茂木健一郎先生と小保方問題その他で対談したんですが、話が噛み合いませんでした

アナーキストを自認される茂木先生に自説を説き玉砕するわたくし

山本一郎です。私は薄毛ではありません。

ところで、先日も私は某さんと話の噛み合わない議論をしたばかりでしたが、茂木先生との差異は後から読み返すと何に価値を置くかの違いだったように思うわけです。

先日折りがありまして茂木健一郎先生と対談する機会を頂戴しまして、あれこれ話をしたんですよね。もともとは「茂木せんせって、何であんなにTwitterで炎上してんすかwww」という自分を棚に上げたようなテーマを引っ提げて、直接ぶつけてみました。

そしたらですね、意外に茂木先生、炎上は気にしつつも議論の道筋はかなりしっかりと考えて発言しておられるわけです。脊髄反射なんじゃないですか、という内容でも、茂木先生なりのお考えというのがありまして、単純にクズ馬鹿死ねとは言ってない。取り組むものとして、発展的に何をしていくのか前向きに考えながら、小保方問題も「しょうがないだろ、そうなっちゃったんだから」という次いこ次的な割り切ったアプローチを持っていらして、印象的でした。私だったら、第三者なりに状況調べて、次このような問題を起こさないようにするにはどうするか、という「着地」を考えるわけですが、茂木先生はきれいにその辺をスルーして、生産性を上げることに徹底してフォーカスしておられる。

私の『人間迷路』という別の有料メルマガでも対談のシリーズをやろうよという話になったんですが、てっきり茂木先生とは熱い議論の果てに「バーカ」「お前こそバーカ」っていう流れになることも危惧していた分、随分と前向きで分かりやすく、ネットにいる馬鹿の話から「日本をどうやって発展させていくのか?」とか「ネトウヨってどうしようもないんじゃないの」などといった明るい流れになっていて興味深かったです。

並んで座ると同年代にしか見えないと評判の老け顔をさらすわたくし
並んで座ると同年代にしか見えないと評判の老け顔をさらすわたくし

人気が出るようでしたら、調子に乗って当ヤフーニュース個人でも有料配信でもしてみようかしらと思う次第でありますが、対談冒頭のところを以下に掲載いたします、皆さまどうかご笑覧ください。

■ネット論者は空気読みすぎ!

山本:いきなりですけど、茂木さんってものすごくウェブの世界から誤解されていて、私から見ると、とても損をしていると思うんです。例えば、小保方さんの博士論文に対して早稲田大学が調査を行った結果、「不正はあったものの博士号の取り消しには該当しない」と決定したことについて、茂木さんは「きちんと調べてそうなら、いいんじゃないか。なぜ取り消さない、といきり立つのは、非論理なファシズム」とツイートされていましたよね。あれって、理論的には本当に正しい側面もあると思うんですよ。でも、あのつぶやきだけ見ると、まるで茂木さんが早稲田の肩を持って、問題を有耶無耶にしようとする”体制側”によっているかのようにも見える。茂木さんが誤解されてしまうのは、こうしたほんのちょっとした言葉の足りなさではないかと思うんです。これはわざとやられているんですか。

茂木:うーん、僕はただプリンシプル(基本原則)を書いているだけのつもりなんですけどね。日本の言論スペースって、みんなすごく空気を読むのがうまいんですよね。誰も彼もが空気に沿った発言をする。

今回の小保方さん学位問題にしても、池田信夫さんがブログに「早稲田大学が小保方氏の博士号を取り消さなかった処分については、茂木健一郎氏以外のすべての大学関係者が批判しているが……」みたいなことを書かれて「ええ! 俺以外みんな批判しているんだ」と驚いたんです。まあ、池田さんもすべての大学関係者に意見を聞いたわけじゃないだろうけど。でも、確かに今回の小保方さんの学位の問題について、ほとんどの大学関係者は早稲田大学を批判していた。僕に言わせれば、その構造がすごく不思議なんですよ。いろんな意見の人がいていいはずなのに、しかも大学のような本来であればもっとも自由な発言が許される場所にいる人たちが、付和雷同というか、世間の空気に沿った同じ意見を述べている。これはどう考えてもおかしいですよ。

