地方経済の崩壊とどう向き合おうか?(雑記

山本一郎です。東京生まれの東京育ち、生粋の江戸っ子です。口が悪くてすみません。

ところで、仕事で起きていることをぶちまけるのはいろいろしがらみはあるんですが、公論として喚起してよいとのことなので、抽象論を雑記風に書いてみます。

言うまでもなく東日本大震災は大きな爪痕を現地被災地だけでなく、日本経済全体に及ぼしたのは言うまでもありませn。被災地福島では、被害に遭われた方がいまなお厳しい暮らしを続けておられるということで、深い同情を寄せたいと思っております。

で、震災から三年が経ち、経済面で起きていることは結構な特徴的な事態でして。簡単に書くとね、被災地のある地域の総収入に占める、

年金支給の割合が75%。

つまり、地域で暮らしている人たちの93%以上が、年金生活者。残る7%は、その親族やヘルパーなどの従事者。持っている資産は、簿価としては有価だけど、働き手のいない農地や、管理されていない山林。要は、無価値。

不自由な被災地に置き去りにされたのは、住み慣れた土地を出ることを拒否した人たち。

というと聞こえはいいけれど、逆の意味で言えば、どこに住んでいても年金をもらえる人たちでもあります。彼らの選択として、先祖代々からの地で死ぬことを選んだ。

しかしですな。その地域は、かつてはそれなりの人口を抱える田園地帯でありました。学校があり、若者がいて、将来に渡っって人が暮らすことを前提に、金融機関があり、郵便局があり、農協があった。人口の減少は大震災とは関係なくすでに始まっており、自治体としての機能は震災があろうがなかろうが、人口の減少とともに喪失していたことでしょう。

そして、その地域に対して貸し付けられてきた制度融資や公的保証の総額は、少なく見積もっても800億円。つまり、地域が税収を元手に、あるいは保証してくれている関連の金融機関に返さなければいけない負債、元金です。

もたないわけですよ。少なくとも、自治体としては破綻するしかない。

ただ、それ以上に厳しいのは、破綻が遅れるほど、返されるアテのない自治体を維持するために、中央から資金を投下しなければならないことですね。言うなれば、生命維持装置がついている末期患者みたいなものであって、もうすでに生きて帰る見込みのない人に、高額医療を突っ込むことの是非とも言える。

いまから人口を増やせと言っても、自然増はあり得ません。向こう15年のうちに老衰やご病気が理由で四桁が三桁になります。そこに、千人以上の子供が生まれるはずもなく。あるいは、どこかから住民を連れてこようにも、その地域は人口減少に見舞われるわけですね。マイナスサムゲームであります。そして、人口を増やすにはまず仕事がなければいけない。

かの最悪な大震災は、この手の高齢化が地域に起こす現象の、時計の針を進めてくれました。若い人は仕事と希望を求めて地域を去り、年金生活者だけが負債を増やしながら自治体とともに自死する姿が。

先月、社会活動家の湯浅誠さんとの対談で、その障りの部分だけ論じたんですが、大きな反響をいただきました。いままで地域経済を維持するために箱物行政を散々やって借金を作ったけど、今度は地域経済を担い返済してくれる国民がいない、という事態になるわけです。当たり前ですね、夢も希望も持てない土地に、若者が粘って居座る必要はないとも言えるんですから。仕事があり、家庭が築ける地域に移動するのは人として当然のことであって、人間としては合理的な行動です。

2030年、老人も自治体も尊厳死しかない(東洋経済オンライン 140730)

その合理的な行動の積み重ねが、輝かしいはずの過去の政策を未来の負債とし、管理されない田畑と、それを担保に貸し出した資金は巡り巡って国家全体の負債としてのしかかってくるわけですよ。個人個人の行動としては誠に合理的であったが、社会全体としては需要予測を狂わせ、生産しない資産を作り上げ、返すアテのない借金が残ったということです。

そうなると、残り少ないリソースを未来に向けた再生産に回し、より合理的で効率の良い体制を作っていかなければならない。これはこれで当然なことです。しかし、合理的な選択を取ろうとするほどに、その合理性からこぼれ落ちる人や地域は確実に出る。見捨てられる。だって、生産しない人に充てられるケアは、見返りがないでしょう。極論を言えば、子供に手を掛けることで未来の働き手として価値を社会に還元することは可能でも、老人に手当を熱心にしたところで起きることは死ぬことだけです。夢を見る人は老人のケアで社会に利益が得られると考えるけれども、生産しない人にコストはなかなかかけられない世の中になっていくでしょう。

この問題の一番厄介なことは、解決しないことです。それこそ、財政でも破綻して強制的に社会保障費用をカットするとかいう事態にでもならない限り、政治的に解決させるのは大変な困難を伴います。だって、いまの政治が日本国民に対して「もうカネがなくなりました。高齢者向けの医療は削減します。80歳以上の医療費は自分で払ってください」とまでは言えないでしょう。

本当の意味で、痛みを伴う改革というのはこういう問題への対処であろうし、実際に我が国はその段階までもう来そうなのだとも言えます。ただ、日本の現状で言うと、残念ながら「どっちがより良いか」ではなく「どうすればまだマシか」「苦しみが少ないか」といったペインコントロールのような政策しか取りようがありません。効果が薄くとも少子化対策もやり、行政改革も進めていく必要があるのでしょうが、2020年ごろから今度は都市部の高齢化が大変なことになり始めます。いままで高齢化は地方の問題だったけど、ついに日本の中心も猛烈な高齢化が進んで、同時に団塊の世代の後期高齢者入りを始める。農協が破綻したり、本気で自治体が擦り切れるように消滅していくとき、そこにかけた負債はどうやって返済していくのでしょうか。

このあたりは、かなりのディストピアであって、その先行指標は言うまでもなく地方経済の破綻です。立ち上がろうにも起き上がれない自治体がが出てきたとき、「これはもう再起の見込みがないのだ」と誰が引導を渡すのか、残酷なようだけどみんなで考えておかないと全部がダメになってしまうんじゃないかと思うわけですね。

湯浅さんとの対談では少し丸く「尊厳死」って書きましたけど、実際には「壊死」とかって表現だと思うんですよね。部位を切断されるほどに、腐って死ぬような意味合いにならざるを得ないので。

対応策を合理的に考えよう、と言う場合には、どうしても国家や社会のビジョンというものが大事になってきます。「富国強兵」とか「技術立国」にも匹敵するようなナショナルアイデアがあってこそ、政策の取捨選択や優先順位が決まってくる、というのは国家が難局に直面し、一層の経営的観点や能力が必要になってきているからだと思いますが。

国家経営がうまくいかないと、地方経済が壊死するぐらい悲惨な状況が待っているのだと分かった上で、日々を丁寧に生き抜いて行くことが大事だと思います。