Yahoo!ニュース

花見の場所取りはいつから批判されるようになったのか

山口浩駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

桜が咲いて花見のシーズンであるわけだが、こんな記事を見かけた。

花見の場所、500平方mの社名シートで占拠 ネット炎上に日揮は?」(withnews2016年03月31日)

花見シーズン到来中。花見と言えば、頭を悩ませるのが「場所取り」です。会社での花見において、場所取りは「新入社員にとっての初仕事」と言われることも。そんな中、プラント建設大手「日揮」(横浜市)の社員が行った場所取りがツイッター上で「非常識だ」と炎上する騒ぎに。日揮は「非常識と言われても仕方ない行為を社員がしてしまい、世間をお騒がせして誠に申し訳ない」と平謝りです。

花見の場所取りはもちろん今に始まったことではないが、苦情に対して企業が「平謝り」という対応をしたというのは新しいかも?と思ったので、例によって大学で契約している朝日新聞の記事データベースで少し調べてみた。

日本の花見は奈良時代の貴族の行事が起源だそうで、いうまでもなく長い歴史がある。花見で騒ぐのも伝統あることで、鎌倉時代の『徒然草』で吉田兼好はそうした風潮を嘆いていたりする。

第百三十七段 花はさかりに

花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。(中略)よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑なり。片田舎の人こそ、色こく万はもて興ずれ。花の本には、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み連歌して、はては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。

というわけで、花見といえば花の下で騒ぐのがわが日本の伝統ということらしい。この風習が庶民に広まったのが江戸時代だが、私たちが典型的な「桜」としてイメージするソメイヨシノが広まったのは明治以降のことだ。

で、新聞記事。朝日新聞のデータベースは、1879年の創刊以来の記事を網羅しているが、1980年代半ばまでの記事は全文検索ではなく見出しとキーワードでの検索となる。「花見」で検索をかけると、2000件弱ほどヒットしたので、つらつらと眺めながら「これは」と思ったものを見ていく。したがって全部の記事を読んだわけではないのであらかじめ念のため。

「花見」は1879年の創刊当時から記事に登場するが、その時点ですでに、花見で騒ぎを起こして批判されたりすることは当たり前にあった。たとえば1879年(明治12年)4月24日には、京都区裁判所の敷地内で勝手に花見を始めた2人の男性が職員に見つかり大目玉とか、女子手芸学校の教師と生徒が屋形船で花見に出かけた際、船に男らを引き込んでどんちゃん騒ぎをしてはしたないとか、そういった記事が出ている。

この時期に限らず、戦前の花見でのトラブルといえば、酔った花見客の狼藉や風紀の乱れ、すりや置き引き、留守宅への空巣といった犯罪、他人の宴席にもぐりこんで勝手に飲み食いなどが代表的で、毎年のように記事が出てくるが、花見の場所取りでトラブルになったという記事はみつからなかった。

ちなみに、ここでいう「風紀の乱れ」で最も問題視されていたのは「仮装」であったようで、これを禁じる旨の記事がたびたび出ている。つまり、こういうことをする人がたくさんいたということだ。たとえば1899年(明治32年)4月2日朝刊4頁(東京)のこの記事。

「花見風俗取締の標準」

警視庁より各警察署へ内訓せし花見風俗取締の標準左の如し

『制止せらるるもの』男子にして女装を為す者△女子にして男装を為す者△猥褻に渉る器具を携帯する者△文武官の制装に類する扮装を為す者△天狗鬼神、七福神等の如き面を冠りたる者(一見玩弄具たる紙製の阿亀、付け髭、鬘類のものを用ふるハ制止の限にあらず)・・・

以下延々とリストが続く。要するにコミケでよく見るようなコスプレ類はだめなのだね。紙製の安っぽいものはいいとか、なかなかきめ細かい。一方『制止せられざるもの』としては路上芸人等の扮装が列挙されていて、こうした人たちがたくさん来ていたのであろうことがわかる。全体として、あまりうるさいことはいいたくないのだが、と彼らなりに配慮しているっぽいのは、今も昔も変わらないようだ。

