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【追悼】デヴィッド・ボウイ(1947 - 2016)/秘められた名曲ベスト10(1980年代編)

山崎智之音楽ライター
David Bowie photo by Jimmy King

2016年1月10日、デヴィッド・ボウイが亡くなった。2日前、69歳の誕生日にニュー・アルバム『★(ブラックスター)』を発表したばかりだった。死因は肝臓がんといわれている。18ヶ月の闘病を経ての死だった。

常に変化を恐れず、革新的な音楽を生み続けたボウイ。現代ポピュラー音楽史において無二のアーティストを失ったことは、計り知れない損失である。

「スペイス・オディティ」「ジーン・ジニー」「フェイム」「ヒーローズ」「アッシェズ・トゥ・アッシェズ」「レッツ・ダンス」「ジャンプ・ゼイ・セイ」「ザ・ハーツ・フィルシー・レッスン」など、その名曲の数々は、これからも聴き継がれるだろう。

彼のラスト・アルバムとなった『★』もまた、妥協のかけらもないマスターピース(傑作)であり2016年、あらゆるロック・リスナーの音楽プレイヤーを独占することになるに違いない。

『★』ソニー SICP-30918/現在発売中
『★』ソニー SICP-30918/現在発売中

何種類ものベスト・アルバムやアンソロジーも編まれてきたボウイだが、その豊潤なる創造性は、たかだか数枚のCDに収まるものではない。ヒット・チャートを賑わすことがなくとも、素晴らしい楽曲の数々を彼は書いてきたのだ。

本稿では、常に論議を呼んできたそのキャリアでも特に賛否ある1980年代の“秘められたベストテン”を選んでみた。

グレイテスト・ヒッツの輝かしい星々の陰には、光を放つことのない“黒い星々=ブラック・スター”が存在したのである。

(紹介は順不同)

(1)マジック・ダンス Magic Dance

『ラビリンス/魔王の王宮』サウンドトラック(1986年)

 Labyrinth soundtrack
Labyrinth soundtrack

ランシドのティム・アームストロングはシャム69のジミー・パーシーについて「彼がバレエ・ダンサーになったとき、“あれこそが真のパンクだ”と思った」と語っている。

もっこりタイツの魔王となり、マペッツや赤ちゃんと「マジック・ダンス」を歌ったことは、そのキャリアを通じてファンにショックを与えて続けてきたボウイが1980年代にもたらした最も鮮烈なショックのひとつだった。

レコーディングでは赤ちゃんがいつになっても歌ってくれないため、代わりにボウイが「ダァ〜」と歌うことになった。ちなみに彼は1967年、「ラフィング・ノーム」でもノーム(小びと)のパートを、テープの回転数を変えて歌ったことがある。

(2)世界が崩れる時 As The World Falls Down

『ラビリンス/魔王の王宮』サウンドトラック(1986年)

一部のボウイ・ファンの中では“なかったこと”になっている『ラビリンス/魔王の王宮』サントラ盤。収録曲の「チリー・ダウン」などはタイトルを言うだけで不機嫌になるファンもいるほどだが、バラード「世界が崩れる時」は80年代ボウイ屈指の名曲だ。

(「アッシェズ・トゥ・アッシェズ」や「ラヴィング・ジ・エイリアン」などと較べたらベタ過ぎることも確かだが、それがまた良いのだ)

この曲が過小評価されているのは、ミュージック・ビデオでの地方都市のホスト、あるいはムード歌謡の歌手を思わせるボウイのせいもあるだろう。

ちなみにこの映画でのジェニファー・コネリーは愛くるしい美少女らしさとはちきれんばかりの巨乳を兼ね備えた、女性の理想像のひとつだった。

(3)トゥー・ディジー Too Dizzy

『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』(1987年)

Never Let Me Down
Never Let Me Down

リリース当時、批評家筋からヒステリックなまでのバッシングを受けた『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』。ボウイ自身は「楽しみながら作った」と肯定的に評していたこのアルバムだが、「トゥー・ディジー」のみは「こんなのヒューイ・ルイスに任せればいいんだ」と当初から駄曲扱い、再発盤からはカットしてしまい、生涯封印されることになった。

体調不良をラヴ・ソングに引っかける手法はエルヴィス・プレスリーの「オール・シュック・アップ」を受け継ぐもので、50年代ロックンロールのボウイ流解釈といえるこの曲。日本初回盤のみに収録された「ガールズ」日本語ヴァージョンと共に、“敗者復活”を期待したい。

(4)ゴッド・オンリー・ノウズ(神のみぞ知る) God Only Knows

『トゥナイト』(1984年)

Tonight
Tonight

前作『レッツ・ダンス』の空前のヒットからの反動、そして純然たる新曲が少なかったことで低評価に甘んじているのが『トゥナイト』だ。「ラヴィング・ジ・エイリアン」は彼の創造性の炎が消えていないことを証明したものの、「ゴッド・オンリー・ノウズ(神のみぞ知る)」はビーチ・ボーイズの名曲に対する“冒涜”とまで言われてしまった。

カクテル・ミュージック/ミューザック風のアレンジを施された本作のヴァージョンは、ボウイの音楽にエッジを求めるファンを困惑させたが、ビニール製のソファでくつろぐような経験は、聴く者に後ろめたい喜びをもたらしてくれる。

