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どんな「日本を、取り戻す」のか

山口浩駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

ちょっと前に出た最新の選挙情勢調査によると、与党の優勢は堅いらしい。自公で過半数は確保し安定多数も濃厚、といった論調のものが多い。このところ内閣支持率はじりじりと低下傾向にあるようにも見えるが、依然として高い水準にあるし、代わりに政権を託したい政党があるというわけでもないから、この情勢のまま選挙に突入するんだろう。

参院選:自民、70議席うかがう…序盤情勢・本社総合調査」(毎日新聞2013年7月6日)

自民党は選挙区と比例代表を合わせて改選34議席から倍増の70議席前後を確保する勢い。公明党も改選10議席を維持する見通しで、与党が非改選を含めて参院で過半数を確保するのはほぼ確実な情勢だ。

自公、安定多数70議席確実 民主は半減も」(産経新聞2013年7月6日)

自民、公明両党は過半数(122)に必要な63議席を大きく上回り、すべての常任委員長ポストを独占できる「安定多数」に必要な70議席の獲得が確実な情勢だ。

となれば、今回の選挙は実質的に、安倍政権に対する信任投票的な位置づけになる。つまり、争点は、「安倍政権をどの程度評価するか」であるというわけだ。

どこで評価するかは当然、人によってちがうはずだ。さまざまな争点、論点がありうるわけで、せっかくネットで政治のことが書きやすくなったんだし、私なりの争点なり論点なりを少しだけ書いてみることにする。個人的には、とっかかりとして、自民党が掲げているキャッチフレーズに注目している。例の、「日本を、取り戻す。」っていうやつ(リンク)。

取り戻すって、いったいどんな「日本」なのか。日本の何を「取り戻す」というんだろうか。

自民党のウェブサイトには選挙公約が出ているが、それを見ると、まっさきに書いてあるのは「復興」だ。つまり東日本大震災からの復興。これは確かに「取り戻す」だし、今の日本にとって大きなイシューといえる。が、それがこの選挙の「争点」かというとどうだろうか。

誰だって被災地域の復興が重要なテーマであることに異論はないだろう。もちろん、復興で何を「取り戻す」のか、どう進めていくのかについて、論点はいろいろありうるが、それが今、与野党の間で大きな争点になっているかというと、必ずしもそういうことではない。この問題はむしろ選挙の争点にして是非を決しようというより、みんなで中長期的に考えていくべき問題のように思う。

となると、中心になるのはやはり、その次に挙げられている経済だ。世論調査などからみる限り、政権への期待の大半は景気や経済に関するものなので、このプライオリティの置き方は正しいと思う。問題は内容だ。巷で「アベノミクス」と呼ばれているもの(どうでもいいがこの呼称はどうも好かない)は、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略といういわゆる「3本の矢」からなる、と説明されている。

経済政策について専門的見地から語れる知見は持ちあわせていないが、素人目にみると、第1の矢が諸外国の反発をあまり買わずに円安誘導するのに成功したこと、それによって株価が上がったり輸出産業の業況が急回復したりといったあたりが当面の成果ということになるんだろうか。円ドル相場的にいえば、現時点で取り戻したのは2008年ごろ(ピンポイントだな)の日本ってことになる。リーマンショック直前の時期にあたろうか。

もちろんこれで終わりではないはずだ。期待される景気回復をなしとげるためには第2、第3の矢が必要なはずで、それが昨年度の緊急経済対策に続く公共事業の大幅増であり、打ちだされた数々の規制改革案などでありということなんだろう。この経済政策パッケージの評価について議論があることは知っているが、私は専門家ではないし、少なくとも大枠に関する限り、それほど不自然との印象は持っていない。景気がよくなるに越したことはないので、ぜひ成功してもらいたいと期待している。私以外にも、多くの人が、不安を持ちつつも、期待をしている、ということらしい。

アベノミクス評価半数超え、先行き不安も6割以上 FNN世論調査」(FNNニュース2013年6月24日)

一方、「アベノミクス」と呼ばれる経済政策を「評価する」と回答した人は、半数を超えているが(51.8%)、株価の乱高下を受けて先行きに不安を感じている人は5月下旬の調査より若干増えて、6割台半ばにのぼった(64.4%)。

また、景気回復を「実感していない」と答えた人も、依然8割を超えている(82.3%)。

で、私の不安のタネは、それらによって具体的に何を「取り戻す」のか、という点だ。

そもそも、なぜ「日本を、取り戻す」なのか。このキャッチフレーズは、昨年の衆院選の時にも用いられた。このときは、政権を取り戻すこととかけあわせた表現だったのだろう。ではなぜ取り戻さなければならなくなったのか。