閑話休題。要するに、この時期、花見の場所取りやそれに伴うトラブルは、もちろんないはずはなかっただろうが、少なくとも新聞が気にかけるような問題ではなかったように思われる。次の記事は、向島での花見の際のトラブル発生件数を本所警察署が取りまとめたもの。例年に比べて団体客が少なかったなどの理由でトラブルが少なかったらしい。

1902年(明治35年) 4月 16日

「花見に関する事故の統計」

・酩酊者二百六十人

・自転車にて車留の禁を侵したる者十五人

・警官に歩行の道筋を指示せられたる者三千百〇五人

・遺失物届出者五人

・桜の枝を折取りし者三人

・老幼婦女の保護を蒙りし者七百八十八人

・喧嘩口論をなせし者百三十六人

・殴打を為して取り押さへられし者五十人

・異様の服装を為したる者七人

・婦女子に戯れして制止を受けし者十七人

・携帯品に就て特に注意をうけし者二百五十二人

・発狂者二人

・掏摸嫌疑者二人

・酒の猪口を人に勧めて制止せられし者三人

・饅頭の喰かけを人に勧めて制止せられし者一人

・婦人の肩に負はれて注意を受けし者一人

「酒の猪口を人に勧め」るのはまあわかるが「饅頭の喰かけを人に勧め」るってどうよと思うが、まあそれはそれ。

その後戦争の時代に突入すると、いうまでもなく花見の記事は激減する。そして戦後。花見は再び、庶民の娯楽として復活し、各地で楽しまれるようになる。花見の名所といわれる場所にはこれまで以上の人が集まるようになる。それに伴って問題になったのは「マナー」。政府が押し付ける「風紀」ではなく「マナー」が持ち出されるのが面白い。たとえばこのコラムは、外国旅行を終え帰国した記者氏が花見に行った際のことらしい。

1954年(昭和29年) 4月 10日

「道義の再建」

花見客の一人一人が食物を包んで来た紙を、平気で棄て、しかもその紙クズの中で酒を飲んで愉快そうに踊ったり、ケンカをしたりしているのである。外国から帰ったばかりの私には、これは大きなショックであった。

外国を持ち出して「だから日本人は」とやる論法は今でもあるが、このころのは実にストレートだ。マナーの話はその後も引き続き問題になるのだが、依然として、場所取りが記事に取り上げられることはない。しかし、1960年代に入ると少し雰囲気がちがってくる。1965年のこの記事。

1965年(昭和40年) 4月 11日

「上野公園のお花見 どっと30万人 手拍子、歌声、どなり声 森に爆発するエネルギー」

午後六時から十時ごろにかけては、上野公園全体が「ウワーン」とうなっていた。手拍子、歌声、どなり声、パトカーのサイレン…。そんなものが一つになってのざわめきである。

車座は何千組、何万組とできている。その半分ぐらいが、同じ職場のグループのようだ。

(中略)

警備の上野署員が「こんなに元気のいいお花見ははじめてみた」とおどろいていた。「それにしては、けんか、けがなど事件がない」とも感心していた。

この記者氏がどうやって「同じ職場のグループ」かどうかを判断したのかはわからないが、まあ会社員ぽい服のグループということなのだろう。こうした描写はそれまでの記事にはみられなかった。職場の仲間で花見に行くことはそれ以前にもあったのだろうが、以前の記事によく登場していた「花見連」という表記がこの時期にはみられなくなる。少なくとも上野公園のような花見の名所においては、この時期以降、職場のグループ、あるいは会社単位での花見がかなりの割合を占めるようになっていったのではないか。「けんかが少ない」というのも、職場の同僚同士が増えてきた結果なのかもしれない。

それは、高度成長期(実際には1965年当時は証券不況と呼ばれる時期だったのだが)において、会社が都市の大人たちのコミュニティとしての存在感を強めていったという事情もあるのだろう。もしそうだとすると、と想像を巡らせてみる。家族や近所の仲間とちがい、職場には明確な上下関係がある。こうした職場の上下関係が花見に持ち込まれ、職場の準公式行事になったことが、花見の場所取りを加速させたのではないか。ちょうど都合よく、4月といえば、入社したばかりで仕事の役には立たない新入社員もいる。「初仕事が花見の場所取り」というのは、かつて(今も?)はよく聞く話だったし。