(5)ダンシング・ウィズ・ザ・ビッグ・ボーイズ Dancing With The Big Boys

『トゥナイト』(1984年)

『トゥナイト』にはイギー・ポップと共作した5曲が収録されているが、1970年代のリメイク3曲に対して、2曲が新曲。「ダンシング・ウィズ・ザ・ビッグ・ボーイズ」でイギーはヴォーカルでゲスト参加もしている。

ボウイが80年代という時代に真っ向から対峙した佳曲であるこの曲だが、残念ながら『トゥナイト』のアルバム最後の曲のため、途中までしか聴かなかったファンは未だに知らない可能性もある。

(6)風が吹くとき When The Wind Blows

『風が吹くとき』サウンドトラック(1986年)

When The Wind Blows  single
When The Wind Blows single

『スノーマン』で知られるイラストレーター/漫画家のレイモンド・ブリッグズが描いた『風が吹くとき』のアニメーション映画化で、スコア音楽を元ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズ、主題歌をボウイが手がけた。

オーケストラとホーン・セクションをフィーチュアしたスケールの大きなこの曲、老夫婦の視点から核戦争を淡々と描いた『風が吹くとき』の雰囲気とマッチしているかはともかく、80年代のボウイとしては異質の重厚なサウンドが見事な効果を出している。

(7)リトル・ドラマー・ボーイ〜ピース・オン・アース Little Drummer Boy / Peace On Earth

シングル(1982年)

1977年、ビング・クロスビーのTVクリスマス特別番組で披露されたデュエット。

出演オファーを受けてボウイは「母親がファンだから」という理由で承諾したが、クリスマス・ソング「リトル・ドラマー・ボーイ」をそのまま歌うことを拒否、急遽「ピース・オン・アース」と合体させた新ヴァージョインを歌うことになった。

とはいってもボウイは偉大なる先達に敬意を表し、心に染み入るヴォーカルを聴かせており、イントロでは軽妙なスキットで笑わせてくれる。

(8)キャット・ピープル(プッティング・アウト・ファイアー) Cat People (Putting Out Fire)

『キャット・ピープル』サウンドトラック(1982年)

Cat People (Putting Out Fire)  single
Cat People (Putting Out Fire) single

ドナ・サマーの「アイ・フィール・ラヴ」を手がけたことで、ジョルジオ・モロダーは一躍エレクトロニック・ダンス・ミュージックの超一流プロデューサーとなった。彼の元にはさまざまなアーティストからプロデュースの依頼が殺到したが、多くは「アイ・フィール・ラヴ」のようなサウンドを求めてきたのに対し、よりダークで新しいアプローチを要求してきたのがボウイだった。

「ハイハットを逆回転したり、当時としては斬新なサウンドを作ったんだ。デヴィッドはとてもプロフェッショナルだった。彼は朝9時から作業を始めて、3〜4テイクを録って、1時間ぐらいですべての作業が終わってしまった 」とモロダーは述懐する。

アルバム『レッツ・ダンス』には、よりダンス志向の再演ヴァージョンが収録されている。

(9)クリスタル・ジャパン Crystal Japan

シングル(1980年)

Crystal Japan  single
Crystal Japan single

宝焼酎『純』TVCMで日本のお茶の間にボウイを浸透させた曲。クラウトロック調のインストゥルメンタルに乗せて、ボウイ自らが出演。「クリスタル。…純ROCKジャパン」と語った。

なお宝焼酎『純』のTVCMにはシーナ・イーストン、カルチャー・クラブ、ネルソンらの洋楽アーティストが出演した(同社の『すりおろしりんご』TVCMにはリンゴ・スターも出演)。

(10)プリティ・ピンク・ローズ Pretty Pink Rose

エイドリアン・ブリュー『ヤング・ライオンズ』(1990年)

Pretty Pink Rose  single
Pretty Pink Rose single

エイドリアン・ブリューのソロ・アルバム『ヤング・ライオンズ』からシングル・カットされたナンバー。ブリューのギターが1989年11月、ボウイのヴォーカルが1990年1月にレコーディングされたため厳密にいえば“80年代”ではないが、ご容赦を。

作曲はボウイで、キャッチーなロックにブリューのギターが暴れ回るこの曲は、1990年のボウイの来日公演(ブリューも同行)でも披露された。

ミュージック・ビデオも作られたが、ボウイとブリューが東欧系(?)のゴツい女偉丈夫に振り回され翻弄されるという内容。ボウイは実生活ではファッションモデルのイマンと結婚していたのに、ビデオで共演する女性に限っては、本曲しかり「チャイナ・ガール」しかり、不思議な趣味をしている。

半世紀におよぶキャリアを通じて、ボウイは数々のヒット曲と、ヒット・チャートに入らずとも優れた音楽を生み出してきた。

悲報が飛び込んできたのは、まさにこの記事を書いているときだった。そのため、いわゆる“追悼記事”ではないことをご理解いただきたい。

彼を失ったことを嘆き悲しむよりも、デヴィッド・ボウイという偉大なアーティストとその楽曲にリアルタイムで接することが出来たことが幸運だったのだと、自分を納得させようとしているところだ。

いずれ1970年代編・1990年代編・2000年代編もリストアップしてみたい。

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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