2016年は高齢化対策の年に

急増する孤独死。「現実と向き合え」「自己責任」の一言では切り捨てられない何かが。(写真:ロイター/アフロ)

山本一郎です。あけましておめでとうございましたか?

私はそんなにあけましておめでとうございません。

ところで、今年2016年は社会保障費改革待ったなしの年であります。去年もそんなことを言っていた気がしますが、さすがに2020年を超えてここまで明るい気配がしない閉塞感のある社会はまずいだろうということで、安倍晋三首相も年初冒頭のTwitterで「少子高齢化対策の年」と銘打って優先的に取り組む宣言をされました。安全保障関連が終わったら社会保障だという意気込みは素晴らしい一方、それで選挙は大丈夫なのかと思うとドキドキするのは私だけではないのではないかと思うわけであります。

あけまして、おめでとうございます。本年は、「少子高齢化」という構造的な課題に真正面から立ち向かいます。「一億総活躍」社会という新たな挑戦です。国民の皆様の一層の御理解と御支援をお願い申し上げるとともに、本年が実り多き素晴らしい一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

出典:安倍晋三 -Twitter

そして、新年早々微妙なネタが流れてきました。

東京都の交通事故死が過去最小の年間161人だったとのニュース。東京では毎年殺人が120件程度。自殺が2-3千人という現実を考えると、赤信号や他人に嫌われることに注意するより、まずは過労や面倒から逃げることを小学校の道徳の授業で教えるべきなのかもしれません。

出典:どエンド君 -Twitter

よく、社会問題に取り組む人たちや、労務系の人たちは、自殺者の増加について文句を言うに当たり「自殺者を放置するのは社会が悪い」という言い方をするのですが、ここで問われるような「過労や面倒」による自殺というのは自殺者全体の割合から見ても4%程度と少なく、特殊な事例だから目立つだけであって、昔も今も圧倒的に自殺者の構成割合は「健康問題」であります。

不治の病に陥ったり、精神疾患で引き返しのつかなくなった方が様々な判断の末に死を選ぶことのほうが多いという現実から目を背けてはなりません。

そして、この自殺者数が日本社会において減らない理由は、貧困由来もありますが高齢者と重い病気苦、そして精神疾患などの危険因子が誘発しての自殺がとまらないことです。

自殺統計の分析(内閣府 2013年度)

2012年に東京都が取りまとめた自殺対策に関する文書では、自殺の主たる動機は健康問題が約半数の1,074件であり、指摘どおり複数の要因(精神疾患と生活苦など)で将来に対するどうしようもない不安を抱えての自殺など、危険因子を取り巻く構造は多様化しています。『自殺実態白書』では、2013年までのかなり大掛かりな調査研究が特定非営利活動法人「自殺対策支援センター ライフリンク」により取りまとめられており、赤裸々かつさまざまな事例の自殺について語られております。

東京における自殺総合対策の基本的な取組方針(東京都 2012年)

自殺実態白書2013(自殺対策支援センター ライフリンク)

一方、今後高齢化社会の進展とともに、いままで他の年代とみたとき比較的率が低かった高齢者、とりわけ75歳以上男性、女性の自殺率は増えていく傾向に転ずると見られます。また、貧困予備軍と言われる10万人近くいる「親の介護により離職」層です。

投身自殺見て「自分の番はいつ」、遺骨抱え公園生活-介護離職で貧困(Bloomberg 15/12/21)

日本の自殺死亡率(nippon.com 14/9/22)

この問題から浮き彫りになるのは、日本社会がゆっくり衰退していくなかでの「生活水準の切り下げ」が、まず社会のもっとも弱い輪である高齢者貧困層や、片親層を直撃していることです。貧しくてもやっていける的なミニマリストが理想と言いつつも、目の前に貧困があって将来の展望が描きづらいとき、人は得てして心を病み、結構簡単に死を選んでしまうという現実があるのでしょう。そして、政府に金がなければそういう弱者に救いの手を差し伸べる予算さえもなくなってしまうのが現実です。

同じ日本人として、日本に生まれ育った人々が社会を恨んで死んでいくようなことは望ましくないと思う一方、日本社会に残された予算と時間は限られています。先日、高橋洋一さんがこれらの将来の負債そのものである社会保障費の増大をまったく無視し何故か日本銀行と政府のB/Sを併せて「2016年、財政再建は実質完了してしまう」とかいう珍説を披露しておられましたが、生産人口が少なくなり、現状での生活を防衛することができなくなっている以上は、何を捨て、どう撤退戦を計画し、身をかがめて「右肩下がりの時代」を生き抜くかということが、いま求められているのだと思います。

そんなこんなを考えると、新年の祝賀ムードも吹き飛んで、ついついじっと手を見てしまう正月を送ることになるわけですけれども、本年もあけましておめでとうございましたでしょうか。本年も引き続きご一緒させていただけますと幸いでございます。