そして80年代に入るとようやく、場所取りが記事に登場する。上野公園の話。

1988年04月01日 朝刊

「サクラ咲く カラオケ花見に風情散る(金曜ひろば) 」

明るいうちから宴席を確保する場所取り合戦は同公園では15年ほどまえから、自然発生的に見かけるようになった。新入社員風の若い背広姿が、何時間もの間、じっと確保した縄張りで頑張る様子は、いまや花見の風物詩として定着した。ところが、ここ3、4年、公園の管理所に「場所取りはどうしたらいいでしょう」という問い合わせが増えてきた。

大半が若い男性で、ほとんどが職場グループの新米幹事らしい。場所取り合戦の実態を知らない。中には「申込用紙はどこにあるの?」「抽選はいつ?」と聞いてくる人もいる。

この種の電話は2月の末からぼちぼち出始め、3月中旬以降の週末ともなると、電話がパンクしそうになるほど。管理所では、そうした問い合わせにもいちいち、「場所取りは公園の清掃が終わる昼から。早い者勝ちです」と答えている。

15年ほど前といえば1973年ごろということになろうか。オイルショックの時期にあたる。上の記事で、かつてないほど花見が盛り上がるようになったのが証券不況の最中であったことを考えあわせると興味深い。不況になると花見が盛り上がる法則でもあるのだろうか。次第に場所取りはエスカレートし、朝から始まるところも出てくる。「仕事」なら失敗は許されないから、どんどん競争が激化するわけだ。次の記事は福岡城跡(舞鶴公園)の話。

1990年03月25日 朝刊

「初仕事、桜の下で『孔子』読む」

初仕事が花見の場所取り。これが毎年、新入社員の仕事とか。この日は、朝から弁当持参で、かれこれ5時間以上も座り込んでいるという。

公園を管理する福岡市緑地課は「場所取りを商売にするなら別ですが、自分たちで楽しむ分には、慣習にもなってますし、大目にみています」。トラブルもないそうだ。

とはいえ注目すべきは、場所取り自体を問題視する視点がこれらの記事にはみられないことだ。これはその後も、今でも多くの記事に共通している。つまり、場所取りは基本的には「苦労話」なのであって「迷惑行為」としては扱われていない。

それが変わってくる兆しが見え始めるのが1990年代。記事ではなく、投書欄だ。

1992年04月19日 朝刊 声

会社の花見が風情ぶち壊し(声)

桜が満開だった過日、午前中に浅草の墨田公園へ行きました。電車の窓から見た桜並木は、とても壮観で、近くで見たらもっときれいだろう、と楽しみにしていたところ、桜の木のそばへ行って興ざめしてしまいました。早朝から場所取りのためのビニールのひもが桜の木から木へ縦横に張りめぐらされて、下には青いビニールシートが敷かれ、立ち入ることはできません。

1993年03月19日 朝刊 東海総合面

○花見にそぐわぬ場所取りやめよう

もうすぐサクラの季節。私の住む桑名の九華公園でも、四月一日からサクラ祭りが始まりますが、今年からはぜひ自粛してほしいことがあります。昨年春、尾鷲の両親が桑名を訪ねた時に花見に行きましたが、夜の宴会を当て込んで、日中からビニールテープを木から木へ結んでの場所取りです。

通路部分以外びっしりテープを巡らせ、会社や町内会などの札を掲げた風景は何とも異常で、風流な花見に背くものです。市や観光協会に、こんな無粋なことはさせないような対策を、と申し入れましたが、どうしようもないと言い、今年も野放しになりそうです。しかし、こんなみっともない陣取り合戦はぜひやめて、だれもが等しく花見が出来るようにしたいものです。

1996年04月11日 朝刊 福岡

かけ橋 はなしの広場・11日

私たち老夫婦には、毎年、花見に行く公園があります。すり鉢状になった公園には、土手に桜の大木が何十本も、それは豪華に咲くのです。車ですと、家を出て、十五分くらいしかかからないし、とても手ごろなところです。今日はやっと天候にも恵まれ、夫と花見に行くことに決めました。

