のわかるもの(お薬手帳など)を携帯する。

・自宅に非常用持ち出し用グッズを備えておく。(しまわず、玄関のそばに置く)

・水や食料や医薬品、女性用品を備蓄しておく。

・海の近くに住む人は、津波の危険が迫った時に家族が集まる高台の場所を決めておく。

・病院(特に歯科医)で、日常に(痛くなる前に)定期検診を受けておく。

・家具の転倒防止とテレビなどの固定をしておく。

佐藤さんは、東日本大震災のインパクトが強すぎたために内陸の人に「災害は他人事」のような雰囲気がありますが、直下型地震や台風・爆弾低気圧等の風水害は、日本中どこにいても他人事ではないと理解して欲しい、と警鐘を鳴らします。

「特に、次の被災地と言われる南海トラフのエリアと関東直下型地震のエリアの人には、気を付けて欲しいです。特筆すべきは、南海トラフの津波の想定高が大きく上げられたため、海沿いの人を中心に「逃げない・あきらめる」という選択をする人が見受けられます。あくまでも、想定は最悪の場合であり、30mの津波の想定域でも3mでおさまる可能性が有ります。少し逃げれば助かる命が、諦めたために命を落とすことのないように祈っています。」

忘れないこと、伝えること。かつての民話や伝説が担っていた危機意識の啓蒙を、ジャーナリズムや教育、あるいはアートなど、形式や方法に囚われずにそれぞれが担うことで防災・減災を実現出来ればと切に思います。(矢萩邦彦/studio AFTERMODE)

(※1)米崎小学校仮設住宅自治会

http://www.facebook.com/yoneshoukasetu

(※2)桜ライン311

http://www.sakura-line311.org/

(※3)NPOみんつな

http://www.mintsuna.net/

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アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

1995年より教育・アート・ジャーナリズムの現場でパラレルキャリア×プレイングマネージャとしてのキャリアを積み、1つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を探究するアルスコンビネーター。2万人を超える直接指導経験を活かし「受験×探究」をコンセプトにした学習塾『知窓学舎』を運営。主宰する『教養の未来研究所』では企業や学校と連携し、これからの時代を豊かに生きるための「リベラルアーツ」と「日常と非日常の再編集」をテーマに、住まい・学校職場環境・サードプレイス・旅のトータルデザインに取り組んでいる。近著『正解のない教室』(朝日新聞出版)◆ご依頼はこちらまで:yahagi@aftermode.com

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