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ジェイク・E・リー インタビュー / 新バンド、レッド・ドラゴン・カーテルが日本上陸

山崎智之音楽ライター
Red Dragon Cartel(右から2番目がジェイク)

ジェイク・E・率いるレッド・ドラゴン・カーテルが2014年7月、ジャパン・ツアーを敢行する。

オジー・オズボーン・バンドとバッドランズで1980年代に活躍してきたギター・ヒーロー、ジェイクは約17年のあいだ、表舞台から遠ざかってきた。だが彼は新バンドを率いて、遂にカムバックを果たしたのだ。

海外でツアーを開始、アルバム『レッド・ドラゴン・カーテル』からのナンバーはもちろん、オジー時代の「月に吠える」「罪と罰」、バッドランズの「ハイ・ワイヤー」なども演奏されるライヴは、世界各地で絶賛されている。そして彼が日本のステージに戻ってくる日がやって来た。

来日を目前にしたロング・インタビューで、ジェイクは来日公演の見どころや過去の秘話を語ってくれた。ここでは可能な限りノーカットに近い形で、彼との談話を再現したい。

オジーやバッドランズの曲をライヴで弾くのは、これが最後になるかも知れない?

●いよいよジャパン・ツアー開始ですね。楽しみにしています!

うん、俺もすごく楽しみだ。昔の曲をプレイすることを再び楽しんでいるよ。オジーの曲を弾くのは25年以上ぶりだし、バッドランズの曲も4、5曲プレイする。当初は昔の曲をプレイするのは躊躇があったけど、リハーサルで弾いてみたら、あまりに久しぶりだったんで、新鮮に感じたんだ。演奏曲目の割合は、50%がレッド・ドラゴン・カーテルの曲、50%が昔の曲という感じかな。もしレッド・ドラゴン・カーテルとしてもう1枚アルバムを作って、ツアーに出るとしたら、新曲が増えるだろうし、昔の曲は減ることになる。だからオジーやバッドランズ時代の曲をライヴでたっぷり聴きたければ、必ず見に来た方がいいよ。これが最後になるかも知れないからな。

●約17年間、表舞台から遠ざかってきたわけですが、世界中のファンがあなたの復活を待っていたことは知っていましたか?

俺はあまりインターネットはやらないけど、“ジェイク・E・リー”とgoogleで検索したことがあって、まだ自分に興味を持ってくれる人がいることは知っていた。日本にも俺を待ってくれているファンがいることを知って、心が温まったよ。

●過去の曲をプレイするようになったきっかけは何でしょうか?

ダレン(・スミス/ヴォーカル)をオーディションしたとき、試しに「ハイ・ワイアー」を歌わせてみたんだ。そうしたら彼は難なく歌ってみせた。バッドランズの曲でも難しい「ハイ・ワイアー」を歌えるんだったら、他の曲も行けるな!と思って、昔の曲を増やしていったんだ。

●活動休止期間中、どんなことをしていたのですか?

決して音楽を止めたわけではなかったんだ。ずっと曲を書いてきた。コンピュータのソフトウェアが進歩したおかげで、一人で作業できるようになったしね。ハード・ロックのファンだったら恐怖におののくかも知れないけど、ヒップホップやファンク、エレクトロニック・ダンスもやってみた。

●ずいぶん大胆な変化ですね。

俺は飽きっぽいからね。オジーと数年一緒にやって、ヘヴィ・メタルにはちょっと退屈していた。それでバッドランズを結成したんだ。元オジー・バンドの俺と、元ブラック・サバスのレイ・ギランが結成したバンドということで、みんなヘヴィ・メタルを期待していたけど、俺は同じことを繰り返したくなかった。それでブルース・ロックをやったんだ。それを4年ぐらいやった後、また変化が欲しくて、『ファイン・ピンク・ミスト』(1996)を作った。それでかなりのファンが離れることになった(苦笑)。俺のやっていることはビジネスマンとしては賢くないんだろうけど、ビジネスでやっているわけではないからね。

●その後、アルバムを出そうとは考えなかったのですか?

