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【インタビュー】ベンチャーズ、“ミスター・テケテケ”:ドン・ウィルソン最後の来日ツアー

山崎智之音楽ライター
The Ventures / ドン・ウィルソン(右から2人目)

夏だ!ベンチャーズだ!2015年もまたベンチャーズが日本にやってくる。

1958年に結成、1962年からほぼ毎年、夏になると日本を縦断ツアーしてきたベンチャーズ。そのギター・インストゥルメンタル・サウンドはエレキ・ブームを巻き起こし、全国にテケテケ・ギターを轟かせた。

“ドン・ウィルソン・ラスト・ツアー”と題された今回のツアーは、オリジナル・メンバーでギタリストのドン・ウィルソンにとって最後の来日となる、バンドにとって大きなターニング・ポイントだ。

ベンチャーズが日本と共に歩んできた道のりについて、“ミスター・テケテケ”の異名を取るドンが語った。

<これからもベンチャーズは日本をツアーする>

●今回の来日公演をあなたのラスト・ツアーにすることは、いつ決めたのですか?

去年のジャパン・ツアーを終えたときだよ。とにかく疲れきっていた。日本でプレイするのはいつだって楽しいし、毎晩だって出来る。でも、移動が大変なんだ。空港から空港、駅から駅、歩くことも多いし…それが理由だよ。私はもう若くないし(83歳)、それをもう一度繰り返すのは、体力的に無理だと思った。それでバンドのみんなに打ち明けたんだ。あと1回日本をツアーしたら、私はバンドから身を退くってね。

●日本で行うコンサートの公演数を減らせば、体力的に無理がないのでは?

うん、それは考えたよ。でも、ベンチャーズには日本全国に熱心なファンがいる。東京と大阪だけでコンサートをやることになったら、地方のファンはガッカリするだろ?私たちは日本中の人たちのためにプレイしたいんだ。新しいメンバーを加えて活動を続ければ、これからも日本全国をツアーすることが出来る。次回からはボブ・スポルディングの息子イアンがベースを弾いて、ボブが私の代わりにリズム・ギターを弾くことになる。今年までは私が“ミスター・テケテケ”だけど、来年からはボブが新しい“ミスター・テケテケ”だよ(笑)。イアンは何年か前からベンチャーズのアルバムにゲスト参加したり、ベンチャーズ・ファミリーの一員なんだ。私も彼になら任せることが出来ると確信している。残念ながら私は参加できないけど、来年も、再来年もベンチャーズはジャパン・ツアーをするだろう。日本のファンは、変わらぬ応援を続けて欲しい。

●1962年の初来日から53年、何故ベンチャーズはこれほど日本で愛されてきたのでしょうか?

ベンチャーズが音楽的にも人間的にもフレンドリーだということが大きかったと思う。私たちの音楽には、憎しみや嫌悪が入り込む隙がない。それにベンチャーズの音楽には、日本の演歌と共通するメロディがあった。事実、私たちは何曲も演歌を書いたんだ。「北国の青い空」、「二人の銀座」、「京都慕情」などは私たちが書いたけど、日本の演歌歌手がレコーディングして、ヒットさせてきた。それに加えて、私たちは常にファンを家族の一員だと考えてきた。コンサートが終わると、楽屋口で数十人のファンが待っている。私たちは時間の許す限り、彼らと話をしたり、サインをしたりしてきた。そんな親しみやすさが、日本のファンに受け入れられたんだ。

<ドンが語るベンチャーズの原点>

●ベンチャーズを結成した時のことについて、教えて下さい。

私とボブ・ボーグルがベンチャーズを始めたのは1958年だった。私たちは建築作業員をしながら、中古のギター2本とコード本を買って練習を始めたんだ。周囲のバンドは3、4つしかコードを知らなかったけど、私たちはマイナーや7thを知っていたから、そのぶん抜きん出ていた。最初に結成したバンドはヴァーサトーンズという名前だった。でも同じ名前のバンドが既にいたんで、ベンチャーズと名乗ることにした。初めてのスタジオ・セッションで「ザ・マッコイ」という曲をレコーディングしたけど、誰も興味を持たなかったんだ。そうして6、7ヶ月をかけてスタジオ代を貯金して、2回目のセッションでレコーディングしたのが「ウォーク・ドント・ラン」だった。

