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尖閣諸島はやがて中国の領土になる

山口一臣THE POWER NEWS代表(ジャーナリスト)

またも中国にしてやられた―――。

尖閣諸島問題に端を発する日中外交ゲームの帰趨をひとことで言うとこうなるだろう。実際、ある中国政府当局者は私の情報源にこんなホンネを漏らしている。

「今回、我々のやりたかったことはすべてできた。野田(佳彦=首相)と石原(慎太郎=東京都知事)に感謝したいくらいだ」

これはいったいどういうことか。

日本では連日、中国国内の反日デモのようすが大きく報道されているが、これは中国政府の目くらましと言ってもい。

デモが拡大・増殖したのは、中国政府がインターネットの規制を意図的に緩和したからだ。ネットを通じて呼びかけられる反日デモの情報は、いつもなら当局によって削除された(「反日」という文字列がスクリーニングされている)。それが今回はなされなかった。公安(警察)も「愛国無罪」を掲げるデモ参加者を積極的に取り締まろうとはしなかった。

一部で暴徒化、略奪などがあったものの、デモはある意味、中国政府のコントロール下にあったといえる(官製デモだったという意味ではない)。

それが何より証拠には、中国で「国恥の日」とされる柳条湖事件(1931年)のあった9月18日をピークにデモは沈静化へ向かっている。中国政府はデモに対する規制を徐々に強めながら10月1日の国慶節(建国記念日)を迎え、10月中旬に開催される10年に一度の共産党大会を迎える態勢を整えるつもりなのだろう。

この間に中国は尖閣諸島の”主権奪還”に向け、着実に駒を進めていた。

野田政権が9月10日に尖閣諸島のうちの3島の国有化を宣言するやいなや、中国政府は中国の領海法に基づき、尖閣諸島の周辺海域を「領海」とする基準線を新たに決め、13日にはこの基準線に基づく「新海図」を国連に提出した。さらに16日には国連海洋法条約に基づき、尖閣諸島を含む沖縄トラフまでを自国の大陸棚だとする大陸棚設定案を国連の大陸棚限界委員会に提出した。日本ではあまり注目されていないが、このことの意味は小さくない。

中国はこれまで尖閣諸島の領有権を主張しながら周辺海域を領海とする基準線までは引いていなかった。言葉を代えれば、周恩来=トウ小平ラインが日中国交回復の際に約束した「棚上げ論」を守り、日本の実効支配を認めてきたといってもいい。「棚上げ論」に従えば、中国が実力で島を取りに来ることもない。中国(とくに軍部)にとって「棚上げ論」はできれば破棄してしまいたい古証文だ。しかし、中国近代化の偉人たちが決めたことを、そう簡単に覆すわけにはいかない。いまや世界第二位の経済力を誇るようになった中国のジレンマだった。

それをいとも簡単に解いてくれたのが、野田首相の“思いつき”国有化だ。

中国はこの好機を逃さなかった。中国政府は「先に行動を起こした(悪い)のは日本側だ」ということを繰り返し国際社会に訴え始めた。8月15日に香港の活動家が尖閣諸島の魚釣島に上陸したが、それはあくまでも民間人の行動で、中国が政府として自ら積極的に行動したことは一度もない。仕掛けてきてのはあくまでも野田政権だ。だから「このツケは日本政府が自ら負うべきだ」と。

わたしは尖閣諸島国有化の方向性自体は間違っていないと考えるが、時期とやり方が最悪だった。9月18日は中国で反日感情がいちばん高まる満州事変のきっかけとなった「国恥の日」、29日は日中国交回復40周年、そして10月に入れば10年に一度の権力交代となる中国共産党大会が控えている。なにもこんな時期に中国人の感情を逆なでするようなことをやらなくても、と中国の指導者ならずとも思うだろう。

中国長春市生まれで中国要人とのパイプがあり『チャイナ・ジャッジ』『チャイナ・ナイン』(共に朝日新聞出版)などの著書で知られる筑波大学名誉教授の遠藤誉によると、中国のスイッチが入ったきっかけは9月9日にAPECで行われた野田と胡錦濤主席の「立ち話」会談だったという。中国はそれまで日本の購入計画に対して抗議はするものの、最後は野田が抑制的な判断をするとの期待を寄せていた。日本政府が東京都の上陸申請を許可しなかったことを高く評価し、「賢明な判断」だとして中国国内で繰り返し報道されていた。