音楽ビジネス・音楽業界というものに幻滅していたし、こちらから積極的にアプローチすることはなかった。知り合いから誘われればあちこちで少しずつギターを弾いたりしていたし、好きなカヴァー曲をプレイしたけどね。そんな時も、俺は1カ所に留まることはなかった。音楽は人間そのものだからね。人間は常に変化していくものだ。だから、人間がプレイする音楽だって、変化して当然なんだよ。年月を経て、新しいものを発見して、取り入れていくんだ。いい歳こいて子供と同じことをしていたらバカにされるだろ?

●レッド・ドラゴン・カーテルの音楽性が、ハード・ロック/ヘヴィ・メタル寄りになったのは、どんな経緯があったのですか?

このプロジェクトが始まったとき、プロデューサー兼ベーシストのロニー・マンキューソとエグゼキュティヴ・プロデューサーのケヴィン・チャーコに書きためた曲のアイディアが入ったハード・ディスクを渡したんだ。少なくとも100曲ぐらいが入っていたと思う。メタルもあればヒップホップやR&B、クール・ジャズなんかもあった。そんな中から、アルバムに入れる曲を選んでもらったんだ。だからアルバムがハード・ロック的になったのは、彼らの意向によるものが大きかった。実際には、いろんなタイプの曲があったんだ。「エクスクイジット・テンダーネス」みたいなピアノ・インストも数曲あった。

●あなた自身は、もっと多彩な音楽性のアルバムにしようとは考えませんでしたか?

うーん…どうだろうね?アルバムを発表する以上、誰かが買って聴いてくれることを前提にするべきだと思うんだ。俺はかつてロックの分野で活動してきたから、“ジェイク・E・リーの復活アルバム!”と銘打って、全曲がピアノ・インストゥルメンタルだったら、誰も買わないと思うんだ。ロニーとケヴィンの判断は正しかったと思うよ。

●現在でも曲は書いているのですか?

うん、常に書いている。曲のアイディアは大抵、眠りにつくときに浮かぶものなんだ。せっかく寝ようとしているのに起きて録音しておかねばならないから、面倒なんだよ。でないと翌朝、すっかり忘れてしまっているからね。今週だけでも3回、寝る前にアイディアを録ったんだ。何枚かアルバムを作れるだけの曲のストックがあるよ。

「ディシーヴド」は30年ぶりに書いた「月に吠える」タイプの曲だ

●アルバム『レッド・ドラゴン・カーテル』の1曲目「ディシーヴド」を聴いたファンには、「月に吠える」を思い出す人もいるでしょうね。

「ディシーヴド」はアルバムを作り始めてから、スタジオで書いたんだよ。ある日、スタジオに向かう車の中で、ラジオで「月に吠える」が流れたんだ。こういうタイプの曲はずいぶん長い間書いてないなあ…と思った。それで、あのリフのパターンを用いて、まったく新しい曲を書いてみたんだ。確かにタイプとしては似ているし、30年前のアウトテイクだと誤解した人もいるだろうけど、実際にはアルバムで一番新しい曲だったんだ。

●「ディシーヴド」を聴いて、オールド・ファンは喝采したと思います。

そうだといいけどね。でも「ジェイク・E・リーって、似たような曲ばかり書いているワンパターンの負け犬野郎だ」って批判もあるみたいだよ。こういうタイプの曲を書いたのは30年ぶりなんだけどな。しかも他人の曲をパクったのではなく、元々自分が書いた曲だからな(苦笑)。

●「ウォー・マシーン」はブラック・サバスに似たタイプの曲ですね。

「ウォー・マシーン」はブラック・サバスへのトリビュートなんだ。この曲を書いたとき、ちょうどサバスがニュー・アルバムをレコーディングしていた。「きっとサバスの新作はこんなサウンドだ!」と想像しながらレコーディングしたんだよ(笑)。俺が12歳、ロック音楽を聴くようになったときに、サバスのファースト・アルバムを聴いたんだよ。深夜にアルバム全曲を流すラジオ番組があって、ヘッドフォンをして聴いたのを覚えている。あまりにヘヴィだったんで、身体が震えたよ。

●サバスのアルバム『13』を聴いて、どう思いましたか?