●1960年に発表した「ウォーク・ドント・ラン」がベンチャーズの代表曲のひとつになった経緯を教えて下さい。

「ウォーク・ドント・ラン」はチェット・アトキンスが弾いたヴァージョンのレコードをボブが持っていて、すごく気に入ったんだ。でも私たちはチェットみたいにはプレイ出来ないから、自己流でカヴァーしてみた。そして私の母がレコードをラジオ局に持っていったり、いろんな面で手助けしてくれたんだ。母がいなかったら、ベンチャーズの成功はなかったよ。結果として、幾つかのラジオ局がニュース前の30秒だけ、「ウォーク・ドント・ラン」を流したんだ。それを聴いた中に、シアトルで『ドルトン・レコーズ』をやっている人物がいた。『ドルトン』の配給を『リバティ・レコーズ』がやっていたんで、全米でリリースすることになったんだ。当初『リバティ』は「こんな曲は売れない」と突っ返したけど、「赤字が出たらその分は出すから」と主張した。その結果、「ウォーク・ドント・ラン」は100万枚売れて、全米チャート2位になったんだ。ワシントン州タコマやシアトルでライヴをやると、「ウォーク・ドント・ラン」をもう一回やれ!と言われて、一晩で4回やったこともあるよ。

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<ベンチャーズと日本の関わり>

●1962年の初来日公演について教えて下さい。

予算がなくてバンド全員は来ることが出来ず、私とボブ・ボーグルの2人だけが来たんだ。バックは日本のミュージシャンが務めることになっていたけど、彼らにはロックンロールを演奏することが出来なかった。それまで日本人が知っていた洋楽はグレン・ミラーなどのビッグ・バンドだったからね。多くの日本人はエレキ・ギターを見たことも聴いたこともなかったし、まだエレキ・ベースが日本中を探しても1本もない時代だったんだ。初期の来日ではPAもなくて、メル・テイラーはぶっといスティックで、力いっぱいドラムスを叩かなければならなかった。その頃はコパ、ラテン・クォーター、それからリキ・スポーツパレスでプレイしたっけな。

●当時の日本から、どのような印象を受けましたか?

初めて日本を訪れたときは東京オリンピックの前で、建物はせいぜい10階建てだった。まだ舗装されていない道路も多かったし、高速道路の工事をしていたのを記憶している。まだ新幹線も開通していなかったよ。ベンチャーズが大規模な日本ツアーをするようになって、東京→大阪間の新幹線が開通したけど、それ以外の都市は各駅停車の列車で移動したんだ。牛乳を運搬する汽車に、一緒に乗ったこともあったよ。もちろん冷房もなかった。汗だくになってライヴをやっていたのを覚えている。あと記憶に残っているのは、お客さんがみんな暗い色の服を着ていたことだ。黒とか茶色、紺色とかね。今はみんなカラフルだ。でも、それ以外は同じだよ。私たちの演奏を聴いて、ハッピーになったり涙してくれたりする。その次の年に日本を訪れたとき、空港に3千人のファンが集まっていたんだ。「誰が飛行機に乗っていたんだろう?すごい人気だな!」と思ったら、全員ベンチャーズのファンだったんだ(笑)。男の子はみんな競うようにギターを買ったそうだよ。

●その頃、米軍基地でも公演を行ったそうですが、どんな雰囲気でしたか?

当時、日本の米軍基地はベトナム戦争に向かう兵隊がたくさんいて、緊張した雰囲気が漂っていた。でもベンチャーズの音楽は、彼らの心を少しだけ和らげることが出来たと思う。ある軍人に言われたことがあるよ。「あなた達のおかげでベトナム戦争を生き抜くことが出来ました」ってね。ベンチャーズの音楽があったから、正気を保つことが出来たというんだ。とても光栄に思ったよ。

●1966年にはビートルズが来日公演を行いましたが、その前後で日本の音楽事情は変化しましたか?

