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【インタビュー】アンスラックス、新作『フォー・オール・キングス』を語る/第2部:スコット・イアン

山崎智之音楽ライター
Anthrax (photo by Jimmy Hubbard)

2016年2月26日、アンスラックスがニュー・アルバム『フォー・オール・キングス』を発表する。

“スラッシュ・メタル四天王”の一角を成す彼らならではの爆速メタルを軸に多彩なアプローチを取り、息もつかせぬ展開のこのアルバムは、30年以上のキャリアを誇る彼らの殺傷力がいささかも衰えていないことを証明する凄作だ。

インタビュー第1部ではチャーリー・ベナンテ(ドラムス)に語ってもらったが、第2部ではギタリストのスコット・イアンに登場してもらおう。

自らを“テクニックよりも直感”で弾くギタリストだと呼ぶスコットだが、そのトークもまた、理屈よりも直感と本能に基づくものだった。

この世界はダークな場所。でもそれが俺たちの生きる世界なんだ

●『フォー・オール・キングス』を作るにあたって、どんな音楽性を求めていましたか?

『フォー・オール・キングス』 2016年2月26日発売
『フォー・オール・キングス』 2016年2月26日発売

頭をガツンガツンと壁に叩きつけたくなる曲、最高にハッピーになれる曲…俺たちは事前に入念な計画を練ってスタジオに入ったりしないんだ。もう30年以上、ずっとそうしている。『フォー・オール・キングス』でもそれは変わらないよ。全曲が最高なアルバムにしようと思ったし、1曲だけが目立つことはない 。俺たちを“一発屋”だと考える人はいないよ。「アンスラックス?あのヒット曲しか知らない」というような曲は存在しない。「アンスラックスが好き」だという人は、少なくとも数曲は俺たちの曲を知っているよ。その一方で、俺たちは決定打のヒット曲を出していないことも事実だけどな。10年ぐらい前、『ノー・ヒット・ワンダーズ』ってアンソロジーCD/DVDを出したんだ。“ワン・ヒット・ワンダー=一発屋”じゃなくて、“0発屋”だよ。

●アルバム制作の作業はどんなものでしたか?

チャーリー・ベナンテ(ドラムス)とフランク・ベロ(ベース)、そして俺が3人で曲の基本的なアイディアを書くんだ。そうしてジョーイ・ベラドナ(ヴォーカル)とジョン・ドネイ(ギター)を交えて全員でジャムをしながら完成させていく。『フォー・オール・キングス』を作る作業は、絵を描くようだった。6、7曲を書いた時点で、全体像が見えてくるんだ。この場面で必要なのはこんな曲だな、とかね。それは決して作為的なものではなく、曲が自分で作られていくんだ。だからアルバムの曲順も自然に決まっていったというか、楽曲が自分で決めていった。「俺は1曲目ね」「俺は真ん中ね」って感じで。

●アルバム発売に先駆けて「イーヴル・ツイン」をライヴで演奏していますが、この曲はアルバム用に書かれた最初の曲だったのですか?

いや、そういうわけではない。最初に書いた6、7曲のひとつではあったけど、一番最初に書いたのは「ユー・ガッタ・ビリーヴ」だった。あの曲を書いたことで、アルバム全体の流れが生まれたんだ。あとはどんな順番で曲を書いたかは忘れた。そういうのは本能的なものだから、覚えてないものなんだ。アルバム用に14曲をレコーディングしたけど、そのうち2曲は歌詞が仕上がらなかったから、お蔵入りになったんだ。11曲をアルバムに入れて、残りの「ヴァイス・オブ・ザ・ピープル」は日本盤ボーナス・トラックになった。完成させた曲は全部リリースしているよ。今から20年後に『フォー・オール・キングス』のデラックス・エディションが出たとしても、未発表曲は出てこない。

●「ヴァイス・オブ・ザ・ピープル」がボーナス・トラック扱いというのは勿体ない気もしますね。

俺も「ヴァイス・オブ・ザ・ピープル」は好きな曲だよ。ただ単に、アルバムの起承転結において、当てはまる場所がなかったんだ。日本のファンはきっと楽しんでくれると信じているよ。

●「イーヴル・ツイン」ではシャルリ・エブド編集部襲撃事件、前作『ワーシップ・ミュージック』の「イン・ジ・エンド」ではダイムバッグ・ダレルの死などが歌われていますが、アルバムごとにそんな事件を題材としなければならないのは、とても悲しいことですね。

悲しいのは俺がダークな歌詞を書くことではなく、この世界がダークな場所であることが悲しいね。パリのイーグルス・オブ・デス・メタルの襲撃事件もそうだけど、この世界は日々おかしな方向に進んでいる。昔だって決してロクなものじゃなかったけど、最近はクレイジーなことが起こりすぎる。その感情を 叩きつけたのが「イーヴル・ツイン」だったんだ。

●一連の事件を経て、ステージ・パフォーマーとしての心構えはどのように変化しましたか?