『13』は素晴らしいアルバムだった。ビル・ワードがドラムスを叩いていないのは大きなマイナスだけど、それを差し引いても、俺のフェイヴァリット・アルバムのひとつだったことは事実だ。アルバムが出てから1ヶ月ぐらい、毎日聴いていたよ。

●「フィーダー」でのロビン・ザンダーのヴォーカルのフラット具合がちょっとオジー風に聞こえますが、それは意識しましたか?

そうかな?「フィーダー」はメロディが初期サバス風かも知れないけど、俺にはまったくオジー風には聞こえないよ。チープ・トリックでのロビンと変わらないように聞こえる。

●「フィーダー」や「ウェイステッド」でインダストリアル的なビートを取り入れたのは、どんなところから触発されたのですか?

ミニストリーやナイン・インチ・ネイルズからの影響かもね。一時期、彼らにハマっていたんだ。実はジャパン・ツアー用に「ウェイステッド」をリハーサルしているんだ。日本のファンに特別なショーを見せたいからね。

●それは楽しみです。「ウェイステッド」に加えて、「スレイヴ」もぜひ日本でプレイして欲しいのですが、リクエストには応じられないでしょうか?

「スレイヴ」も一時期考えたけど、最初からアレンジし直さないとライヴ・ヴァージョンに出来なくて、その時間がなかったんだ。俺とロニーがラスヴェガス、ダレンとジョナス(フェアリー/ドラムス)はカナダに住んでいるから、簡単に集まってリハーサルをすることが出来ないんだよ。ただ俺自身、「スレイヴ」はとても好きな曲なんだ。イントロはヘヴィ・メタルだけど、コード進行がユニークだしね。

●「スレイヴ」について特別なエピソードはありますか?

当初「スレイヴ」はブライアン・フェリーに歌ってもらおうと考えていたんだ。もしこの曲を彼が歌っていたら…と頭で置き換えてみると、ピッタリはまるのが判るだろう。ただ残念ながら、連絡先が判らなかったんだ。それまではロビン・ザンダーが「フィーダー」、ポール・ディアノが「ウェイステッド」、サス・ジョーダンが「リディーム・ミー」など、曲ごとにゲスト・シンガーを迎えようと考えていた。でも、ブライアンと連絡が付かなかったことで、方向性を変えることになったんだ。そうしてアルバムの他の曲はゲストを迎えず、ダレンに歌ってもらうことにした。結果としてレッド・ドラゴン・カーテルのバンドとしての一体感が生まれた。だからブライアンには感謝しなければいけないかもね。

●ブライアン以外にゲスト・ヴォーカリストの候補に挙がっていて、実現しなかった人はいますか?

コンクリート・ブロンドのジョネット・ナポリターノに「フォール・フロム・ザ・スカイ(シーガル)」を歌って欲しかったんだ。最終的に彼女のメールアドレスを入手したけど、その時点で既にダレンがヴォーカルを録っていたんで、連絡はしなかった。

●今回のツアーで候補に挙がっていながら、セット・リストから落ちた曲はありましたか?

オジー時代の「キラー・オブ・ジャイアンツ」を演りたいと考えて、実際にリハーサルもしてみたんだ。でも俺自身、あまりに長い間プレイしていなかったから、ボロボロだった。もちろん、入念に何週間もリハーサルすれば良いんだけど、限られた時間で、この曲のために他の曲を犠牲にするわけにもいかなかったんで、今回はパスすることにした。

●次回のツアーではぜひお願いします!

レッド・ドラゴン・カーテルとしてのツアーを行うにあたって最初、俺はもっと珍しい曲をプレイしたいと思っていたんだ。オジーがライヴでやろうとしなかった「スロー・ダウン」とかをやりたかった。でも、そう言ったらメンバー達に「頭がおかしいんじゃないの?そんなのより『月に吠える』をやろうぜ」と言われた。マネージャーやブッキング・エージェントにも「何、寝言を言ってるんだ」と言われたよ。まあ、実際に「月に吠える」や「罪と罰」をプレイしてみたらすごく楽しかったし、結果として良かったけどね。

今回のジャパン・ツアーが最後のライヴになる可能性だってある

●ジャパン・ツアーの後は、どんな活動を予定していますか?

