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なぜTOEFL義務付けなどという発想が出てくるのか

山口浩駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

自民党の教育再生実行本部が大学入試にTOEFL義務付けを提言したと報じられたのは、しばらく前のことだった。これが夏の参院選の公約になるらしい。

提言自体は公開されておらず、報道だけでは内容がよくわからないので、放置していた。しかし最近、提言をとりまとめた政治家のインタビューが別の記事になっていて、これがあまりに笑止な内容だったので、さすがにひとこと書きたくなった。

(争論)大学入試にTOEFL 遠藤利明さん・江利川春雄さん

(朝日新聞2013年5月1日)

私も副大臣や政務次官として国際会議に出ました。公式な会合は通訳がつきますが、大事なのはその前のあいさつから始まって、夜のパーティーとか、みんなでわいわいやっている場での会話です。それが次の会合に生きてくる。でも悔しいことに英語で話せない。中高で6年もやったのに。そんな英語教育を直しましょうよ。

一種のレトリックなのか記事の書き方の問題なのかわからないが、自分が英語を話せないのを英語教育のせいにしている。しかし、同じ英語教育を受けて実用レベルの英語力を身につけ、世界で活躍する日本人は数多くいる。この政治家が国際会議で英語を話せなかったのは、日本の英語教育ではなく、単に本人のできが悪かっただけの話だ。

もちろん、一般論として、日本人は英語が苦手とよくいわれるのは事実だ。実際、TOEFLの主催者であるETSが発表している国別平均スコアにおいても、日本はあまりいい順位とはいえない。受験者層のちがいもあるだろうからいちがいに比較はできないが、アジアだけでみても中国や韓国、台湾などの方がスコアは上だ。肌感覚としても、現在の日本で、英語を自由に使いこなせる人が多数派であるとは考えにくい。

インタビュー記事では、この政治家氏の発言の後、教育学者の方が、TOEFLの出題範囲は学習指導要領より広く、TOEFL義務付けを強行すれば高校の教育現場を破壊すると指摘している。入試だけを変えてもだめだと主張しているわけだが、では学習指導要領から抜本的に改訂すればいいのかというと、そういう話でもない。

思い出してもらいたい。学校で習っていたころは今より英語ができた、という人は多いだろう。実際、イー・エフ・エデュケーション・ファーストという企業は各国で英語能力指数を調査しているが、日本での調査の結果、日本人の英語能力は18~25歳がピークで、以降年齢とともに下がっていく傾向があるとしている。

理由はいうまでもない。ほとんどの日本人は日本国内で生活しており、学校卒業後は、仕事の場でも日常生活でも英語を必要とせず、英語ができなくても支障がないからだ。こうした人々にいくら英語を教えても、学校を卒業すればすぐに忘れてしまう。逆にいえば、これらの人々の英語力が少々上がっても、グローバルに活躍できる人材が増えるわけではない。

もちろん、英語を道具として使いこなし、世界に飛び出していく人たちは一定数必要だ。そして経済のグローバル化が進み、そうした人材がより多く必要とされているのに不足している、というのが、TOEFL義務付けを提唱された方々の問題意識だろう。つまり問題は、「すべて」の日本人の「平均」的な英語力ではなく、仕事で海外と関わる一部の人たちの人数や能力をいかに向上させるかということだ。

その意味では、英語を使うことなく一生をおくる大半の日本人が英語を話せないことよりもむしろ、英語を話せない政治家が平気で政府の代表として国際会議に送り出されていることの方がよほど憂慮すべき事態だと思う。

件の政治家氏は「最近は留学する若い人たちが減っている」ことも問題と指摘しているが、海外への留学者数が減り始めたのは2000年代後半からで、それまではずっと増加傾向が続いてきた。原因はいろいろあるだろうが、不況や就職難の影響が大きいだろう。少なくとも英語教育の欠陥を主な理由とみるのは我田引水だし、TOEFLを義務付ければ留学者が増えると考えるのは短絡的だ。

提言をまとめた人たちの中にTOEFL受験経験者はいたのだろうか。TOEFLが実用的な英語力を測る試験として英検やTOEICなどより適していることを否定はしないが、試験である以上TOEFLもかなりの部分受験対策は可能で、専門の予備校も多い。TOEFLが受験科目となれば受験対策は進むだろうが、それで「使える英語」が身につく保証などないし、それとて使わなければすぐに錆び付く。

