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本当に簡単に「安保法制」をめぐる問題をまとめてみると、こんなところに行き着いた。

山田順作家、ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

前回記事「戦争もできず、平和と安全も保たれず、立憲主義も破壊してしまった安保法制の危険度」は、皮肉が強すぎたせいか、読解力のない一部の方には理解できなかったようだ。私を反対派と思い「いっしょに平和のために戦ってください」などと言ってきた人がいたからだ。

冗談ではない!

そこで、今回は「安保法制」の焦点となっている集団的自衛権の問題をきちんと整理してみたい。じつは、この問題は単純だ。違憲であるかないかという問題を無視すれば、日米同盟をどうするかの問題だからだ。

つまり、これまでの日本は「アメリカが他国と戦争しようと助けない」ことになっていた。湾岸戦争以来、限定的には助けることを拡大してきたが、武器を直接援助したり、軍を派遣したりすることはしなくてよかった。しかし、アフガン戦争になると、アメリカは日本のこの態度が許せなくなり、「ショーザ・フラッグ」と言い出した。

そしていま、中国の拡張政策や北朝鮮の横暴ぶりに、「日本もアメリカとともに戦うべきだ」と要求するようになった。このアメリカの態度に、オーストラリアやフィリピンも同調している。

そこで安倍内閣は、アメリカの要求を受けて集団自衛権を確立し、後方支援の範囲にとどめるにせよ、アメリカとの軍事同盟を強化することにした。ただし、憲法の制約があるので、これを正面切ってできない。だから、パッケージ法案にして、わけがわからないまま法案成立に突き進んでしまった。

日米同盟というのは軍事同盟としては、本来成り立たない同盟だ。なぜなら、アメリカは日本が攻められたら助ける(義務がある)が、アメリカ自身が攻められても日本は助けなくていいからだ。言葉は悪いが「日本の丸儲け」である。

しかし、日本が取るに足らない弱小国であるうちはよかったが、経済大国となり、軍事力も持つようになるとそうはいかなくなった。本来の同盟とは、相互に助け合うことを基盤にしているからだ。

一般社会に置き換えて考えてみてほしい。たとえば友人同士で、「私が困ったらあなたに助けてもらうが、あなたが困っても私は助けない」という関係が成り立つだろうか? 友人同士の正しい関係とは、「私が困ったらあなたに助けてもらいたい。その代わり、あなたが困ったら私は助ける」というものではないのか?

とすれば、安保法制が目指すところは、この当たり前の関係に日米をすることである。もし、憲法という制約がなければ、日本はこうするしかないだろう。

ところが、反対派は「私が困ったらあなたに助けてもらうが、あなたが困っても私は助けない」でいいと言うのだ。これでは、アメリカはもっと怒るだろう。「そんなら日本は勝手にやれ」となったら、どうするのだろうか?

日本は独立国家なのだから、誰の助けも借りず、自分は自分で助ける。憲法がある以上、絶対にどの国とも戦争をしないのだから、それで大丈夫と言う方々がいる。しかし、それは、周囲のことなどまったく気にしない「ひとりよがりの考え方」なのではないだろうか?

周囲に日本を潰したい、日本は敵だと考える国があったとしたら、どうするのだろうか?

何度も書くが、ここでは憲法問題を無視している。実際は、憲法は武力保持さえ禁じているのだから、安保法制は違憲である。したがって、日米同盟を正しい関係にするためには、憲法を改正するほかない。

それなのに、安倍首相は集団的自衛権を合憲としてしまったので、安保法制を「国民の命を守り戦争を未然に防ぐための絶対に必要な法案だ」と述べても、通じなくなってしまった。野党はそこを攻めて、「便宜的な憲法の解釈変更は立憲主義に反する。強行採決は認められない」と、反対に走った。しかも、「戦争法案」と呼び出したために、それを真に受けた人々はデモまでするようになった。

この法案が成立すれば、まるで明日にも日本は戦争を始めるかのような騒ぎである。

新聞の論調も2分された。読売や産経のような保守(右)メディアは「日本の平和確保にとって重要な前進」と評価するが、朝日や毎日のようなリベラル(左)メディアは「民主主義を揺るがす愚行」と反対の大キャンペーンを張っている。こうなると、論点がズレすぎていて、目眩がしてくる。アメリカの一般の人間、世界の一般の人間は、日本人がなにを揉めているのか、わけがわからないだろう。

さらにややっこしいのは、賛成派のなかにも「アメリカの言いなりになるな」と反対する人たちがいることだ。反米主義は左派の特徴なのに、日本では右派も反米主義者が多い。そこで、私は、日本人の心情は右も左もいっしょなのではないかと疑っている。ねじ曲がった日本の「保守」(右)と「リベラル」(左)は同根なのではないかと思う。根底にあるものは同じで、それは抜きがたい外国コンプレックス、つまり「xenophobia 」(外国人嫌い)だ。

日本人は中国も韓国も嫌いだが、じつはアメリカも嫌いなのだ。

最近は、「日本はすごい国」「日本は世界一」みたいな番組が、テレビでやたらに目に付く。外国人観光客にマイクを向け、日本を大絶賛するコメントを引き出している。だから、視聴者はくすぐられ、「世界から愛されている日本」「世界から絶賛される日本人」というイメージが一人歩きしている。

しかし、こんな簡単な安全保障上の問題一つ解決できないのだから、本当にそうなのか、私たちはよくよく考えてみるべきではないのか。このままでは「世界から絶賛される日本人」には絶対になれないのではないだろうか?

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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