何もない。まったく白紙なんだ。久しぶりに長期のツアーを行って、世界中のファンと再会できたのは素晴らしい経験だった。その一方で、長いあいだ忘れていたビジネスのクソみたいな一面を思い出すことになった。こないだのイギリス・ツアーなんて、頭のおかしいプロモーターと揉めて、何回かショーを中止にしなければならなかったんだ。このツアーが終わったら少し休みをとって、自分の進むべき道について考えてみるつもりだ。このまま、レッド・ドラゴン・カーテルを続けていくべきだろうか?もう止めるべきだろうか…ってね。だから今回のジャパン・ツアーが俺にとって最後のライヴになる可能性だってある。アメリカやヨーロッパ、そして日本のファンに挨拶を出来たし、これで終わりでもいいんじゃないかとも思うんだ。

●!!…せっかく復活して、素晴らしいアルバムを発表したのだし、そうおっしゃらずに活動を続けて下さい!

俺が好きなのは、音楽なんだ。それ以外は比較的どうでもいいんだよ。音楽ビジネスは好きじゃない。自分の音楽を気に入ってもらえたら嬉しいけど、ロック・スターやギター・ヒーローになりたいわけでもない。ライヴ活動を休止していた頃、1980年代からの友人たちに「ステージの熱気が懐かしくないかい?」って、何度も訊かれたよ。ステージに立ってプレイすることは、本当に大好きなんだ。でも、ビジネス面の嫌なことを我慢してまで、また最初からロックンロール・ライフを繰り返さなければならないのか?と思うと、考えてしまうよね。

●あまり言いたくはないですが、確かにドサ回り感のあるバンドもいますね。

1980年代、ロサンゼルス周辺の友人たちは、今でもツアーとレコーディングを繰り返して、世界中を旅している。もちろん、彼らのしていることには敬意を持っている。でも俺は、彼らと同じことをする必要がないんだ。1980年代のメタル・バンドが集まるフェスって最近多いじゃない?俺も世代的にはそういうバンドと一緒でも仕方ないけど、どうもしっくりしないんだ。懐かしのMTVヒット曲をプレイするレトロ趣味には、興味がないんだよ。

●世界中の多くのミュージシャンにとっては、オジー・バンド、バッドランズ、そしてレッド・ドラゴン・カーテルと、3つのバンドで成功を収めたあなたの活動は羨むべきものだと思います。

ハタから見るとそう思えるかも知れないけど、いろいろ不満もあるんだよ。こないだ1980年代のメタル・バンド達が船上でプレイする『モンスターズ・オブ・ロック・クルーズ』に参加したときも正直、疎外感があった。居場所がなかったんだ。恐竜たちに囲まれた気分だったよ。唯一例外だったのは、ワイナリー・ドッグスかな。彼らはベテラン・ミュージシャンの集まりだけど、新鮮なことをやっている。俺自身も、1980年代のミュージシャン達による“スーパーグループ”に誘われたことも、何度もあった。まあ一度ぐらい、そういうのをやってみるのも面白いかも知れないけど、そんな長続きはしないだろうね。誰かが30年前にヒットさせた曲をプレイするのは、さほどエキサイティングなことではないよ。

同じ日にエディ・ヴァン・ヘイレンとゲイリー・ムーアに褒められた

●レッド・ドラゴン・カーテルとして6月15日、イギリスのキャッスル・ドニントンで行われた『ダウンロード・フェスティバル』でプレイしましたが、あなたが前回ドニントンのステージに立ったのは1986年、『モンスターズ・オブ・ロック』フェスでオジーのバンドの一員としてでした。そのときのことを覚えていますか?

オジーとは1984年と1986年の2回、『モンスターズ・オブ・ロック』に出演したんだ。その時代には、気に入らないバンドがステージに上がると小便入りのボトルを投げつける風習があってね。今回『ダウンロード・フェスティバル』に出るとき、それを思い出してビビったよ(苦笑)。でも幸い、その風習はなくなったようだ。小便まみれにならずに済んで、安心したよ。

●『モンスターズ・オブ・ロック』で思い出に残っていることはありますか?

