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【インタビュー】フェイス・ノー・モア、新作『ソル・インヴィクタス』を語る

山崎智之音楽ライター
Faith No More / photo by:古溪一道

1990年代前半の“オルタナティヴ”なロックを代表するバンドのひとつとして絶大な支持を得てきたのが、フェイス・ノー・モアだ。彼らは1998年に一度解散するが、その復活を願うファンは多く、彼らの期待に応える形で2009年に再結成が実現。そして18年ぶりのニュー・アルバム『ソル・インヴィクタス』が2015年5月、発売となった。

2月に東京で2回の来日公演を行い、日本のファンに完全復活を強く印象づけた彼らだが、アルバムはさらにワンステップ踏み込んだ、新世紀のフェイス・ノー・モア像をアピールする作品だ。

来日直前にキーボード奏者のロディ・ボッタムへのインタビューをお届けしたが、今回はドラマーのマイク・ボーディン、そしてギタリストのジョン・ハドソンに、『ソル・インヴィクタス』を語ってもらおう。

●東京公演の初日はキーボードの不調というアクシデントがありましたが、急遽『キング・フォー・ア・デイ』からの曲を中心にセットリストを組み直して、見事にリカバリーしましたね。

マイク:そう、それがフェイス・ノー・モアなんだ。俺たちはあらゆる修羅場を経てきた。よく“学校に行ったら全裸だった”って夢を見るだろ?俺たちは、そんな状態でもビビらない。そのまま演奏を続けるようなバンドなんだ。俺たちは諦めないし、逃げない。映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』に出てくる黒騎士みたいに、腕を斬られたら噛みついてやる!という心境だ。もちろん機材トラブルが起こらないにこしたことがないんだけどね。

ジョン:フェイス・ノー・モアは音楽的にバランスの取れたバンドなんだ。だから万が一、俺のギターの音が出なかったら、キーボード主体の曲で何とかするよ(笑)。

●新作『ソル・インヴィクタス』はまさにバランスの取れたアルバムではないでしょうか?

マイク:その通りだ。ラウドなギターがあって、シンセやピアノがあって、マイク・パットンのヴォーカルも最高だ。俺自身すごく気に入っているアルバムだよ。バランスが取れていて肉体的、オーガニックなサウンドだ。

ジョン:このアルバムを作るにあたって、大量の曲を書いたんだ。だから、いろんなタイプの曲をアルバムに収録することが出来た。

マイク:曲順にもこだわったんだ。1曲目「ソル・インヴィクタス」は聴く人をじわじわと、バンドの世界に吸い込んでいく。 暖かくて心地よい海の引き潮に引っ張り込まれて、気がついたら手遅れになるような感じでね。この曲と「フロム・ザ・デッド」でアルバム全体をブックエンドすることは、とても重要だった。1曲目をガーン!とメタル・ナンバーで始めることはしたくなかったんだ。俺は当初、「コーン・オブ・シェイム」を1曲目にしたらいいと考えていた。でもアルバムを通して聴いてみると、今以上の曲順は考えられないよ。アルバムのレコーディングで、最初にドラム・トラックを録音したから、ヴォーカルを聴いたのは、アルバムが完成したときだったんだ。全身鳥肌が立つほど素晴らしかった。

Mike Bordin / photo by:古溪一道
Mike Bordin / photo by:古溪一道

●2009年に再結成して、フェイス・ノー・モアとしてのニュー・アルバムを作ることになったのは、どのような流れだったのですか?

ジョン:すごく自然な流れだったし、“いつ”“誰が”アルバムを作る決断を下したかは、自分たちでもハッキリ言えないよ。ミーティングも行わなかったし、〆切も設けなかった。

マイク:もしバンド全員でミーティングを持って、「アルバムを作るべきか?」と話し合ったら、全員がNO!と言っていただろうな。新しい曲を書くようになったのは、再結成ライヴを始めてから2年近く経ったときだった。ビリー(・グールド/ベース)と俺が2人でスタジオに入って、音合わせをするうちに、曲のアイディアを交換しあうようになったんだ。それは「ウィ・ケア・ア・ロット」を書いたときとまったく同じだった。バンドの原点に立ち返ったことで、同じように音楽が流れ出てきたんだ。そのとき書いたフレーズを基にしたのが「マタドア」だった。すぐ直後(2011年11月)の南米ツアーでプレイしたよ。ただ、その時点ではまだアルバムを作ることは考えていなかった。「マタドア」は最高の曲だと思ったけど、アルバムを作るには10曲の最高の曲が必要だ。単にアルバムを作るために曲を書くことはしなかった。でも「マタドア」を書いたことで扉が開いて、新たな曲が生まれていったんだ。