確か山本さんも早稲田の対応については「あれはダメだ」って書いてましたよね。

山本:彼女にはいわゆる「サークルクラッシャー」的な面があったと思うんですよ。自分のポジションを作るためにいろんな男性の側につく。それで実際に、ハーバードに留学できたり、研究所で職を得ることができたりしたわけです。彼女は自分の女性性を武器にして、上にのしあがっていった部分があった。これは研究者のキャリアの作り方としてはいかがなものかと。

茂木:小保方さんのキャリアに関しては、僕はそれほど知らないんですよ。興味もない。ただ、大学が一つの結論を出した以上、その結論は尊重しようよというだけの話です。それに、小保方さんがしたとされるキャリア形成の仕方が、日本の研究職だけに見られる特殊な現象かと言えば、そんなことはないですよね。世界中のありとあらゆる組織で起きている話です。それに男が特定の女に対してひいきして便宜を図るだけでなくて、女が特定の男に対してする場合もあるし、男が男に対してする場合もある。もちろん女が女に対してする場合もある。山本さんは、そうした行為を批判しているわけですよね?

山本:「どちらかというと望ましくない」と考えています。彼女が科学者として本当に実績があって、その上でちょっとやらかしたということであれば、「まあ、そういうこともあるのかな」とも思いますけれども、今回の場合は完全に捏造という結論が出ておりますし、科学者としての実績もゼロですから、諸所への影響も考えればさすがに問題だと思っています。

茂木:うーん、そこは山本さんと意見が違うところだな。僕は基本的にアナーキーなので、実は博士号も学歴もいらないと思ってるんですよ。もっと言えば、実績だっていらない。だって実績って、過去の論文の数とかそういうことでしょう。本来、ある仕事について評価をするのに、最終的に判断材料にするべきなのは「その人が今、何をやっているか」だけだと思うんですよ。それで、彼女は科学者なんだから、STAP細胞について研究していて、それが本当にあれば素晴らしいし、やはり無かったということであれば、「無かったんだ」というだけのことだと思うんです。何だか小保方さんを批判している人って、すごく定型的な批判をするじゃないですか。

山本:「不適切な方法で卒業している」とか、「自分はこんなに苦労しているのにあいつはD論もまともにやらないで博士号を取っている」とかですよね。ざっくり言うと、従来のフレームワークで学術研究をやってきた人からすると、彼女はフレームからはずれすぎていて、異物なんだと思います。

茂木:僕は「はずれている」こと自体はおおいに結構だと思う。むしろ「はずれている」ことを許容できないことが問題だと思うんですよ。

勘違いしてほしくないのは、僕はね、別に小保方さん支持じゃないんですよ。テレビのお笑い番組で放送するかどうかでもめる前から、小保方さんをネタにしたコントを作ってyoutubeで流したり、バカンティ教授は略して「バカ教授」でいいんじゃないの? なんて言っていたくらいです。でも、それとこれとは別なんです。「大学の自治をどこまで尊重するか」といった判断はあくまでも冷静な観点からするべきだと思うんですよ。

山本:そこは従来のフレームワークを大事に思うかどうかだと思うんです。つまり、大学における評価の仕組みの成り立ちや、優秀な学生を選抜するための定型的なメジャーを信用するかしないかの差だと思う。

茂木:僕は大学のそういうメジャーをまったく信用していないんです。

山本:私はいくら私学と言えども、大学のように公共的な性格を持つ組織である場合、納得性のある基準を建前上もっておかないとまずいんじゃないかと思うんですよ。

茂木:僕は、むしろ同一基準をあてはめるのが絶対におかしいと思う。「リバタリアン」的な世界観は、もちろん行き過ぎてしまえばマズいけれども、ある程度は許容すべきだと思っている。日本って、本当の意味での「自己責任」を持たせてくれない社会という気がするんですね。「それぞれ個人がやりたいようにやって、競争して、結果としていいものが残る」というのがいいんじゃないかと思う。