一番思い出に残っているのは1984年、初めて出演したときだな。バックステージを歩いていたら、ひとつのテントからエディ・ヴァン・ヘイレンがウォームアップしているのが聞こえたんだ。そして少し離れたテントでは、ゲイリー・ムーアがウォームアップしていた。ちょうど彼らのショーに挟まれる形で俺たちが出演することになっていて、さすがにビビったね。それで「エディとゲイリーと比較されて酷評されるだろうから、リハ不足だったという言い訳を今からしておこう!」と思って、わざとショーの前にウォームアップしなかったのを覚えている(苦笑)。それでもステージを下りた後、2人に「とても良かったよ」と褒めてもらったんだ。同じ日にエディ・ヴァン・ヘイレンとゲイリー・ムーアに褒められるなんて、俺のプロフェッショナル・キャリアにおいて記念すべき最高の1日だったよ。ゲイリーとはその後、別のフェスでも顔を合わせて、ビールを飲んだりした。深い付き合いではなかったけど、彼のことは好きだったし、亡くなってしまって悲しいよ。

●今回『ダウンロード・フェスティバル』での思い出は?

『ダウンロード〜』では午前11時にプレイしたんだ。あんな早い時間にステージに上がったのは、ガキの頃以来だよ。バックステージでいろんな人と会ったのが楽しかった。テスラのブライアン・ホイートと25年ぶりぐらいに話したのが面白かったな。バックステージに仮設トイレがあって、そこにシャワールームもあったんだ。で、俺がトイレに入ろうとしたら、そこにいた男に「おい、俺の嫁がシャワーに入ってるんだ」と言われた。「俺は別に気にしないよ」と冗談で言ったら、その男は「ナニッ!?」と立ち上がったけど、俺のことをよく見て、「ジェイクじゃないか。久しぶり!」ってなった(笑)。キップ・ウィンガーやレブ・ビーチ、それからアメリカン・ヘッド・チャージの連中とも出くわして楽しかった。あとプロレスラーのクリス・ジェリコが自分のバンド、フォジーで出演していたんだ。一時期、2年半ほど毎週テレビでプロレスを見ていた時期があって、クリスのことを知っていたんだ。バックステージで通りかかっているのを見て「すみません、クリス・ジェリコさんですか?」って声をかけたら、誰だこいつ?みたいな顔をして、携帯電話で誰かと話すフリを始めた。いちいちファンと応対してられないって感じでね。俺は帽子とサングラスをしてたんで、誰か判らなかったんだろう。「ジェイク・E・リーといいます」と自己紹介したら、ビックリしていたよ(笑)。クリスも俺のファンだと言ってくれた。

●活動休止期間中、テレビでプロレスを見ていたのですか(笑)。

2年半ぐらいだけどね。ザ・ロックとかスティーヴ・オースティンが出ていた頃だ。それまでプロレスにはあまり興味がなかったんだ。オジーのバンドにいた頃、ジェシー・“ザ・ボディ”・ヴェンチュラと一緒にフォト・セッションをやったことがあるけど、誰この人?という感じだったしね。でも彼はその後『プレデター』で大物俳優になって、さらにその後にミネソタ州知事になった。

●オジーも1986年、『レッスルマニア2』にゲスト出演していますね。「ある日、車に乗せられて会場に連れていかれた。何が何だか、よく判らなかった」と言っていましたが…。

まあ、当時のオジーはかなり酷い状況だったからね…。当時の俺は、彼を反面教師にしていた。1980年代の初め、俺も酒やドラッグをやっていた時期があった。当時LAでモトリー・クルーやラットとつるんでいたんだから、そりゃ変なものにハマるよな。でもオジーのバンドに入って、彼の姿を見て、「酒やドラッグは止めよう」と心に決めた。あんな生活をしていたら絶対に死ぬと思ったんだ。

●オジーが今なお第一線で活躍しているのは、まさに奇跡ですね。

(マネージャーで奥方の)シャロンがいなかったら、彼は本当に死んでいただろう。彼女がいたからこそ、オジーはあんな状態でも毎晩ステージに立てたし、健康を取り戻すことが出来た。彼女はずっとオジーを守ってきた。彼を守るために、周囲の人間やミュージシャン達が犠牲になることもあったけどね。

●オジーのバンドに加入する前、ディオにいた時のエピソードはありますか?