ビートルズは日本だけでなくアメリカでもビッグだったし、常に噂は聞いていた。彼らのレコードを聴いて、良い曲を書くグループだと思ったよ。でも彼らはヴォーカル・グループだったし、ライバルと考えることはなかった。それに当時日本では、ベンチャーズの方が2倍ぐらい売れていたんだよ。だから特に変化は感じなかった。

●ベンチャーズは毎年、日本で長期ツアーを行い、音楽ファンにとって夏の風物詩となってきましたね。

かつては1年のうち3ヶ月を日本で過ごして、80回のショーをやっていた。新宿厚生年金会館では1週間毎日コンサートをやって、開演前の行列が長すぎて、消防署からクレームが来たほどだった。今年のツアーは全38公演だから昔よりは減ったけど、他のバンドよりはまだ多いね。

●どうして夏に来日するようになったのですか?

あまりに昔から毎年夏に日本をツアーしているから、理由は忘れてしまったな。でも日本では夏にお祭りが行われることが多いから、ベンチャーズのコンサートも日本の夏祭りのひとつとなっているのかも知れない。もう私は半世紀以上、アメリカで夏を過ごしたことがないんだ。いつも夏は日本で過ごしてきたからね。

●日本ではどんな人々と交流してきましたか?

日本ではたくさんの友達が出来たよ。もう何十年もコンサートの最前列にいるファンとは顔なじみになった。加山雄三はベンチャーズの大ファンで、ノーキー・エドワーズにギターのテクニックを幾つか教わって喜んでいた。サザンオールスターズも友達だし、寺内タケシや布袋寅泰、Charもギター・フレンドだよ。

●日本のファンには、どんな特徴がありますか?

日本の人々は、世界で一番ハード・ワーキングだよ。ビジネスマンは自分の仕事に納得するまで何時間でも働くし、農夫は太陽が顔を出す前から夜になるまで働く。ベンチャーズは彼らを見ながら、日本の高度成長と共に時代を過ごしたんだ。初めて日本に来たとき、1ドルは380円だった。それが数年前には80円になって、今では120円だ。そんな変化を、ベンチャーズは見てきたんだ。

<2015年ツアーに向けて>

●ギターのクロマチック・ランは“テケテケ”としてベンチャーズ、そして1960年代のエレキ・ブームを象徴するフレーズとなりましたが、あなたはいつから“テケテケ”フレーズを弾くようになったのですか?

“テケテケ”はベンチャーズの最初期、ボブ・ボーグルがベースでやっていたのを見たのが初めてだった。ただ彼は弦にミュートをかけていなかったんだ。それで私はミュートしながらスライドした。この音を“テケテケ”と表現した日本の人々の感性は面白いね!

●前回、2014年の来日公演では「アウト・オブ・リミッツ」や「ペネトレーション」、「テルスター」など、宇宙をテーマにした曲を多くプレイしましたが、そんなスペース路線の集大成といえるアルバム『ベンチャーズ・イン・スペース』(1964)はどんなアルバムでしたか?

ベンチャーズは米ソの宇宙開発と同時代のバンドだから、宇宙を思わせる曲はいつだって大きな声援で迎えられるんだ。「テルスター」や「星への旅路」のようにね。『ベンチャーズ・イン・スペース』も人気のあるアルバムだよ。「アウト・オブ・リミッツ」や「ペネトレーション」も入っているし、私自身とても気に入っている。当時はまだシンセサイザーが普及していなかったから、宇宙のムードを出すのにスティール・ギターを使ったんだ。レッド・ローズというギタリストが弾いているんだよ。アルバムの広告に“電子音楽は一切使っていません”と載せたのを覚えているよ。

●ところで“隠れた名盤”と呼ばれる『スーパー・サイケデリックス』(1967)について教えて下さい。

あのアルバムは作って楽しかったね。私たちはヒッピーではなかったけど、サイケデリック・カルチャーには興味を持っていたし、それをベンチャーズの音楽に取り入れるのは刺激的な経験だった。ビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」とかをプレイしたんだ。

●2015年の日本公演は既にスタートしていますが、どんなものになるでしょうか?