簡単な手作り弁当を用意して出かけました。平日だから、見物人も少ないだろうと思っていましたから、まだ昼前というのに、あちらもこちらも場所取りに大変です。もはや老人が腰を下ろす余地もありません。

疲れたので、青いシートのところにちょっと腰を下ろすと、お兄さんが来て「ここはわれわれの場所だ。腰かけてはいかん」と言うのです。

1999年04月05日 夕刊

○花見気分台無し、不愉快な場所取り

名城公園へ出掛けたところ、シートを敷いたり、くいとロープで囲ったりした、各会社の場所取りがしてあった。夕方からの花見のためだと思うが、公園に来た人は気分を壊していた。いかにも他の人のことを考えない行為だと思う。

個人からの情報発信であることが注目される。花見が企業の準公式行事となることではじき出された個人が不満を訴えている。考えてみると、バブル期に企業としての花見が大規模になっていったのかもしれない。「かもしれない」というのは、個人的にそうした経験がないからで、当時私は会社員だったが、私の職場ではこうした典型的な花見は行わなかった。桜の名所を歩いて桜を見る前か後に近くの店で宴会をする、といったかたちだった記憶がある。しかしテレビなどで見た当時の花見は、まさにこうした企業や職場ぐるみのものだった。財布のひもも緩かったし。

しかし、こうした声が届いたのか、次第に場所取りへの風当りは強くなっていく。場所取りを禁止あるいは制限する会場が出てきたり、新聞でも場所取りのマナーを呼びかけたりするようになってくるのだ。

1998年04月03日 朝刊 愛媛

「どうする花見の場所取り 道後公園売店のサービスに県、渋い顔」

県内はどこも花見が真っ盛り。ただ悩みは場所取り。松山市の道後公園では、無料の場所取りが人気だ。公園内の売店に頼めば場所を確保してくれる。おかげで無用な場所取り競争がなくなり、ごみの持ち帰りの呼びかけにも応じてくれるようになったとか。しかし、公園を管理する県は「公園はみんなもの」とサービスに渋い顔。かといってサービスがなくなれば無秩序になりそうだし……。うーん、難しい問題だ。

2000年04月12日 朝刊 富山

「花見の陣取り、遊び場を占拠 富山市の城址公園」

県内の桜も見ごろ。富山市の松川べりや富山城址(じょうし)公園では、花見の「陣取り合戦」もにぎやかになってきた。だが、一角はブランコなどがあって子どもたちの遊び場となっているため、同市は「せめて場所取りは夕方から」と呼びかけているが、効果はさっぱり。

2000年04月26日 朝刊 宮城

「せっかくの桜が台無し 仙台の公園、お花見「景観論争」」

「まるでプロレスのリングみたい」。連日、お花見でにぎわう仙台市内の公園で、ビニールテープを張り巡らした「場所取り」の方法に「見苦しい」といった批判の声が上がっている。

2001年03月29日 朝刊

「今年のサクラは早い 関東いま満開、東北、東海もう少し」

また、マナーとしてごみ袋の持参は必須(ひっす)。飲酒禁止・場所取り禁止などのルールを守るのは当然だし、カラオケなどは周囲の状況を見て。

2001年04月13日 朝刊 宮城

「楽しい花見“守り隊” 仙台・西公園で地元住民ら巡回」

桜の開花宣言があり、待ちに待ったお花見シーズン。花見の名所・仙台市青葉区の西公園では今年から、地元町内会などが中心となって、桜の木にテープを巻き付けるなどの悪質な「場所取り」を取り締まることになった。

2003年03月08日 朝刊

「お花見を前にマナー点検 迷惑な席取り、カラオケ(お作法不作法) 」

毎年約160万人の花見客がつめかける東京都台東区の上野公園が決める主な花見のルールは四つ。席取り禁止▽火気の使用禁止▽発電機によるカラオケ禁止▽ゴミはなるべく持ち帰る。

