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ボランティアは無償であるべきか? ―ボランティアの在り方について考える

矢萩邦彦アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

復興支援NPOの活動やパラリンピックなど障害者スポーツに関わる中で、ボランティアの在り方について色々と考えることが多くなりました。復興支援NPOでは、支援金を活動維持費に使用することについて議論も在り、中には実費弁償すら認めたくないという学生の意見もありました。果たしてボランティアのあるべき姿とは、どういうものなのでしょうか。

◆ボランティアのアナキズム

もともとボランティアというのは「自由意志の人」という意味のラテン語です。自由意志による共闘というのはアナキズムの基本でもあります。ボランティアの定義は「やる気・世直し・手弁当」すなわち、自発性・社会性・無償性の三つが核となります。では、一体アナキズムとは何が違うのか。一番の違いは動機です。社会性というのは広く社会のために、という大義であるわけですが、アナキズムの場合、かなり個人的な価値観によります。ただ、その個人的な価値観が、結果的に社会性を帯びていることは往々にしてあります。例えば、自分が幸せに暮らしたい→そのためには自分の住む地域が平和で安全な方が良い→自警団を組織して夜回りをしよう、と言う具合です。「情けは人のためならず」と言いますが、これは他人に情けをかけることで、結果的に自分に返ってくるということです。

究極的には自分のためにすることも、他者のためにすることもあまり変わりはないと言えるかも知れません。自分を開いて、拡張していくことで、アナキストはボランティアになります。そういう意味では、ボランティアとアナキストは非常に近いと考えられます。アナキストと言うと無政府主義という訳語や、スペイン内戦の義勇兵を思い浮かべる人も多いと思いますが、実際ボランティアには志願兵という意味もありました。

◆ボランティアの無償性

ボランティア活動に携わる中で、どうしても避けて通れないのが、その無償性に対する立場です。もともと貧困問題に対してアクションを起こしたことが現在のいわゆるボランティア活動の起源です。そのため、どうしても無償性が取り立たされます。しかし、震災支援においては特に現地に入り込んで時間をかけて行うことが必要な役割も多く、そうなるとどうしても仕事や生活を犠牲にするボランティアも出てきます。本来、自発的であるので生活を犠牲にするもしないも本人の選択によるのですが、そういう気持ちで活動をしている人達に対して、それが出来ない人がサポートするという感覚はもっとあって良いと感じます。

「有償ボランティア」という言葉がありますが、これがボランティアといえるのか、という議論は以前からありました。語義的には有償である以上、無償性を定義の軸とする現在のボランティアとは矛盾してしまいます。ですから、全国社会福祉協議会などの組織では実費弁償を超える報酬がある場合「有償ボランティア」という言葉を使わず、「有償サービス」「有償ヘルパー」という言葉を提唱していたりします。しかし、それはそれで商業的なイメージが強すぎ、自発性や社会性から遠のいて聞こえてしまう気がします。言葉の問題は、案外大きな影響を及ぼします。一番大事なのが言葉でないのはもちろんなのですが、その影響力を考えずにラベリングしてしまうことは色々な問題を誘発します。「有償」という言葉はあまり良いイメージがありません。せっかくの活動がなんだか打算的に見えてしまいます。そもそも無償性がボランティアならば、いちいち有償と付けないことでイメージは変わります。「スタッフ」と「ボランティアスタッフ」というように使うだけでも随分と印象が変わると思います。

◆ボランティアは組織の試金石

僕自身は、ボランティアとして活動に参加した人への金銭的サポートはある程度必要であると考えています。しかし、完全なる無償ボランティアの存在というのは、その組織の試金石になるとも考えます。無償でもその組織に所属して活動したいという思いが集まるような組織は健全で理想的なヴィジョンと実践があるのだと思います。線引きをするのはなかなかに困難ですが、慈善と報酬を二項対立みたいに考えるのは良くないのではないかと考えます。正直者が馬鹿を見ることのないように、気持ちのある人を、その気持ちに甘えずに周りがちゃんと評価してサポートしようとすること。それこそが「手前味噌」を嫌う日本人の粋であって、「情けは人のためならず」の実践である気がしています。(矢萩邦彦/studio AFTERMODE)

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アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

1995年より教育・アート・ジャーナリズムの現場でパラレルキャリア×プレイングマネージャとしてのキャリアを積み、1つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を探究するアルスコンビネーター。2万人を超える直接指導経験を活かし「受験×探究」をコンセプトにした学習塾『知窓学舎』を運営。主宰する『教養の未来研究所』では企業や学校と連携し、これからの時代を豊かに生きるための「リベラルアーツ」と「日常と非日常の再編集」をテーマに、住まい・学校職場環境・サードプレイス・旅のトータルデザインに取り組んでいる。近著『正解のない教室』(朝日新聞出版)◆ご依頼はこちらまで:yahagi@aftermode.com

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