2009年に民主党政権が誕生したのは、あえて言い切ってしまうが、民主党の政策が評価されたからではない。それまで政権を担い続けてきた自民党に対する不満から、代替的な選択肢として民主党が選ばれたとみる方が適切だ。当時の民主党のポスターには「政権交代」と書いてあった。政権交代すること自体が大きな意義があると考えられていたわけだ。その意味で、極論すれば、民主党政権の「歴史的使命」は政権奪取の瞬間に概ね終わった、ともいえるわけだが、それはともかく、そうなった原因は、それ以前の自民党政権のやり方にあった。

それは、公共事業による利益誘導で政権を維持するうちに地域の競争力を奪っていったシステムであったり、政官業の癒着による利権の構造であったり、所得再配分やセーフティネットの不備であったりしたわけだ。それらに対して、有権者が長年、不満を募らせてきたからこそ、呉越同舟の寄せ集め世帯といわれても、イメージ先行の実力不足といわれても、あのとき民主党に票が集まったのだ。

現政権が掲げる「日本を、取り戻す」とは、私たち有権者にそのとき否定された上記のようなもろもろを取り戻そうということではないのだろうか。政権の方々はちがうというのかもしれないが、ではこれはどういうことだろう。

自民地域公約、大盤振る舞い 新幹線・高速道・リニア…」(朝日新聞2013年7月13日)

「和歌山から強靱な日本を。」。国土強靱化の旗振り役・二階俊博総務会長代行が県連会長を務める和歌山版公約のキャッチコピーだ。「紀伊半島一周高速道路の早期実現」「近畿自動車道の4車線化」などが並ぶ。高速道路の目標は計23都道府県が盛り込んだ。

高速鉄道では計19道府県。「北海道新幹線の一日も早い開業」(北海道)、構想段階の四国新幹線の「実現」(愛媛)や「推進」(香川)と熱がこもる。こうした交通インフラ計画を落とし込んだ地図を載せた地域版も目立つ。

愛知版はリニア中央新幹線と新幹線、高速道路を絡ませた地図を掲載。「2027年リニア新幹線開通による経済・生活の変化をいかした県づくり」と掲げ、「リニア名古屋駅へ、30分間以内に移動できる道路・鉄道網」をうたった。

地域版公約は自民党本部でチェック済みだ。アベノミクスをめぐり「恩恵はいまだ感じることはできない」(鳥取)との批判は根強い。地方に配慮し「一定の公共事業量を確保し地域の景気と雇用を支える」(鹿児島)といった主張を認めたが、財政再建との関係でたがが外れ気味だ。

新幹線に高速道路。なんと既視感、というか「まだやってるのか」感の色濃いメニューだろう。今は国土強靭化という新しい「錦の御旗」もくっついてさらにパワーアップした。個人的には、老朽化する既存インフラを放っておいて何が新設だ、日本全体に甚大な影響を及ぼす首都直下型地震への対策はどうした、などといいたくなるが、あちらの関心がインフラ整備そのものより工事、つまり地域の雇用維持にある以上、話は通じない。「世界一の借金王」を自称した故小渕首相の時代、つまり1998年ごろからの公共事業の大増発はほとんど効果がなかった、などと言っても聞く耳を持ってもらえまい。

そういえば、200兆円なんていう数字もどこかで語られていた気がする。公式の数字かどうかは知らないが、こういうところでの公式見解と本音の「使い分け」もかつての自民党政権の得意技だった。こういう威勢のいい鼻息ふんがふんが話の裏で、生活保護を制限していく動きがあったりすることは、人権制約色が濃い自民党憲法改正草案とも整合的であって、この政権を評価する上で重要な論点たりうると思うが、長くなるのでここでは割愛する。

ともあれ、もしあれが第2の矢だというなら、「取り戻す」のは土建国家としての日本なのか、といいたくなる。金融緩和と規制緩和も加えれば、まるでバブル期の政策パッケージだ。今のところ当時のようなバブルが発生する可能性は低そうだが、当時あちこちで建設されたあれやこれやの末路は繰り返しになるおそれが充分にあるのではないか。

もし「日本を、取り戻す。」が、かつての自民党長期政権時代のやり方を取り戻すということであるなら、それには強く反対したい。かつてあのやり方がうまくいったのは、地方に裁量で分配できる成長の果実があったからだが、今はそういう時代ではない。経済政策の成功である程度の成長が実現できたとしても、「JAPAN AS NO.1」と言われた時代はもう遠く過ぎ去った。財政支出がある程度は必要だとしても、かつてのように無駄なハコモノにつぎこんでいる余裕はない。