Scott Ian  photo by Jimmy Hubbard
Scott Ian photo by Jimmy Hubbard

正直、あまり変わっていない。ライヴをやっているときは演奏に100%頭が行ってるし、「頭のいかれた奴が銃を持ってステージに上がってくるかも…」なんて考えないからな。それに恐怖に屈してしまったら、テロリストの思うつぼだろ?ただ警備スタッフの数は、20年前とは比べものにならないほど増えた。荷物チェックも厳重になったよ。ファンにとっては面倒だと思うけど、それが俺たちの住んでいる世界なんだ。

●2016年1月からラム・オブ・ゴッドとの北米ツアーは順調ですか?

すべてがグレイトだ。グレイトなショーにグレイトな観衆、みんなクレイジーになって、最高のパッケージだ。ラム・オブ・ゴッドはメタル界で最もクールなバンドのひとつだ。これ以上グレイトなことはあるだろうか?ちょっと考えてみようか…うん、思いつかない!『フォー・オール・キングス』からは去年の10月から「イーヴル・トゥイン」をプレイしているけど、お客さんは俺たちが「こんな風にワイルドでクレイジーになって欲しい」と願うのと同じぐらい盛り上がってくれる。いや、それ以上だな。みんなが新曲とコネクトしてくれるのは、最高にハッピーなことだよ。

●2013年に加入したギタリストのジョン・ドネイにとって『フォー・オール・キングス』はアンスラックスの一員として初めて参加するアルバムですが、彼はどのような形で貢献していますか?

ジョンはアンスラックスの音楽を頭だけでなく身体で感じ取っているし、俺たちの書いた曲を最高のギター・ソロでさらに盛り上げてくれた。彼にはこれまでのリード・ギタリストにはなかった絶妙なメロディ・センスがある。「ブラッド・イーグル・ウィングス」や「ブリージング・ライトニング」、「モンスターズ・アット・ジ・エンド」「ユー・ガッタ・ビリーヴ」「スーザレン」…どの曲のソロも攻撃的で、それでいてメロディアスだ。もちろんメロディアスといっても、ジョンがソフトな奴だってわけじゃない。彼がステージ上で首を振りまくる姿はあまりに激しすぎて、唖然としてしまうよ。俺がギターを弾いている手を止めて見入ってしまうほどだ(笑)。

●ジョンの古巣シャドウズ・フォールの音楽は知っていましたか?

もちろん!シャドウズ・フォールはクールなバンドだったし、活動停止してしまったのは残念だけど、ジョンがアンスラックスに入ってくれたことは大きなプラスだよ。

●ジョンがアンスラックスと並行してシャドウズ・フォールでも活動したいと言ったら、認めますか?

アンスラックスでの活動に支障をきたさなければ、まったく問題がないよ。大体、「認めない!」なんていう権利が俺にあると思うか?俺はもう30年前からS.O.D.をやっていたし、今でもザ・ダムド・シングスやモーター・シスターみたいな別バンドをやっている。「別バンドをやるな!」なんて俺が言ったら、ジョンは爆笑するだろうね。ただ、俺にとっての“本業”はアンスラックスだし、アンスラックスのスケジュールを最優先している。ジョンもそのあたりは判っていると思う。

ファック・オフ、俺は自分の好きなことをやる

Anthrax  photo by Jimmy Hubbard
Anthrax photo by Jimmy Hubbard

●『フォー・オール・キングス』はジャケットも最高ですね。

俺もそう思うよ。チャーリー・ベナンテとアーティストのアレックス・ロスがコンセプトを考えたんだ。俺がガキの頃、アルバムとはひとつのパッケージだったんだ。アイアン・メイデンの『キラーズ』やモーターヘッドの『エース・オブ・スペイズ』のLPを買って、レコード盤をプレイヤーに乗せて、ジャケットを眺めながらアルバムを聴き込む経験は、スリルそのものだったよ。『フォー・オール・キングス』は、そんな経験を現代に蘇らせるアルバムだと思う。

●『エース・オブ・スペイズ』のアメリカ盤LPは「ザ・チェイス・イズ・ベター・ザン・ザ・キャッチ」が1曲目だったんですよね。

ん?俺が聴いたのは1曲目が「エース・オブ・スペイズ」だったよ?もしかしたら輸入盤LPを買ったのかもね。最初からガツンと、とんでもないインパクトだった。もし「ザ・チェイス・イズ・ベター・ザン・ザ・キャッチ」が1曲目だったら、これほどハマらなかったかも知れない。このアルバムを聴いて、レミーは俺のヒーローになったんだ。彼と友人になることが出来たのは光栄だし、亡くなってしまって本当に悲しいよ。

