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浅田真央を団体戦が壊した!涙のラストダンスの教訓

山田順作家、ジャーナリスト

前回、この欄に書いた「フィギュア惨敗」のコラムが誤解されているようなので、再度、真意を書いておきたい。

まず、あれは誰が見ても惨敗である。このようにはっきり「惨敗」と書くと、「それは選手にとってむごい」と思う、直情型の自分は正しいと1ミリも疑わない人が多いらしく、必ず反発がくる。「惨敗なんかしていない。よくやった」と言う。

しかし、フリーで自己最高得点を出したことを考えれば、浅田選手はフィギュアを失敗しなければ、間違いなくメダリストになっていただろう。つまり、ショートプログラムで、挽回不可能な失敗をしてしまったわけだ。

本人の力から言って、これは「惨敗」だ。しかし、日本人はこういう言葉を忌み嫌うから、そう書いてしまうと反発する。スポーツ紙を見ても、記者が応援し国民が応援した選手だと、どんなにひどい負け方をしても「惜敗」として「よくやりました」式の美談記事に仕立てあげてしまう。

しかし、鈴木選手、村上選手、リプニツカヤ選手まで、あれほど失敗するということは、本人の力が及ばないなにかの原因があったと考えるのが普通だ。

さらに言えば、これは女子だけでなく、男子もそうだ。幸い、羽生弓弦選手が金を獲ったが、ライバルのパトリック・チャン選手とも、フリーの演技はオリンピックのファイナルにふさわしくない失敗演技だった。つまり、こうした一連の出来事の原因を解明して、「なぜ彼らはベストで望めなかったか?」を考えなければ、選手の今後のためにならない。また、メディアとしての役割を果たしたことにならないだろう。

「真央ちゃん、よかった! 私たちも泣いた」と言うセンチメンタリズムですべてをすましてしまっては、かえって浅田選手がかわいそうだ。じつは、日本中が泣いたように、私も泣いた。あそこまで挽回した彼女のがんばりに、本当に泣けた。オリンピックのラストダンスとして、あれほど感動的だったことはない。

だからこそ、今回、団体戦というおバカな試合を初めてやって、それが商業主義に基づく発想から生まれ、しかも選手の体調管理に影響を与えたのではないか?という疑問を呈さなければならない。いったいなにが彼女をあそこまで追い込んだのか? それを解明すべきだろう。

前回も書いたように、この事態はある程度予測できたことだ。オリンピックに「魔物」など住んでいない。住んでいるとしたら、それは人間がつくり出した魔物だ。

森元首相のコメントも批判されているが、「個人戦の前に行われる団体戦」に浅田選手が出場を余儀なくされたことが、今回のことの遠因だ。選手は「個人戦」でのメダル獲得に選手人生のすべてをかけている。だから、そこに体調のピークを持っていくように調整してきている。

ところが、安易なナショナリズムで「メダルを」とスケート連盟もメディアも望むから、よせばいいのに出してしまう。浅田選手がこれを拒むことは無理だ。

個人戦の前に、韓国のキムヨナ選手は「私はアメリカや日本に生まれなくてよかった。団体戦に出なければなりませんから」と言ったと伝えられている。また、ショートプログラムが終わった後、解説者者の八木沼純子さんも「団体戦の後、ずっと同じ体調をキープするのは難しいので、1度リセットしてからつくり直すのがいちばんですが、選手によってはそれは難しい」と言っていた。

私は前回のこのコラムで、勝ち目がないから団体戦に出るべきではなかったと言いたかったのではない。選手がいなければ競技は成り立たないのに、その選手を大事にしない組織や周囲があることを伝えたかっただけだ。次のピョンチャン(平昌)五輪では、団体戦は個人戦の後にしてほしい。

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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