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ハムスター釣りは虐待なのか?

山口浩駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

先日、大阪のある祭りに「ハムスター釣り」の露店が出たとかで、一部で話題になった。

記事にはこの露天商が動物愛護法に基づく営業登録をしていなかったと書かれていたが、そういう法律上の話はさておき(法律を守るのは当然だ)、気になったのはネット上で「動物虐待だ」などとの書き込みが相次いだ、というくだりだ。

記事によればこんな感じの商売だったらしい。

問題となった露店では、金魚すくいなどに用いる大きな容器にわらを敷いて複数のハムスターを入れ、客は餌のトウモロコシを付けた糸を垂らし、食いついたところを素早く釣り上げる。1回500円で、餌が外れるまでに3匹釣れば1匹を持ち帰れるルールだったという。

出典:YOMIURI ONLINE

単にハムスターを売る商売ではなく、そこに「釣る」というゲーム性を加えたというわけだ。そんな簡単に釣れるものなのかよくわからないが、これが商売として成り立つということは、いったん餌に食いついたハムスターは釣りあげられても餌を離さない、ということなのだろう。

この商売のどの部分が「動物虐待」と批判されたのだろうか。記事からはそのあたりよくわからないが、読む限りでは、糸で「釣る」という行為が、祭り客から「かわいそう」といわれ、ネットで拡散して「動物虐待だ」との騒ぎになったように読める。

しかしそれは「かわいそう」なのだろうか。

個人的な趣味としては理解できる。自分でも「えーそんなことすんの」と直感的に思いはするが、よく考えてみると、祭りの露店でよくある金魚すくいとはどこがちがうのだろうか。「釣る」という行為にしても、魚釣りは一般的な趣味として社会に広く受け入れられていて、動物虐待だとする主張はほとんど聞かない。ハムスター釣りとちがって釣り針という「残酷」な道具を使っているにもかかわらずだ。釣られた魚は食べるからいいという意見もあるかもしれないが、キャッチ&リリースを旨とする釣りもある(そしてそれを「魚に対してやさしい」行為と考える人もいる!)。釣り堀のような場所での釣りは、金魚すくいやハムスター釣りとよく似ている。それらはなぜかわいそうではないのだろう。

哺乳類と魚類のちがい、というのは確かにある。実際、動物愛護管理法において、魚類は哺乳類とは扱いがちがっている。同法に基づいて環境省が定める「家庭動物等の飼養及び保管に関する基準」をみると、「家庭動物」(愛がん動物又は伴侶動物(コンパニオンアニマル)として家庭等で飼養及び保管されている動物並びに情操の涵(かん)養及び生態観察のため飼養及び保管されている動物)として基準が適用される対象となるのは「哺乳類、鳥類及び爬虫類に属する動物」であって、魚類は含まれていない。

いわゆる社会通念として魚類は哺乳類とくらべて人間から遠い存在だからという理由はあるだろう。人間社会に対するリスクの差もあるかもしれない(これも動物愛護管理法の目的の1つだ。魚類は基本的に水のないところでは生きられないから、逃げ出して人間に危害を加えるなどの事態は通常では考えにくい)。だが、いろいろ考えていくと、なぜ魚だと問題なく許容されることがハムスターだとそうはならないのか、わからなくなってくる。

たとえば、ハムスターではなくてひよこ釣りだったらどうだろう?うずらだったら?亀だったら?ザリガニだったら?(これらの露店は実際にあるはずだ。確かそれなりに批判もあったと思うが今回のハムスター釣りのような物議を醸した例を知らない。なぜだろう?)金魚すくいを「残酷だ」という人を見たことはないがなぜなのか?同じ哺乳類でもかわいいハムスターではなく、薄汚い(失礼)ドブネズミやコウモリだったら同様に「かわいそう」と思うだろうか?カブトムシやトンボだったら?

あるいは、ハムスターを網でつかまえるような露店だったらどうだろう?ワナをしかけてそこに追い込むのだったら?手でつかまえるのは虐待ではないのだろうか?たくさんいる中で気に入ったのを指定して、店の人につかまえてもらう(これなら普通のペットショップと変わらないと思う)のと客が自分でつかまえるのとはちがうのか?ちがうとしても、誰もが納得する境界を決められるのだろうか?

動物をある意味擬人化して「かわいい」とか「かわいそう」とか感じることはよくあるだろう。しかし、そういう目でみるなら、そもそもペットショップの檻に入れられて行動の自由を制限され、金銭で売買されて見も知らぬオーナーの下で生きることを強いられること自体、それが人間なら虐待以外の何者でもない。幼児にハーネスをつけて散歩している人に対する批判を見かけたことがある。もちろんそれは人間だからで、犬を散歩させる際にひもでつながなかったら怒られるのがふつうだが、犬を擬人化したら、これはやはり「かわいそう」の範疇に入るだろう。

実際、個人的には、ペットショップの前を通りかかって、檻に閉じ込められた動物たちをみると、なんともいえない気分になる。同様に感じる人は少なからずいると思う。ペットと心が通じ合えると主張する人がいて、だから自分のところにいるペットは幸せだという。気持ちとしては理解するしそういう例もあるのだろうが、ほんとにそうなのかペットに聞けるわけでもない。逃げられないとあきらめて順応しているだけなのかもしれないし、飼われている方が楽だからという場合もあるだろう。人間の奴隷にだって主を慕い幸せに過ごしていたケースはあっただろうが、だからといって奴隷制度が是認されるべきと主張する人はいないだろう。

逆に、ハムスターが釣られて面白がっていないと誰が判断できるだろう?ハムスター釣りがかわいそうなら、ペットビジネス全体がかわいそうとなぜ考えないのだろうか。釣られるハムスター(彼らは釣られれば新しい主の下で生きるチャンスを得る)に同情するより、動物愛護センターという何とも皮肉な名称の施設で次々とガス室に送られ日々殺されていく数多くの犬や猫たちに同情する方が先ではないだろうか。

もちろん、私たちの多くがハムスター釣りを残酷と考え、魚釣りやペットビジネスは残酷ではないと考えるであろうことは承知している。それを矛盾だとか考えが足らないだとか批判するつもりもないが、この種の問題が、突き詰めるとけっこうあいまいな根拠の上に成り立っていることは自覚しておきたいと思う。私たちの意見は多様なのだ。社会通念に基づいてルールを決めることはよくあることだが、だからといって皆が同じように考えているとは限らない。

釣られるハムスターたちを「かわいそう」と思うことは自由だし、そう主張することも自由だが、「かわいそう」と思う自分を絶対唯一の正義であるかのように考え、そうは思わない人をひとでなしのように罵倒したりするのはどうかと思う。そして、社会全体としてどのようなルールを決めるべきかは、そうした全体を見渡して考える必要がある。気に入らないからといってすぐ行政にいいつけて、行政もちょっと意見を受けたら過剰反応するみたいな状況がよくみられる。本件も行政に「連絡」があったそうだが、法令違反への対処は必要としても、特定の価値観に入り込んであちこちに介入し、社会を窮屈にするようなことはあまりよろしくないと思う。もしハムスター釣りを皆が残酷と思うなら、そうしたビジネスは自然に淘汰されていくのではないか。

駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

専門は経営学。研究テーマは「お金・法・情報の技術の新たな融合」。趣味は「おもしろがる」。

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