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依存症を断ち切るために必要なこと〜貧困支援の現場から

矢萩邦彦アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

貧困と隣り合わせの依存症。危険ドラッグ(脱法ハーブ)等への依存とも無関係ではありません。貧困状態にある人の大半が何らかの依存があるといいます。貧困と依存について、どうしたら依存症を断ち切れるのか、ホームレス支援団体職員のAさんからお話を伺いました。

◆複合的になっていく依存症

「薬物というケースは少ないですが、元極道関係で、今路上生活という方などにはよくありますね。若者で、脱法ハーブというケースも、ゼロではないですが、まだそこまで顕著ではありません。ネットゲーム依存などの方が若者には多いですね」全体的には圧倒的にギャンブルとアルコール依存が多いというAさんは、ギャンブル、お酒、薬物、ネットゲームなどの依存は、複合していて、複数の依存があったり、依存対象が変化していったりする傾向があるため、「その根にあるものは同じようなものだ」と感じるといいます。

以前セクシュアルマイノリティーと呼ばれている方々の取材をした際も、薬物依存やアルコール依存、似た悩みを持つ同士の共依存など複合的に依存症をかかえている方が多く居ました。

◆依存問題が招く生活破綻と生活破綻が招く強度の依存

当然のことながら依存問題は生活破綻の原因にもなるのですが、Aさんはむしろ「依存が強まって生活が破綻するというよりも、生活が破綻に近づくほど依存が加速していき、完全に破綻してしまうと依存はほとんど逃れられないほど強くなる」といいます。「依存が貧困を引き起こす力に比べ、貧困が依存を引き起こす力については、一般の理解がない一方、後者の方が強いというのが現場の実感です。何より、これらの依存がある限り、生活再建が難しく、だからこそ、支援側は依存問題に一緒に向き合おうとするわけですが、これが、ものすごく難しい」。

今年6月には、福岡市博多区にあるアルコール依存症支援施設で入所者が受け取るはずの生活保護費の大半を施設が徴収している事が明らかになった、という報道がありました。いわゆる「貧困ビジネス」に搾取されてしまうことで、ますます依存症から抜け出せなくなる可能性も考えられます。

◆「家族のため」ならやめることも出来るが……

依存は優先順位の異常や崩壊だというAさん。深刻な依存を抱えている場合でも、最終的には、家族の協力さえあれば“家族のために”依存をやめることはできるといいます。しかし、「離婚し、勘当され、天涯孤独になり、あまつさえ、服役したり、路上生活になってしまったりした後に、依存よりも優先順位の高いものが見つけられない」と危惧します。

普通が良い、当たり前のことをすべき、という価値観はその中にいるからこそ主張できることで、一度その外側に出てしまえば戻ることは普通でも当たり前でもなく、とても難しいことです。難しいことを目標にするのは難しいですから、簡単に逃げられるギャンブルや薬に手を出してしまいます。支援者側もその対応は難しく、裏切られても信じ続けることで逆に依存の対象になってしまうという可能性もあり、それでは本末転倒になってしまう、と「支援側は無力感に悩んでいる」とAさんは訴えます。

◆刑罰ではどうしようもない“人との繋がり”

「刑罰は、地位、仕事、名誉、お金、自由、家族など、「何かを奪う」ことによって、奪われる恐怖によって、行動を抑制します。では、奪い尽くしてしまったら? その後は、ノープランです。奪われ尽くした後も、人は生きていかなければなりませんが、刑罰は、その先の責任を取りません。責任は、本人と支援者に丸投げされるのです。 その点で、依存に対する支援は、依存よりも大切な何かを作る作業が必要だと感じています。そして、それは、やはり人間関係しかない、と思います」。

Aさんは、ダルク(薬物依存者の薬物依存症からの回復と社会復帰支援を目的とした民間のリハビリ施設)等の活動は人間関係の力を作り出す活動ですが、見ず知らずの依存症という共通点だけがある人との繋がりを大切だと思えるか? という問題については、個人差があると言います。また、支援的的であるかに拘わらず多様な繋がり先や「楽しみを共有する」方法が必要だ、とも。

「薬物に関する刑罰は、被害者がなく、社会システムを守る為の刑罰です。しかし、社会システムを守るのは、社会の構成員一人一人なのであって、刑罰に丸投げすることは、責任逃れです。刑罰的なものも必要で、刑罰的でないものも必要です。そして、私たち支援的な組織も、何もかも奪われた後に、丸投げされてもどうしようもなく、はっきり申し上げて、手に余るのです。奪うことよりもはるかに難しい、何かを取り戻す作業を社会全体でやっていく、社会を蝕む依存性に立ち向かう方法は、それしかないと思っています」。

現場で支援活動に奔走している方々の意見を、どのように受け取るのかということも、政治だけでなく、主権者である我々が意識すべき課題なのではないでしょうか。まずは一人でも多くの人が、自分事として想像してみることが解決への道なのではないかと思います。(矢萩邦彦/studio AFTERMODE)

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アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

1995年より教育・アート・ジャーナリズムの現場でパラレルキャリア×プレイングマネージャとしてのキャリアを積み、1つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を探究するアルスコンビネーター。2万人を超える直接指導経験を活かし「受験×探究」をコンセプトにした学習塾『知窓学舎』を運営。主宰する『教養の未来研究所』では企業や学校と連携し、これからの時代を豊かに生きるための「リベラルアーツ」と「日常と非日常の再編集」をテーマに、住まい・学校職場環境・サードプレイス・旅のトータルデザインに取り組んでいる。近著『正解のない教室』(朝日新聞出版)◆ご依頼はこちらまで:yahagi@aftermode.com

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