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【インタビュー/後編】レナード衛藤、ボーダーレスな太鼓人生を語る

山崎智之音楽ライター
Leonard Eto / photo by Takashi Okamoto

2016年5月に『ブレンドラムス・ツアー2016』を行うレナード衛藤。

太鼓とタップ、ダンス、ピアノ、重金属打楽器などが融合した“Blend”+“Drums”=Blendrumsというコンセプトは一朝一夕に生まれたものではなく、彼の人生の長い旅路において形作られたものだ。

インタビュー前編に続いて、後編となる今回は、ニューヨークに生まれた彼が日本でロック少年となり、太鼓奏者として世界へと旅立っていった軌跡を振り返ってもらおう。

ロック少年が和太鼓に魅せられるまで

●昨年(2015年)、キング・クリムゾンの来日ライヴを見に行ったそうですね。

うん、ファンなんですよ。東京公演のチケットを取れなかったんで、名古屋で見ました。「21世紀のスキッツォイド・マン」を生で聴けただけで感動しました。僕はエイドリアン・ブリューがいた頃のクリムゾンが好きで、『ディシプリン』でハマったんです。リズムはカチッとしているけど、エスニックなテイストがあったりね。今回のクリムゾンはドラマー3人がステージ前方でプレイするというのが斬新でした。友達が「衛藤くんが言っている“ブレンドラムス”ってこんな感じじゃない?」と言っていましたよ。“ブレンドラムス”というのはブレンド+ドラムス、つまり“合わせ太鼓”で、これまで太鼓とドラムスだけでやってきたけど、それにタップを取り入れるようになったんです。そうするとヴィジュアル的な部分を見せたくなる。それでただのミュージシャンによるジャムではなく、“シアター”になってくるんですよ。

●ロック少年だったそうですが、御父上である生田衛藤流宗家の箏曲家・衛藤公雄氏からどんな影響を受けましたか?

音楽と人生、さまざまな面で影響を受けています。父は1950年代、28歳のときにアメリカに渡って、ずっと向こうで活躍してきたんです。伝統音楽の家元でありながらフィラデルフィア・オーケストラと共演したり、“箏コンチェルト”を作曲したり、今でいうコラボにも積極的に取り組んできました。そこは受け継いでいますね。いろんな音楽が好きで、僕の“レナード”という名前もレナード・バーンスタインにちなんだものなんです。

●お生まれはアメリカですよね?

そう、ニューヨークのW72丁目でした。ダコタハウスがある通りですね。2歳までニューヨークで育って、それからは日本で育ちましたが、国籍はアメリカです。兄スティーヴはLAで生まれました。育った家には、いろんな楽器がありました。長兄の弘幸がベンチャーズの世代だったんで、ギターとベースを持っていて、ベースにベンチャーズのサインが入っていましたよ。父はオーケストラも大好きで、子供の頃、家にコントラバスやチェロ、ピアノ、エレクトーンがありました。トランペットもあったし、唯一なかったのがドラムスやパーカッションだったんです。その代わりスティーヴが桶やドラム缶をドンドン叩いていて、それに影響された僕がハマってしまいました。パールのドラム・キットを買って、キッスのコピー・バンドを始めちゃったりね。

●御父上の後を継ごうとは思いませんでしたか?

考えませんでしたね。父自身、小さな頃から箏だけの人生だったし、それを子供にやらせることにあまり関心がなかったように思います。独立採算制というか、「好きな音楽をやりなさい」と言ってくれました。「ただし音楽を友として自分の道を歩んでいきなさい。サポート出来ることはするから」と言ってくれて、嬉しかったです。ずっと後になって、何故継がせなかったか訊いてみたら、「お前には私と同じことは出来ない」と言われました。でもその後、「親と子で同じことをやってもつまらんだろ」と言われて、そのスケールにやられましたね。父の大きさを感じました。

●では、子供の頃から自宅に和太鼓があったわけではないのですね?

全然(笑)!和太鼓との出会いは高校を出て19歳のとき、ちょうどデーモン閣下とバンドをやっていた頃、人生に迷いがあって、何をしようか、どう生きようかと考えていました。ドラムスを止めようかと悩んでいた時期があったんです。それで外国に行ってみようと思いました。自分が生まれたニューヨークか、あとちょうど藤原新也を読んでいたんで、インドにしようかと考えて、100万円貯めれば何とかなるかなと、バンドをやる傍らバイトもしていたんです。で、たまたま渋谷の道玄坂を歩いていたら、まだHISが1店舗しかない頃なんですけど、“バリ島9万8千円!最後の楽園”という宣伝があって、これにしようと決めて、何の情報もなく3週間行ってきました。今のバリ島とは違って何もなくて、バイクで島を1周したり、地元のオムレツを食べたり。もしあのときバリ島じゃなくてインドに行っていたらどうなっていたかも知れないし、ニューヨークに行ったら アメリカかぶれの人生を送っていたかも知れない。バリ島に行ったことで運命が変わりましたね。

●バリ島での経験がどのように和太鼓に繋がったのでしょうか?