今回のツアーでは、みんなが知っているベンチャーズ・ナンバーを全部プレイしようと考えているんだ。「朝日のあたる家」「パイプライン」「ワイプ・アウト」「ダイアモンド・ヘッド」「10番街の殺人」など、グレイテスト・ヒッツ・ショーになる。私たちは日本で20曲のナンバー1・ヒットがあるんだ。それを全部プレイしたいと考えているよ。ファンにとっても私にとっても、心残りのないコンサートにしたいんだ。「あの曲をやらなかった…」なんて後悔しないようにしたい。

●それでは本当にお疲れさまでした!

“オツカレサマ”というのは日本語の独特な表現だね。英語には同じ意味の単語はないんだ。自分のために疲れてくれた相手に感謝するという、素晴らしい日本語だと思う。これからもベンチャーズは日本に来るから、応援して欲しいね。

【ベンチャーズ ジャパン・ツアー 2015 公演日程表】

11/07/17 金 千葉 松戸 松戸市民会館 労音東葛センター

11/07/18 土 茨城 取手 取手市民会館 取手市文化事業団

11/07/19 日 埼玉 深谷 深谷市民文化会館 深谷市民文化会館

11/07/22 水 長野 駒ヶ根 駒ヶ根市文化会館 駒ヶ根市文化会館

11/07/24 金 兵庫 伊丹 いたみホール キョードーインフォメーション

11/07/25 土 奈良 葛城 新庄文化会館 キョードーインフォメーション

11/07/26 日 大阪 富田林 富田林すばるホール キョードーインフォメーション

15/07/28 火 大阪 大阪 森ノ宮ピロティホール キョードーインフォメーション

11/07/30 木 新潟 新潟 新潟テルサ 新潟テルサ

15/08/01 土 北海道 北斗 北斗市総合文化センター キョードー札幌

15/08/03 月 北海道 札幌 札幌芸術文化の館 キョードー札幌

15/08/04 火 北海道 河東郡 音更町文化センター キョードー札幌

15/08/05 水 北海道 釧路 釧路市民文化会館 キョードー札幌

15/08/06 木 北海道 北見 北見市民会館 キョードー札幌

15/08/08 土 東京 葛飾 葛飾シンフォニーホール 労音東葛センター

15/08/09 日 栃木 那須 那須野が原ハーモニー 那須野が原ハーモニー

15/08/11 火 石川 白山 白山市松任文化会館 白山市松任文化会館

15/08/12 水 福井 鯖江 鯖江市文化センター 鯖江市文化センター

15/08/15 土 神奈川 横浜 神奈川県民ホール KMミュージック

15/08/16 日 静岡 焼津 焼津市文化会館 焼津文化会館

15/08/20 木 愛知 名古屋 愛知芸術劇場 MIN-ON

15/08/21 金 埼玉 所沢 所沢市民文化センタ-ミューズ マーキーホール M&Iカンパニー

15/08/22 土 東京 立川 立川市民会館 労音府中センター

15/08/23 日 群馬 富岡 富岡市かぶら文化ホール かぶら文化ホール

15/08/25 火 山口 宇部市 渡部翁記念会館 宇部市文化創造財団

15/08/26 水 長崎 長崎 ブリックホール ピクニック・チケットセンター

15/08/28 金 大分 大分 大分グランシアタ ピクニック・チケットセンター

15/08/29 土 宮崎 宮崎 宮崎市民文化ホール GAKUONユニティ・フェイス

15/08/30 日 鹿児島 鹿児島 宝山ホール 鹿児島音協

15/09/01 火 福岡 福岡 福岡市民会館 ピクニック・チケットセンター

15/09/02 水 広島 広島 アステールプラザ キャンディ・プロモーション

15/09/03 木 岡山 岡山 岡山市民会館 岡山音協

15/09/05 土 埼玉 南浦和 さいたま市文化センター 労音府中センター

15/09/06 日 東京 中野 中野サンプラザ M&Iカンパニー

15/09/08 火 山形 米沢 米沢市民文化会館 GIP

15/09/10 木 宮城 仙台 仙台電力ホール GIP

15/09/12 土 京都 京都 京都劇場 キョードーインフォメーション

15/09/13 日 大阪 大阪 サンケイホールブリーゼ キョードーインフォメーション

問い合わせ:M&Iカンパニー

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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