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【インタビュー/後編】ニック・ベッグス、2016年5月来日。カジャグーグーと現在を語る

山崎智之音楽ライター
Nick Beggs

2016年5月、スティーヴ・ハケットの来日公演に同行するニック・ベッグスへのインタビュー記事の後編をお届けする。

1980年代にカジャグーグーのベーシストとしてデビュー、「キミはリマール派?それともニック派?」とアイドル人気を二分するほどだったニック。それから30年以上を経て、すっかりワイルドなルックスになったが、その端正なイングリッシュの発音は、英国貴公子の片鱗を感じさせるものだ。

前編ではプログレッシヴ・ロックへの愛を語ってくれたニック。後編では自らのリーダー・プロジェクトであるザ・ミュート・ゴッズと、1980年代の思い出について語ってもらおう。

80sの仲間たちは“戦友”だ

●ザ・ミュート・ゴッズとしてのファースト・アルバム『ドゥ・ナッシング・ティル・ユー・ヒア・フロム・ミー』を今年(2016年)1月に発表しましたが、どのような音楽性だと説明しますか?

The Mute Gods  photo by Hajo Muller
The Mute Gods photo by Hajo Muller

ザ・ミュート・ゴッズは自分がやってきたあらゆる音楽の集大成だ。『ドゥ・ナッシング・ティル・ユー・ヒア・フロム・ミー』はポップでプログレッシヴでメタル、そして少しばかりクラシックの要素もあって、過去30年の僕の音楽のいずれかを好きなリスナーだったら、きっと気に入ってくれる要素があるだろう。僕は忍耐力がないから、同じスタイルの音楽を延々とやり続けることが出来ないんだよ。もう雑誌のレビュー記事なんて読まないけど、たまたま目にしたものでは「カテゴライズすることが難しい」と書いてあった。それは褒め言葉だと受け取ったよ。とにかく他人が自分にやらせたい音楽ではなく、自分がやりたい音楽をやることが出来た。それを聴いてくれる人がいるんだから、すごく幸運だ。20年前だったら、受け入れてもらえなかっただろう。

●メタルの要素もあるそうですが、あなたはメタルも聴いていたのですか?

うん、ブラック・サバスやラッシュが好きだった。どちらかといえばラッシュはプログレッシヴな側面が好きだったけどね。バッジーは過小評価されていると思うし、UFOのライヴも見に行ったことがある。ジューダス・プリーストも好きだった。メタルとは少し異なるけど、ホークウィンドもスペース・ロックというジャンルを築き上げたバンドだ。プログレッシヴ・ロックほどではないけれど、好きなバンドが幾つもあった。

●カジャグーグーが活動を開始した1980年代初頭、イギリスではニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(NWOBHM)というブームが起こっていましたが、そんな流れをどのように捉えていましたか?

彼らがやっていたことは、1970年代のハード・ロックを1980年代に向けて再創造することだった。僕たちがポップ・ミュージックでそうしたようにね。当時の僕にとってはヘヴィ・メタルをやるよりも、ポップに向かうことが自然だった。自分の趣向もあったし、周囲にいるミュージシャンからの影響もあったしね。

●今回スティーヴ・ハケットのバンドの来日メンバーで、ザ・ミュート・ゴッズの一員でもあるロジャー・キング(キーボード)はゲイリー・ムーアの『ア・ディフェレント・ビート』(1999)にも参加していましたが、ゲイリーと関わることはありましたか?

『ドゥ・ナッシング・ティル・ユー・ヒア・フロム・ミー』(マーキー)発売中
『ドゥ・ナッシング・ティル・ユー・ヒア・フロム・ミー』(マーキー)発売中

いや、1980年代にどこかのフェスティバルで一緒になったことがある程度だよ。面識はなかった。ゲイリーの音楽で好きなのは、コロシアムIIの頃だね。ドン・エイリーや弟のキース・エイリーとは友達なんだ。キースはニック・カーショウのバンドで『ライヴ・エイド』にも出演したんだよ(1985年)。

●ニック・カーショウに取材したとき、スティーヴ・ハケットの『ジェネシス・リヴィジテッド・ライヴ・アット・ハマースミス』に参加したのはあなたの紹介だったと話していましたが、1980年代の仲間たちとは今でも交流があるのですか?