約1ヶ月ぐらいしかいなかったし、これといった逸話はないなあ。結局ロニー・ジェイムズ・ディオはヨーロッパ・スタイルのギタリストが欲しかったみたいで、ヴィヴィアン・キャンベルと一緒にやっていくことになった。それと同じ頃、UFOのフィル・モグのマネージメントから連絡をもらったこともある。その後、ホワイトスネイクから誘いがあったこともあったな。デヴィッド・カヴァーデイルはジョン・サイクスをクビにしたばかりで、その後任を探していたんだ。その頃、俺はオジーのバンドを脱退したばかりで、また“後任ギタリスト”になりたくなかった。それで代わりにバッドランズを結成したんだ。それと、スラッシュ・メタル・バンドのギタリストが脱退してジャズをやるというんで、その後任に誘われたこともある。メタル・チャーチだったかな?すごく昔のことだし、覚えていないけど…。

●テスタメントのアレックス・スコルニック?

ああ、そうかな?ゴメン、あまり記憶にないんだ。

●ところで今(2014年6月)、ホワイトスネイクに加入を要請されていませんか?

ええっ(驚)!?何も言われていないよ。声をかけてもらえたら光栄だけど、たぶんやらないだろうね。他人が書いた曲を、他のギタリストが弾いたのと同じようにコピーしなければならないし…今はそれより、自分の音楽をやりたいんだ。

●まあ、よくあるインターネット上のデマですかね。

インターネットの噂というのは、とんでもないものがあるからね。最近「マイケル・ジャクソンの『ダーティー・ダイアナ』でキーボードを弾いたというのは本当ですか?」って訊かれた。どこからそんな話が湧いて出たのか、不思議でならないよ。「ダーティー・ダイアナ」のミュージック・ビデオで、俺の友人で、ソルティ・ドッグのギタリストだったピート・レヴィーンがギターを弾いているんだ。実際にはその曲で弾いていなくて、ビデオ用にポーズをとっただけだけどね。そんなところから誤解が広まったのかな?…とも思っている。

●活動休止期間中、プライベートで日本に来る機会はありましたか?

いや、ずっと行けなかったんだよ。去年(2013年)にシャーヴェルのクリニックで行く前は、1992年にESPのクリニックで日本に行ったんだ。日本に行くのはいつだって楽しみだよ。母親が日本人で、俺も日本食で育ったから、食事が楽しみなんだ。バンドのメンバーより2、3日前に来て、母方の実家に挨拶に行くつもりだ。

●日本語はどの程度話せますか?

ほとんど話せないよ。初めて日本に行ったのは1978年、母と一緒だったんだ。親戚に会うんで、簡単な日本語を教えてもらったんだけど、実際に話してみたら、おじが爆笑していた。何で笑っているんだろう?と思ったら、母に教えてもらったから、女言葉で話していたらしいんだ!それで何だか恥ずかしくなって、ずっと日本語では話していないし、すっかり忘れてしまった。今覚えている日本語は、ラウドネスの高崎晃に教えてもらったものだよ。女性の大事な所は東京では××××だけど、大阪では×××っていうとかね(笑)。ただ日本語が出来なくても、日本が俺にとって故郷のひとつであることは変わりがない。日本でプレイするのがすごく楽しみだよ。

RED DRAGON CARTEL Japan Tour 2014

●7月7日(月)

大阪・梅田クラブクアトロ

開場18:00 開演19:00

問い合わせ:梅田クラブクアトロ 06-6311-8111

●7月8日(火)

名古屋クラブクアトロ

開場18:00 開演19:00

問い合わせ:名古屋クラブクアトロ 052-264-8211

●7月9日(水)10日(木)

東京・渋谷クラブクアトロ

開場18:00 開演19:00

問い合わせ:M&Iカンパニー03-5453-8899

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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