むしろ、ぜひ取り戻してもらいたいのは、上記の記事にあったような、票と引き換えに各地域からの要望を受けていった結果が、瀬戸内海に3つもかかる本四連絡橋であり、自治体が搭乗率保証をしなければ定期便を維持できないような地方空港の乱立であり、見渡す限り前にも後ろにも車が見えない数々の道路であった、という記憶だ。道路を作れば観光客も来てくれて企業誘致も進むといった甘い期待が無残に砕け散った各地の「夢の跡」を見て、もう一度思い出してもらいたい。どうせ金を使うなら、ぜひ有効に使ってもらいたい。

とはいえ、では他の党の政策ならいいのかというと、ざっと見渡した限り、どれも帯に短し襷に長しで、これなら、と思うようなものはどこからも示されていなかった(少なくとも私の目にはそう映った)。その意味で、どの党に勝ってほしいとかそういう意見はない。政治家の皆さんがさまざまな議論や駆け引きを通じて、よりよいものを練りあげていってくれることに期待するしかない。かつてのやり方を取り戻すのではなく、前へ進んで新しいものを作り上げてほしい。

きちんと考えることができる人が選ばれて、そういうきめ細かい議論が可能になるような、絶妙な勢力バランスが民意によって実現してくれるといい。甘っちょろい考え方にみえるかもしれないが、そういう意味での「集合知」はけっこうばかにできない、とも思っている。今回は投票率が低めと予想されているそうだが、ぜひ多くの人が投票に行ってほしい。たとえ自分の意見とちがう結果になったとしても、投票したこと自体は無駄にはならない。投票する有権者が多いこと自体、政治家の襟を正させる効果がある。

民主党政権の時代を経て、改めて認識したことが3つある。1つは、きちんと政権担当能力がある人たちに政権を任せないと混乱が生じるということで、であるがゆえに今回民主党は惨敗が予想されているわけだ。その点自民党は現政権発足当初から安定感を見せていて、さすがといわざるを得ない。しかし、だからといって、フリーハンドを与えてしまうのはやはり危険だ。

2つめ。、さりとて、民主党政権下で生じたあれこれの混乱にもかかわらず、日本はつぶれたりしなかった。実際、民主党が政権をとった2009年の衆院選では、劣勢にあった他党候補が、「民主党に政権を取らせたら日本は破滅」みたいなことを言っていた記憶がうっすらとある。しかし、当たり前といえば当たり前だが、そんなことはなかった。優秀な官僚機構のおかげ、ということでもあろうが、だからといって、官僚に仕切らせればすべてうまくいく、という話でもない。

そして3つめは、それら2つを前提として、政権交代の可能性があるという状態は、政治全体にとってそんなに悪くはない、ということだ。政府の担い手が変わることで、しがらみなく前の政権のまちがいを見直し修正する機会が生まれるし、よりよく有権者の声を聞こうという態度にもなる。やり方のよしあしはともかく、民主党政権下の事業仕分けで、それまでのやり方が議論の俎上に上がったこと自体は悪いことではなかった。だからこそ、形を変えて、現政権下でも行政事業レビューが行われているんだろう。

与野党の勢力が伯仲すれば、不安定になったり、意見の対立でものごとが進まなくなったりするという弊害はあるだろう。実際、いわゆる「ねじれ国会」の下で、そうした弊害はあったわけだが、あれもやり方次第だと思う。米国も上院と下院で多数党はちがっていて、いろいろ問題はあるが、ねじれ自体が問題だという議論はあまり聞かない。二大政党制がいいかどうかは別として、政権交代によって、過去の検証がなされる機会があることはやはり意義がある。弊害はあっても、1つの勢力があまりに強すぎることによって生じる淀みの弊害よりもずっと小さいように思われる。

最後にもう1つ、今の与党に取り戻してほしいと思うのは、政治に対するある種の「信頼」だ。かつての自民党長期政権時代には、いわゆる御意見番的な、この人ならと信頼できるような見識のあるベテラン政治家がいたのではないかと思う。そういう人たちがいたおかげで、あまり変なことにはならないという安心感のようなものがあった。しかし今はどうも、あまりそういう感じはしない。偏見かもしれないが、上に行けば行くほど人格識見ともにアレな感じの人が多くて、どうにも危なっかしい感じが拭えない。

かえって若手、中堅の方にしっかりした方がおられるといった印象があるんだが、ということは、世代交代が進めば状況はよくなるんだろうか。ならば、ぜひ。

駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

専門は経営学。研究テーマは「お金・法・情報の技術の新たな融合」。趣味は「おもしろがる」。

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