こうした流れの中で胡錦濤は、国交回復40周年を控えた「日中関係の発展を守る」という立場から、他の国からの多くのオファーを断ってまで、野田と会う時間をつくった。わずか15分だが、直接会って、中国の立場を伝えたかった。とにかく時期が悪過ぎる。胡錦濤は野田に「中国政府の領土主権を守る立場は絶対に揺るがない。日本は事態の重大さを十分に認識し、間違った決定を絶対にしないようにして欲しい」とクギを刺した。

このやりとりのニュース映像を見た人は、野田が伏し目がちで胡錦濤の顔を直視できていなかったことを不思議に思ったかもしれない。島根県の竹島に不法上陸した韓国の李明博大統領には満面の笑みで手を差し伸べていたのとあまりに対照的だった。

野田には”後ろめたさ”があったのだろう。胡錦濤との「立ち話」の翌10日、中国側のすべての配慮を無視する形で野田政権は尖閣諸島の国有化を宣言してしまう。なぜ、そんなに急いだのか。 なぜもっとうまく、ずる賢く、できなかったのか。

野田がこのタイミングで国有化を決定した背景には、民主党代表選で「毅然たる外交」の姿勢を示したかったからだとの指摘がある。政府が国有化宣言をした10日は民主党代表選の告示日でもあり、野田は公約に〈領土・領海の防衛に不退転の決意で臨む〉と掲げ、〈尖閣諸島の国有化〉と明記していた。要は選挙目当てなのである。わたしたち有権者は政治家が領土問題を使って自らの利益を得るような行為を許してはいけない。野田による選挙目当ての“思いつき”国有化は、万死に値する利敵行為だったといってもいい。

それは結果を見れば、明らかだ―――。

(1)まず、「尖閣に領土問題は存在しない」という日本政府の立場が通用しなくなった。一連の騒動を通じて「尖閣に領土問題は存在する」ことが世界の常識になってしまった。中国にとって、これだけでも大きな大きなポイントゲットだ。

(2)さらに、周恩来=トウ小平ラインが日本の実効支配を認め、中国の行動に縛りをかけ続けていた「棚上げ論」が”日本側の責任”によって破棄された。これは中国にとって望外な得点だったはずだ。

(3)この「棚上げ論」破棄を受けて、中国は尖閣周辺海域を自らの領海とする新たな基準線を引き、それに基づく「新海図」を国連に提出した。中国の国際社会へのアピールと法的手続きが一歩も二歩も進んだ。

(4)こうした手続きの延長で、中国政府は海洋監視船などの公船による尖閣海域への定期的パトロールを決めた。これまで同海域に中国の公船が現れるのは、不定期で最大でも2隻だったが、国有化後、最大で11隻もの公船がやってきた。

野田の再選と引き換えに日本が失ったもの(中国が得たもの)はあまりに大きい。これを国有化前の状態に戻すのは不可能かもしれない。

わたしは、中国は実は、これを狙っていたのではないかとさえ思っている。日本の尖閣購入計画に対して表向き激怒しながら振り向きざまに舌を出していたのではないか、と。とくに、石原慎太郎が国際政治の主舞台であるワシントンの講演で購入構想をブチ上げたことは中国に大きな利益をもたらしたはずだ。なぜなら、尖閣諸島の領土問題が国際社会で注目を浴びることは中国にとっては都合のいい話だからだ。

石原は講演後、「これで(日本)政府に吠え面かかせてやるんだよ」と満足げに語ったそうだが、中国政府はシメシメと思ったに違いない。

中国は実に長い時間をかけ、しかし確実に尖閣を取ろうとしている。

中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは1970年代になってからだ。日本政府(外務省)は、国連の海洋調査で石油などの海洋資源の存在が確認されたため、中国が急に言い出した(だから、ずるい)という立場をとっている。たぶん、それはそうなのだろう。それ以前の中国では、中国が主張する「釣魚島」ではなく「尖閣諸島」と書かれた地図さえ売られていた。日中国交正常化交渉の際には周恩来自身が「石油が出るからこれ(尖閣諸島)が問題になった。石油が出なければ問題にしない」と認めている。しかし、中国の超長期戦略はそこからスタートしていたのだ。