以上をふまえれば、グローバル人材を増やすために必要な対策が自民党の提言するような「大学入試にTOEFL受験を義務付ける」ことでないのは明らかだろう。義務付けしようとすれば学習指導要領を大きく変える必要があり、そうなれば学校教育全体に影響する。上記の記事で教育学者の方が懸念しておられたのはそこだろう。目的を達するには的外れで、副作用だけが大きいというわけだ。

ではどうすればいいのか。さまざま考えられるが、3つほど挙げる。

まず必要なのは、教育にきちんと予算を割くことだ。文部科学省の「教育指標の国際比較」(平成24年版)を見ると、日本のGDPに対する学校教育費の比率は4.9%で、OECD平均の5.9%を下回る。これは公財政支出3.3%、私費負担1.7%に分けられるが、OECD平均の5.0%、0.9%と比較すると、公財政支出による割合が低く、私費負担の割合が高いことがわかる。リソースを割かずに効果だけ求めるのは非合理的だ。

英語教育の強化が国家の戦略的課題だというなら、まず強化すべきは英語教員の育成だろう。実際、現在の中高英語教員の英語力は必ずしも高いとはいえない。文部科学省「英語教育改善実施状況調査(平成19年度)」によると、公立学校の英語担当教員のうち、英検準一級あるいはTOEIC730点以上等の人は、高校で50.6%中学校だと26.6%しかいない。是非はともかく、こうした現状でTOEFL受験の指導をさせようというのはあまりに無謀だ。

もちろん現在の英語教員を大幅に入れ替えるようなことは事実上できないしすべきでもないが、少なくともグローバル人材育成をめざす一部の学校を選んで、充分な能力を持つ英語教員(ネイティブスピーカーも当然含むべきだろう)を充分な数だけ配置できる程度の予算措置を講じることは、できないはずはなかろう。もちろん今でもそうした学校は少なからずあるはずだが、充分な質を保ちたければ充分に魅力的な条件を用意するのは当然のことであり、そのための予算措置は認められてしかるべきだ。

次に、学生支援の観点も重要だ。件の提言と関係があるのか知らないが、秋入学を採用した大学に入学しギャップタームに海外留学を希望する学生全員に留学資金をばらまくという案が出ているらしい。ほぼ東大生をターゲットにしたような政策にもみえるが、東大生の家庭はそもそも所得水準が高いというのは有名な話で、その点からすれば効果は薄いだろう。

金を出す気があるなら、むしろ優秀な学生向けの給付型奨学金を大幅に拡充する方が有効だ。日本の奨学金制度は大半が貸与型であり、奨学金返済負担のために進学や在学をあきらめる者も少なくない。優秀な人材を集めたければ、学費のためにチャンスを奪われている優秀な学生を放置しておく手はないだろう。留学を推進したければ、そもそも日本ではなく海外大学への留学資金を給付型奨学金でサポートすればよい。

もう1つ、学生よりむしろ、実際に英語を使う必要に迫られている社会人向けのリカレント教育の方が、高い教育効果が期待できるのではないか。企業が優秀で意欲ある社員に「道具」としての英語を身につけてもらうための資金を支援するようなプログラムは、特にグローバル人材を必要としながら余裕がない中小企業などにはニーズがあるだろう。そもそもグローバル人材は社会人を想定した概念だろうから、支援対象を学校教育に限る方がむしろ不自然だ。所管官庁がちがうかもしれないが、そういう部分こそ政治家の出番ではないか。

総じて、報じられた自民党の案は、現在の問題はすべて学校教育にあり、教育さえ変えればすべてよくなるといった固定観念にとらわれているような印象を受ける。繰り返すが、日本人が英語が不得意なのは、基本的には必要でないからだ。現状を抜本的に変えたければ、日本を「英語が必要な社会」に変えるしかない。そんなにTOEFLがお好きなら、まず国会議員全員に受けさせてみたらどうか。TOEFLで一定以上の得点がなければ国際会議に出るポストには就けないことにすれば、国際会議に出ても英語でコミュニケーションできないと嘆く国会議員は一掃されよう。

もし政治家の能力は英語力だけで測るべきではないというなら、それは他の日本人についても同じだ。問題意識はわかるが、安易な発想で教育問題をいじくりまわすのはたいがいにしてもらいたい。

駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

専門は経営学。研究テーマは「お金・法・情報の技術の新たな融合」。趣味は「おもしろがる」。

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