2003年03月23日 朝刊 鹿児島

「マナー守って楽しんで 花見の季節到来(南北600キロ)」

市が昨年、場所取りや宴会時間、炭火の使用、駐車など7項目にわたるルールを作ったのは、周辺が住宅地で病院も多く、例年、苦情が絶えないからだ。

場所取りにロープやビニールひも、鉄筋の棒を禁じるなどルールは詳細にわたる。弁当を広げてこぢんまりと夜桜を楽しんだ時代は終わり、バブル期以降、業者が宴会を準備するなど大がかりになったためだ。

2008年04月05日 夕刊 

「お花見ゴミ、ゴミ 場所取り競い、残飯の山 福岡・西公園で徹夜ルポ 【西部】」

場所取り合戦や、ごみ放置対策に乗り出した所もある。福岡市中央区の天神中央公園は昨春から、敷地を区割りし、利用者は管理事務所あてに名前と連絡先を記入した書類を提出する届け出制を導入。以後は場所取りをめぐるもめ事もなくなったという。

2014年03月29日 朝刊 大阪市内

「大阪城で夜間花見の場所取り予約制度 /大阪府」

桜の名所・大阪城公園西の丸庭園では今年から夜間の花見の場所取りの事前予約制度を導入した。10人以上の団体向けに「絶景エリア」を設置。入場チケットや飲食クーポン付きで1人3千円で販売している。

庭園では4月13日まで300本の夜桜を楽しめる「大坂城 夜桜イルミナージュ」を開催。庭園は午後5時にいったん閉園するため、例年のように夜桜の鑑賞のために早朝からの場所取りをすることはできなくなった。

というわけで、ざっくりいうと、

◎企業の花見は1960年代以降

◎70年代に始まった場所取りが80年代に激化

◎90年代に批判の声が上がりはじめ

◎2000年代に入って対応が進んだ

といった流れになるだろうか。もちろん例外はたくさんあるだろうし、そもそも場所取りへの批判は今でも全体からみれば一部の目に余るケースに限られている。しかし、企業が場所取りを批判されて謝罪したという記事は、今回調べた範囲では初めてだ。近年のスマートフォンなどの携帯端末やソーシャルメディアの普及は、企業による場所取りに対してかつてない逆風となっているとはいえるのではないか。花見で騒ぐのがわが国の伝統なら、それを批判するのもわが国の伝統だ。そして後者の声は次第に大きくなりつつある。

かつて個人の声が、新聞への投書など限られた手段でしか上げられなかった時代とは、明らかにちがってきている。今回の日揮のケースは、まさにそうした流れを象徴するものといえるかもしれない。

もっとも、日揮が「撤退」した後には清水建設が「本気の花見」を展開されたようで。さすがにゼネコンは批判耐性が強い、ということだろうか(建設反対運動なんかにも慣れてるだろうし)。大規模にケータリング業者が入ってるところからすると、あらかじめ日程調整をしていたのかもしれない。

日揮が敗北した掃部山公園の場所取り合戦でラスボス感漂う清水建設が見せた“本気の花見”」(市況かぶ全力2階建)

写真でみる限り、どうみても「業務」としてやってるとしか思えないのだが、企業が事業の一環として市有地たる公園の敷地を大規模に占有するというのであれば、しかるべき対価を支払うのが当然かと思う。会社名を隠すというのは批判を恐れてのことだろうが、そんな後ろめたい思いまでして花見したいかね?そんなにまでして飲む酒がうまいのかねえ。

まあ個人的にはそういう花見に興味はないのでどうでもいい話ではあるが、今後風当りはさらに強まっていくだろうとは思うので、より建設的な方向に向かうといい。花見場所を管理する側としては、有料化するとしてもなかなか人出や事務処理が難しいということもあろうが、こういうところこそ、UberだのAirbnbだのみたいな事業者が間を取り持ってあげるといいのではないか。一定規模以上のグループからは金をとる、みたいな対応をすれば、個人と企業とを分けられそうだし。

というわけで、調べる途中で他にもいろいろ面白いネタを見つけたのだが、別件になるのでそれはまた改めて。

駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

専門は経営学。研究テーマは「お金・法・情報の技術の新たな融合」。趣味は「おもしろがる」。

山口浩の最近の記事