山本:ある程度「自己責任」を持ってもらうことが重要なのはもちろん個人的には分かるんですけど、今の日本の議論では「自己責任」ってわりと本質から外れた脇におかれているところがありますよね。私はアナーキズムやリバータリズムから遠い保守主義者ですが、しかし社会全体の問題を解決するためには私も含めた構成員一人ひとりの犠牲や献身は必要だと思っていて、現にいまの日本での議論においては「一体的な社会保障をしなければ」「税体制における若い世代の負担の比重を下げなければ」「少子化を解決しなければ」というほうに重点がおかれている。それはそれで悪く無いと私は思っているんですね。

というのも、「自己責任」という言葉は、困った個人に対して国が「それは自分でなんとかしてください」というときに都合よく使われてしまうケースもあると思うんですよ。これからの日本社会にはあきらかな衰退が待っていて、みんなが平等にごはんを食べられないような社会に近づいていかざるを得ない。いままでは、老後まで国が責任持って面倒を見ます、と言っていたのが、人口のバランスも経済状況もおかしくなって、その保証が怪しくなってきた。なので、余裕がないからと水準を引き下げるとどこかで必ず割を食う人が出る、それもシングルマザーや身寄りのない老人のような、弱いところにしわ寄せがどうしても行ってしまう。そうなったときに、「自己責任」という概念が前に出てきてしまうとまずいことが起きるのかな、という問題意識があるんです。「シングルマザー? 自己責任でしょ?」みたいな。

そのまま紙幣になっても遜色なさそうな感じの茂木さん
そのまま紙幣になっても遜色なさそうな感じの茂木さん

茂木:国がどんどん衰退している状況だからこそ、「パイを大きくするようなことをどんどんやるべきだ」と僕は思うんですよね。そして、そのためには、みんながもっと自由にものを考えなければいけないと思っているんですよ。

■国力を引き上がるために何が必要か

山本:お話は良く分かります。自由にモノを考える上で、インターネット、とりわけツイッターやフェースブックは相応に役割を果たしていますね。

で、そのツイッターは、基本的には「言いっぱなしのメディア」ですよね。よほどの有名人でない限り、自分の意見や感想をつぶやいたところで、誰かからツッコミを受けて、「ちょっと過剰な意見だったかな」と調整されていくこともない。結局、強い意見にだんだん集約し、多様な意見は失われていっているという統計もすでに出てきています。だからこそ、一つの意見が過剰に増幅されていく側面がありますよね。そしてその増幅された意見が同調圧力になっていく。兵庫県議会の野々村議員の「号泣事件」にしても、日本国民はちょっと面白がりすぎてしまった面はあると思います。実際、彼が社会復帰するのはかなり難しいでしょう。物事のよしあしを論ずる以前に、エンタメとして面白がりすぎてしまって、破壊的な影響を及ぼしてしまうのはちょっと問題なのかなと。

茂木:それは本当にそうだよね。

山本:小保方さん問題も、そのような側面があるのは間違いないので、そこは自重しなければいけなかったところもあるでしょう。さすがに、笹井さんの自殺問題で一気にネタとしての面白がられ方は消え去りましたが。ただ、「研究の捏造」といった問題に関しては、やっぱり曲がりなりにも科学を担ってきた人たちへの敬意や尊厳を考えれば、さすがにまずいと思うんですよ。それは実際「物事のよしあし」レベルの問題だと思うので。これがお咎めナシとなると、ほかの真面目に研究をしている研究者たちの立場が無くなりますよね。

茂木:ああ、僕はそこが理解できないんですよ。過去のシェーン事件(2002年に起こったアメリカ・ベル研究所のヤン・ヘンドリック・シェーンによる論文捏造疑惑)や常温核融合などのパターンを見ても、研究者本人は「捏造だった」とは認めていませんよ。僕はそれでいいと思っているんです。他の研究者が実験してみて再現できなければ、その研究は消えていくだけ。それでもういいじゃないですか。