●ジャケットといえば、『フィストフル・オブ・メタル』のジャケットは…

ああ、最低だ(笑)!『フィストフル・オブ・メタル』というタイトルは映画『荒野の用心棒 A Fistful Of Dollars』から取ったものだけど、“鋼鉄の拳”を食らわすというコンセプト自体は悪くなかったと思う。ただ、イラストがヘタクソ過ぎたんだ。チェーンを巻いた手と、男の頭を押さえている手が両方右手だったり、まるで意味を成さなかった。でも、あまりに最低すぎて最高なんだ。スラッシュ・メタルの“ビッグ4”のデビュー・アルバムはどれもジャケットがクソだった。でも俺が一番好きなクソジャケはエクソダスの『ボンデッド・バイ・ブラッド』だな。あれは酷くて最高だ。

●今“ビッグ4”という言葉を使いましたが、メタリカ/メガデス/スレイヤー/アンスラックスの“ビッグ4”という括りはあなたにとってどんな意味があるでしょうか?

まあ、意味があるともいえるし、ないともいえる。朝起きて「ヘイ、俺たちはビッグ4だ。俺たちはクールで、お前らはダサい!」なんて考えることはない。でも、地球上のファンが俺たちを特別な意味のある存在としてリスペクトしてくれるのには感謝している。1982年には、俺たちがやっている音楽に耳を傾けようなんて奴はいなかったんだ。それが今じゃ“ビッグなんとか”だなんて、不思議な気分だよ。

●1980年代初頭の西海岸スラッシュ・メタル・シーンではロサンゼルスとサンフランシスコのバンドがお互いに刺激し合っていたそうですが、東海岸でもニューヨークとニュージャージーで切磋琢磨していたのでしょうか?

いや、1980年代初め、ニューヨークの俺たちはニュージャージーのバンドはまったく知らなかったし、交流もなかった。むしろサンフランシスコのメタリカの連中と知り合った方が早かったよ。彼らはニューヨークにライヴをしに来たからね。ニュージャージーのオーヴァーキルと知り合ったのはその後、1983年ぐらいのことだ。彼らとは同じビルでリハーサルしていたからね。ウィップラッシュを知ったのはもっと後のことだった。だいたい東海岸に“シーン”なんて存在しなかったよ。俺たちみたいな音楽をやっているバンドは皆無だったし、俺たち自身、結成してからしばらくライヴをやったこともなかった。パンクやハードコアは盛んだったけど、ヘヴィ・メタルのオリジナル曲をプレイするバンドをブッキングするクラブなんて存在しなかったよ。俺たちがライヴをやるようになったのは、『メガフォース・レコーズ』のジョニーZやメタリカと交流するようになってからだったんだ。そうして徐々にボールが転がり始めたんだ。1984年頃になると、アメリカの各地からメタル・バンドがニューヨークに集まってきて、“シーン”が形成されるようになった。

●1980年代初め、ニューヨークでヒップホップ・カルチャーが生まれましたが、当時から交流はあったのでしょうか?

ビースティ・ボーイズの連中みたいにメタルとヒップホップの両方を聴いていたファンはいたみたいだけど、俺たちはあくまでリスナーとしてヒップホップのファンだった。「アイム・ザ・マン」でラップを取り入れたり、「ブリング・ザ・ノイズ」でパブリック・エネミーと共演して、保守的なメタル・ファンからボロカスに叩かれたよ。当時は短パンを穿いているだけで文句を言われたんだ。ファック・オフ、俺は自分の好きなことをやる!って思ってたけどね。

●最近のヒップホップは聴いていますか?

いや、正直全然フォローしてないんだ。それはロックやメタルについても同じで、俺の音楽の趣味がだいたい1990年代半ばでストップしている。当時まで好きだったバンドのレコードを繰り返し聴いているよ。ここ20年ぐらいで新たに聴くようになったのはカントリーかな。クリス・ステイプルトンとかジェイソン・イズベルはクールだ。アンスラックスのファンであっても、良い音楽が好きならば、ぜひ彼らの曲を聴いてみるべきだよ。それはアンスラックスについても言えることだ。普段どんなスタイルの音楽を聴いていても、グッド・ミュージックを好きな人だったら、ぜひ『フォー・オール・キングス』を聴いて欲しいね。

アンスラックス『フォー・オール・キングス』

2016年2月26日発売

アンスラックス日本公式ホームページ:http://wardrecords.com/SHOP/WRDZZ361.html

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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