まず、日中国交正常化交渉で「棚上げ論」を持ち出し時間を稼いだ。「棚上げ論」は前述のように日本の実効支配をそのままに、領土問題は「棚上げ」しようという日本にとってはきわめて都合のいい解決策だ。しかし、逆にいうと「棚上げ」している間は未来永劫、領土問題が存在しているということにもなる。

中国はこの「棚上げ」した40年という時間を使ってまず、領有権主張の根拠となる理屈をつくりあげた。絶海の無人島がそもそも誰のものであったかという理屈など、後からいくらでもデッチあげられる。太古の文献に記述があるとかなんだとか、なにしろ4000年もの歴史のある国だ。探せば史料はいくらでも出てくる。中国はこの理屈を使って40年間、中国国民を教育し続けた。気の遠くなる作業である。

しかしその結果、ほとんどすべての中国人が「釣魚島は中国固有の領土である」と信じて疑わなくなった。つい数十年前まで「尖閣諸島」と書かれた地図を使っていたにもかかわらず。これに対して、日本の義務教育では「尖閣は日本の領土」などと教えられることはない。この差の蓄積が40年分、中国側にはある。尖閣諸島に対する国民レベルの熱意では、日本は明らかに負けている。

この間、日本は「棚上げ論」にあぐらをかいてほとんと何もしてこなかった。自民党政権時代から、間抜けなほどにたくさんのチャンスも見逃してきた。

中国は、時に活動家を使い、時に漁民を使って小さな牽制を続けつつ、40年をかけて経済力を伸ばし、軍事力を強化・近代化した。能ある鷹は爪を隠す。だが時として牙を剥き出しにすることもある。江沢民政権時代の1992年、中国は「中華人民共和国領海および隣接区法」を制定して「 台湾及びその釣魚島を含む付属諸島は中華人民共和国の島嶼である」と初めて明文化した。しかし、日本政府はあくまでも「尖閣に領土問題は存在しない」との立場から、形ばかりの対応しかしなかった。

中国は自らの国力を強化しつつ、「次」のチャンスを虎視眈々と狙っていた。そこに飛び出したのが石原発言であり、それに続く野田の“思いつき”国有化だった。結果、戦略なき日本の領土政策を前に、ひとり中国側が二歩も三歩も駒を進めてしまったというわけだ。このことをしっかりと自覚しなければ尖閣諸島はやがて中国の領土になってしまうのではないか。そんな危機感さえ、わたしにはある。

中国はこの先、さらに40年、50年という長期的時間タームで尖閣を取りに来るだろう。自分の目先の利益のために領土領土問題を利用しようという政治家のいる日本とはレベルが違う。日本はこれにどう対処すべきなのか。

勇ましいこと、威勢のいいことを言うのは簡単だが、 「力」だけで領土を守ることができないことを、今回の事態を体験したわたしたちは肝に命じるべきだ。与野党を問わずテレビに出てくる政治家の発言を聞いていると正直、心配になる。相手はわたしたちが考えるよりもっとしたたかでずる賢い。そして、わたしたちより本気である。中国も韓国も、そしてロシアも……。

領土を守るとはどういうことなのか。にわかに起こった尖閣・竹島問題が、日本人がこの問題と真剣に向き合う機会になってくれればいいのだが。(敬称略)

【NLオリジナル】news-logよりhttp://news-log.jp/

THE POWER NEWS代表(ジャーナリスト)

1961年東京生まれ。ランナー&ゴルファー(フルマラソンの自己ベストは3時間41分19秒)。早稲田大学第一文学部卒、週刊ゴルフダイジェスト記者を経て朝日新聞社へ中途入社。週刊朝日記者として9.11テロを、同誌編集長として3.11大震災を取材する。週刊誌歴約30年。この間、テレビやラジオのコメンテーターなども務める。2016年11月末で朝日新聞社を退職し、東京・新橋で株式会社POWER NEWSを起業。政治、経済、事件、ランニングのほか、最近は新技術や技術系ベンチャーの取材にハマっている。ほか、公益社団法人日本ジャーナリスト協会運営委員、宣伝会議「編集ライター養成講座」専任講師など。

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