ジョン:いつでもストップすることが出来たんだ。「やっぱりアルバムを作るのは止めよう」という選択肢があった。だからレコーディングをしていても「アルバム制作中!」とか騒ぎ立てることはしなかった。宣伝することによりも、より良いアルバムを作ることの方が大事だったんだ。

マイク:よくロック・バンドが再結成して、まずアルバムを出してからツアーをやるだろ?でも俺たちはツアーをやって、その中から新しい音楽が生まれることを期待したんだ。2009年の段階だったら『ソル・インヴィクタス』みたいなアルバムを作ることは不可能だっただろうな。このアルバムはダークでパワフル、エモーショナルでシアトリカルだ。子守歌のようでありながら、邪悪で腐ったマシーンでもある。フェイス・ノー・モアの作品でも最も気に入っているもののひとつだよ。

●「マザーファッカー」と「スーパーヒーロー」は去年(2014年)からライヴで演奏していますが、いつ頃書いたのですか?

マイク・どちらもかなり早い段階で書いた曲だ。「スーパーヒーロー」は最初に書いた曲のひとつだよ。この曲のドラム・ビートは、俺が夢で聴いたんだ。午前3時だか4時にパッと起きて、ラップトップのドラム・マシンに録った。それをビリーに聴かせて、仕上げていったんだよ。これまでのアルバムにも、夢から書いた曲が幾つもあるんだ。「ザ・リアル・シング」のイントロもそうだった。「マザーファッカー」はロディ(・ボッタム)が持ってきた曲のひとつだ。どちらもライヴでプレイすればするほど良くなってくるし、これからもプレイし続けるつもりだ。

Jon Hudson / photo by:古溪一道
Jon Hudson / photo by:古溪一道

●ジョンにとって『ソル・インヴィクタス』はフェイス・ノー・モアに加入して『アルバム・オブ・ジ・イヤー』から18年ぶり、2枚目となるアルバムですが、前作の作業とどのように異なりましたか?

ジョン:チームの一員として 、自分に出来るベストを尽くすという過程は同じだよ。『アルバム・オブ・ジ・イヤー』はまだ加入したばかりで作ったアルバムだから、まだバンド内での呼吸やテンポが判っていない部分があった。でも今回は2009年から一緒にツアーしてきたし、自分がどんなときに何をするべきか、判っていたよ。それは大きな違いだった。

マイク:『アルバム・オブ・ジ・イヤー』はもちろん誇りにしているけど、今から思えば、5人それぞれが別の方向を向いていた気がする。俺はオジー・オズボーンのバンドやブラック・サバスでツアーに出たり、他のみんなもそれぞれの活動をしていたんだ。『ソル・インヴィクタス』では、全員が同じ方向を向いている。俺たち全員が作りたいから、そして作る価値があるから、作ったんだ。

●2015年の音楽シーンにおいて、フェイス・ノー・モアはどのような位置にあるでしょうか?

マイク:誰かに居場所を用意してもらう必要はないよ。俺たちは勝手に自分たちの居場所を見つけるからな。昔だってホワイトスネイクやポイズンと一緒にライヴをブッキングされたけど、既存のシーンに取り込まれることはなかった。俺たちはそういうバンドよりも、どちらかといえばスワンズやヤング・ゴッズに近いことをやっていたと思う。彼らはヘヴィなギターのサンプルを使って、新しい楽器のような効果を出していた。俺たちもそんな姿勢から影響を受けたよ。『アルバム・オブ・ジ・イヤー』でスワンズのロリ・モシマンをプロデューサーに起用したのは、彼に対するリスペクトがあったんだ。俺たちはダーティーで危険で奇妙な音楽が好きだ。ジャームズやセックス・ピストルズ、ブラック・フラッグ、ノーミーンズノー…彼らみたいなバンドは、他にはいない。俺たちも、彼ら以上にユニークでオリジナルなアイデンティティのある音楽性を目指しているんだ。『ソル・インヴィクタス』では目標に近い位置に到達していると考えているよ。

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フェイス・ノー・モア

『ソル・インヴィクタス』

ホステス・エンタテインメント

HSE-30351

現在発売中

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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