何人かとは今でも付き合っているよ。ニックとは仕事を抜きにしても親しい友人だし、奥さん同士も仲が良いんだ。キム・ワイルドのバックを務めたこともあって、彼女とも友達だ。ABCとも5年間活動したからマーティン・フライとも親しいし、ハワード・ジョーンズやスパンダー・バレエのスティーヴ・ノーマンともショーを一緒にやったことがある。彼らは同じ時代を共有した“戦友”という感じかな。

●ニック・カーショウはアラン・ホールズワースのファンだったと話していましたが、1980年代にポップ・シーンで活躍したアーティストの中には隠れプログレ・ファンが多かったのですか?

うん、みんな先人から影響を受けてきたんだ。当時はそれを口に出すのは“クール”じゃなかったけどね(笑)。ハワード・ジョーンズはキース・エマーソンの大ファンで、エマーソン・レイク&パーマーのハモンドB-3のサウンドを再現していたし、ニックはジェネシスのトニー・バンクスに傾倒していた。ゲイリー・ニューマンだってすべてが斬新だったわけではなく、プログレッシヴ・ロックから影響を受けていたんだ。ウルトラヴォックスのビリー・カリーはイエスのスティーヴ・ハウとプロジェクトを組んでいたこともある。みんなプログレッシヴ・ロックが好きだった。“おいぼれロッカー”を否定していたパンク・ロッカーだってそうだったんだ。ダムドのラット・スキャビーズはフィル・コリンズのファンだったよ。

●カジャグーグーのギタリストだったスティーヴ・アスキューは近年、元マリリオンのフィッシュのツアー・サポートをするなどしていますが、彼もプログレッシヴ・ロックが好きだったのですか?

スティーヴはさまざまな音楽が好きで、プログレッシヴ・ロックもそのひとつだった。彼が聴いていたのはオハイオ・プレイヤーズやアイズリー・ブラザーズ…彼はシャム69やUKサブスのファンでもあった。それから彼も僕もビル・ネルソンが好きだった。ビ・バップ・デラックスやレッド・ノイズのようなね。音楽の趣味がすごくオープンだったんだ。

●1980年代当時、プログレッシヴな音楽をやろうとは考えませんでしたか?

僕自身はプログレッシヴ・ロックから影響を受けていることを恥じていなかったけど、 “ツァイトガイスト(時代精神)”を理解していた。僕たちは時代と折り合いをつけながら、自分たちの信じる音楽をやってきたんだ。ギター・ソロは無しで、ドラムスは人間のドラマーが叩いていても、エレクトロニックに聞こえるようにしていた。ミュージシャンにとってのゴールはラジオやテレビでオンエアされることだった。僕たちはそのゴールに向かって、フォーマットに沿った音楽をやったんだ。

カジャグーグーでやったことに後悔はない

●あなたがスティーヴ・ハケットと来日する前月の2016年4月に、リマールが日本公演を行うことは知っていましたか?

『君はTOO SHY』(ワーナーミュージック・ジャパン)発売中
『君はTOO SHY』(ワーナーミュージック・ジャパン)発売中

そうなんだ?知らなかったよ!彼とは5年ぐらい前、カジャグーグー再結成プロジェクトが終わって以来会っていないんだ。

●カジャグーグーは2011年以来音沙汰がありませんが、再々結成の可能性はありませんか?