「ほかの真面目にやってる研究者たちがどうのこうの」という議論が出てくる理由がわからない。彼女がユニットリーダーというポジションを得た経緯がダメだっていうのも、「どうしてみんなが同じプロトコルで職を与えられなくちゃいけないの?」と思う。「みんな同じ基準でやることが公平で正しい」という考えは、日本人の病気だと思ってるんですよ。偏差値教育もそうですけど。

山本:そう思われるのは、茂木さん自身が「跳ねてる」というか、ある種、ご自身の高い能力で研究活動で成果を挙げられ、様々なものを築き上げて、いまのポジションを得ているからなのでは、とも思いますけど。

茂木:今回の場合は、笹井さんの責任で小保方さんをリーダーに据えて研究をしていたわけですよね。それが成功だったか失敗だったかはともかく、僕にとってはそれ以上にもそれ以下にも思えないんです。

マイケル・サンデルは『Justice』(邦題『これからの「正義」の話をしよう』)の中でこんな議論をしているんですよ。「ハーバード大に、成績はまあまあだけど、家がお金持ちの家の子が入学を希望してきた。もし入れてくれたらビルをひとつ寄付すると言っている。その学生の入学をその条件を考慮に入れて判断することは正しいでしょうか」と。こういう議論があるということは、少なくとも選択肢としては、「あり」なんですよ。

そして僕自身、そういう経営判断をすること自体は「あり」だと思っているんです。もちろん、そういうことをやりすぎると、大学の評判が落ちますよね。今回の理研の話も、小保方さんを採用したのは理研の判断であって、そのことによって評判が上がったらそれでよかったし、落ちたのならしかたない。それ以上でもそれ以下でもないと思うんです。

山本:はい。ですから「理研の評判が落ちてしまったので、判断として間違っていたのでは?」という話をしているんです。仕方ない、で済ませることなく、もう少しできることはあったであろうし、現にいまもぐだぐだやっている現状は解決していかないと。

茂木:それは結果論じゃないですか。それに、面接について「英語での口頭試問がなかった」なんて、ちまちました話ですよ。そういう批判に夢中になっている日本人ははっきり言って「バカ」だと思うんだよね。まったく戦略性がないし、分析的思考のかけらもない。そうした批判をいくら熱心にしたところで、日本の国力が上がるかと言えば、上がらないでしょう。日本で「自分がエリートだと思っている」人たちって、海外のいわゆるベスト・アンド・ブライテスト(聡明なエリート層)から見ると、かなり見劣りすると思いますよ。

山本:うーん、リスクバランスが非常に欠けているというのは、私も感じているところではあるんですけど。それに、国力を引き上げることが重要だというのも同意します。

茂木:山本さんは、引き上げてようとしてるの?

山本:そうですね。ただ私の考えでは、平均値を上げないことには全体のクオリティが保てないと思うんです。裾野がせまければ、ピークに立てるエリートの数も少なくなるわけで。

茂木:サッカー選手は、ワールドカップに出ているトップ選手のパフォーマンスを見て自分たちに何が足りないのか気がつくわけだから、他の分野の人も同じだと思うんだよね。ごちゃごちゃ言わなくても、「すごい人の背中を見て、あとはそれぞれで考えて」でいいかなと思っているんだけど。

山本:もちろんピラミッドの高みをどんどん高くしていって、あとは自然についてくるのを待つ方法もあると思いますけど、一方で高みを上げるためには、そもそもの競争環境を改善していかなければならないとも思います。みんな、意外と打たれ弱かったりするわけじゃないですか。専門家たちも、ツイッターで罵声を浴びせられて嫌になったりしている人も多いはずです。そういう環境をどうにかするというのも、これからの日本を考える上でのひとつの重要命題だと思います。

(了)