うーん、どうだろうね。カジャグーグーは僕の中ではもう終わっているんだ。今のところ、やることは考えていないよ。

●あなたがさまざまな新しい音楽性やプロジェクトに進んでいく一方で、リマールは「君はToo Shy」「ネバーエンディング・ストーリー」など1980年代のヒット曲を歌い続けるエンタテイナー路線と、2人の道は大きく分かれていきましたね。

リマールは彼の信じる道を進んでいるし、僕もそうだ。僕が選択したのは、かつての自分から解き放たれて、新しいことをすることだった。リマールはカジャグーグーの“顔”だったし、常にヒット・シングルと結びつけられる存在だった。だからそれらのヒット曲を歌い続けることが彼にとって自然なことだろうし、それで良いんだと思う。もし僕がヒット・シングルで歌っていたら、同じ道を歩む事になったかも知れない。でもカジャグーグーの2枚目・3枚目はセールス的に成功しなかったし、根本的に僕はミュージシャンでありプレイヤーだから、この選択肢で正しかったと思う。メインストリーム・ポップの世界では、僕は消滅したと同じだからね(苦笑)。

●カジャグーグー時代にやっていた音楽と現在やっている音楽は、異なったものと考えていますか?それとも同じ延長線上にあるでしょうか?

どう見るかによるね。音楽スタイルは異なっているし、ベース・プレイも異なっている。僕は当時と同じ人間だけど、年月と経験によって異なった人間になった。だから視点によって、イエスともノーとも答えることが出来るだろう。

●カジャグーグーが“カジャ”と改名して発表したサード・アルバム『カジャ3 / Crazy People’s Right To Speak』(1985)は過小評価された作品ともいわれていますが、あなた自身の評価はどうでしょうか?

カジャグーグーのアルバムで好きなものは1枚もないよ。今になって聴くのは困難を伴う作業だ。どれも良いアルバムだとは思わないんだ。当時の音楽シーンにおいて役割を果たしたとは思うし、今でも印税が入ってくるから、気に入ってくれている人もいるんだろう。僕が当時のアルバムを好きでないのは、音楽そのものよりも、当時の思い出の方が強く残っているからかも知れない。

●というと?

『カジャ3』は難しい時期に作られたアルバムだった。ジェズ(ストロード/ドラムス)はガールフレンドとの間に人生の大きな変換点を迎えていて、アルバム制作に貢献することが困難だったんだ。我々はプロデューサーのケン・スコットとアメリカでレコーディングすることになっていたけど、ジェズに「君は連れていくことが出来ない。心がここにないから」と伝えなければならなかった。彼はスティーヴ・アスキューと学校の友達だったし、その彼を解雇しなければならないのは辛い決断だった。

●カジャグーグー時代は、コマーシャルな“売れる音楽”をやろうと意識していましたか?

当時のラジオで流れることを目標とした音楽だったことは事実だ。でも僕たちが自分を偽っていたわけではない。それを僕たちが望んでいたんだ。それに3枚のアルバムの音楽はいずれも僕たちが創ったものだった。プロデューサーやレコード会社によって書かれたものではなかったんだ。

●デビュー・シングル「君はToo Shy」をデュラン・デュランのニック・ローズがプロデュースしたことで、初期カジャグーグーは“デュラン・デュランの弟バンド”的な扱いを受けましたが、そのことについて当時どう考えましたか?

何とも思わなかった。忘れてはならないのは、カジャグーグーがティーン・アイドルだった時期はきわめて短かったことだ。半年ぐらいなものだよ。しかもアイドルとしての役目の大半をリマールが担ってくれたから、僕たちは音楽に専念することが出来たんだ。『君はToo Shy』はニックとコリン・サーストンがプロデュースしたけど、僕たちも実質的に共同プロデューサーで、幾つもアイディアを出した。インストゥルメンタル「カジャグーグー」を収録したりね。

●デュラン・デュランではニックが音楽的なブレインだといわれていますが、実際にそうだったのでしょうか?

デュラン・デュランにもカジャグーグーについても言えることだけど、バンドはきわめて民主的だった。ニックはテクニック的には世界最高のキーボード奏者というわけではないけど、幾つもの素晴らしいアイディアとコンセプトがあった。僕は彼のことを“音楽のアンディ・ウォーホル”と考えてきたよ。デュラン・デュランの結成当初からずっといるメンバーはニックとサイモン・ル・ボンだけだし、バンドの牽引者だったことは確かだ。でもニックが1人で曲を書いていたわけではなく、ジョン・テイラーやサイモンも同じぐらい曲作りに関わっていたよ。

●1983年の夏、世界制圧を目前にしてリード・シンガーのリマールを解雇しなければならなかった理由は何だったのでしょうか?

彼は耐えられない存在になったんだ。我々は彼の行動を持て余していたし、バンドの方針に経済的・音楽的に合わなかった。一緒にやっていくことは不可能だったんだ。世界規模での成功という喜びが、急速に地獄になっていった。リード・シンガーを解雇することは大きなリスクだということは判っていたけど、それ以外に選択肢がなかったんだ。もし彼がバンドに残っていたら、物理的な暴力で解決する必要が生じただろうね。

●あなたがヴォーカルも兼任してバンドを続けるというのは、勇気を伴う決断でしたね。

そりゃそうだよ!毎晩「リマールはどこだ?」というブーイングに曝されるのは精神的にキツかった。もちろんバンドを解散させるという選択肢もあった。でもカジャグーグーというバンドにはまだ音楽的に語るべきことがあると考えたんだ。それで『アイランズ』を作って発表して、ツアーをした。僕はチャップマン・スティックも学んだし、ヴォーカルも取って、自分の声質に合った曲作りもするようになった。

●レコード会社からの支援も続いていたのですか?

Nick Beggs  photo by Hajo Muller
Nick Beggs photo by Hajo Muller

うん、彼らもカジャグーグーの次のステップに賭けて、予算を投じていた。ジェネシスからピーター・ゲイブリエルが脱退して、バンドがより大きな成功を収めた例もあったからね。ただ僕たちはジェネシスがポップ路線を進んだのと正反対に、ポップとは逆方向に向かっていった。ジャズ的な実験をしてみたり、より複雑な曲構成にしたり、プログレッシヴなスタイルへと進んだんだ。そういう意味では、今の自分の音楽スタイルにプラスになったし、やって良かったと考えている。

●2005年にカジャグーグーはオリジナル・メンバーで再結成しましたが、仲直りは出来ましたか?

まあ、うまくやれたんじゃないかな。お互いのことを許して、リマールやジェズとも普通に話すことが出来たよ。僕自身は他人に遺恨を残すことはしない。そうすることをせず人生を過ごすタイプなんだ。

●1980年代にカジャグーグーでやったことを総括すると?

僕はカジャグーグーでやったことに後悔はないよ。自分たちが持っていた可能性をフルに実現できなかったことは残念でならないけどね。自分が前進していけるのか、魂の内面を掘り下げてみる必要があった。でもそうすることで、自分自身をよく知ることが出来たんだ。今、音楽を追求し続けることが出来るのは、当時のことがあったからだ。僕の音楽人生は幸福なものだったよ。

●ROCK LEGENDS: スティーヴ・ハケット/STEVE HACKETT

ACOLYTE to WOLFLIGHT plus Genesis Classics

2016年

5月21日(土)

【川崎】 CLUB CITTA'

OPEN 17:00 / START 18:00

5月23日(月)

【大阪】 なんばHatch

OPEN 18:00 / START 19:00

公演特設ページ  

http://clubcitta.co.jp/001/steve-hackett2016/

●ROCK LEGENDS: PROGRESSIVE ROCK FES 2016

プログレッシヴ・ロック・フェス 2016

出演:CAMEL(キャメル)/Steve Hackett(スティーヴ・ハケット)

【Opening Act】 原始神母 ~Pink Floyd Trips~

5月22日(日)【東京】日比谷野外大音楽堂

OPEN 15:00 / START 16:00

公演特設ページ  

http://clubcitta.co.jp/001/progfes4/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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