Leonard Eto / photo by Takashi Okamoto
Leonard Eto / photo by Takashi Okamoto

僕の長兄がビクターのレコーディングディレクターで、宇崎竜童と鬼太鼓座のコラボレーション・レコードを作っていたんです。それで鬼太鼓座のパンフレットみたいなのをもらったことがあって。17歳ぐらいのときかな。当時はロック好きだから見向きもしなくて

佐渡で共同生活とか、全然興味なかった。でも19歳でバリ島を旅して、気ままな旅人生もいいなあと思って、ふと兄貴に教えてもらった鬼太鼓座のことを思い出したんです。佐渡でフンドシ姿で和太鼓を叩く彼らを当初「何だかヘンな連中だな」と思っていたけど、彼らは世界的に支持を得ている。もしかして、自分には見えていない部分があるんだろうか?…と思って、だったら3ヶ月ぐらい入ってみようかな、ダメだったら辞めりゃいいしと、やってみることにしました。でも、グループが鬼太鼓座から鼓童になっていて、合計8年間を過ごすことになったんです。

“TAIKO”はグローバルな楽器になった

●鼓童での活動はどんなものでしたか?

ちょうどその時期、鼓童としての形が出来上がっていく時期だったいったんです。新宿のシアターアプルで毎年12月に2週間公演をやって、それで知名度が上がったこともありました。一般のお客さんはもちろん、場所柄もあっていろんなお客さんがたくさん来ていましたよ(笑)。ちょうどその頃、ワールドミュージックが脚光を浴びるようになった時期で、ロンドン公演にピーター・ゲイブリエルが来たり、ローリング・ストーンズの誰かが見に来たとか、ユッスー・ンドゥールや韓国のサムルノリとも出会うなど、いろんな交流が生まれました。僕は元々ロックをやっていたんで、コラボをするときの仲介役みたいになっていたんです。それでしまいには僕がプロデュースするようになっていました。

●世界進出に対する思い入れなどはありましたか?

いや、特に(笑)。ブロードウェイで成功したい!とか、あまり思ってなかったし。それと対照的だったのは、ストンプとかかな。鼓童でロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場で1週間公演をしていたとき、コヴェント・ガーデンでストンプがやっていたんです。彼らはまだ駆け出しだったけど、ショービジネスで成功することに対してすごくハングリーだった。彼らが成功するためにいろんなものを整理して、ある意味捨てていく様子を見ていましたよ。僕たちのステージも見に来て、いろいろ参考にしていたし。ただ、そういったビジネス的な側面は別として、世界のいろんな国の文化に触れるのは楽しいですね。これまで50カ国以上を見てきて、もうアフリカには6回行っているし、インドにも5回行きました。まだ中国やロシアには行ったことがないけど、彼らの文化や音楽に触れてみたいですね。

●世界のミュージシャン達と共演してきて、特に思い出に残っているのは?

アフリカとは全般に相性が良かったですね。彼らの生活の中に、太鼓の音が美学として存在するんです。太鼓は“1”の拍から始まるけど、アフリカの場合“1”の前から始まってるんですよ。裏から入って“1”に着地する。でもゴールは一緒だから、和太鼓のリズムとドーン!と合うんです。つまり、オンビートでいられるんです。アフリカでは人名も裏から入ることがあって、“ンドゥグ”とか、“ン”で始まる名前があるんですよ。

●ミッシェル・ンデゲオチェロとか?

そうそう。で、逆に南米は難しい。“2”にアクセントを置いて、むしろ“1”はミュートされている感じで。頭にドーンと行くと、彼らにとっては不愉快なんですよね。だから共演しづらい。噛み合わないんですよ。ブラジルのアイアート・モレイラと共演したときもカウンターパンチを食らう感じだった(苦笑)。ただ、最近では南米でメタルが流行って、メタリカとかもすごい人気だから、若い層は“1”から入るリズムに違和感なく入っていけるのかも知れないですね。

●世界で長いあいだ活動して、そんな音楽観の変化は感じますか?

そうですね、音楽がグローバルなものになってきたことを感じます。今ではもうTAIKOが世界に通用する言葉で、アメリカ人やフランス人だけの太鼓チームもあったりします。伝統芸能ではなく、ギターやピアノのように世界のさまざまな音楽スタイルに溶け込んだ楽器となっていると思いますね。文化はもう混ざっている。そんな中で人を包み込む、または鼓舞する道具として、太鼓を叩いていきたいと考えています。

レナード衛藤「ブレンドラムス・ツアー2016」

5/18(水)四日市 倶楽部ボルドー

開場18:30 開演19:30

レナード衛藤(太鼓)、浦上雄次(タップ)、洞至(タップ)、的場凛(太鼓)、三浦史帆(太鼓)

5/19(木)京都 磔磔

開場18:00 開演19:00

レナード衛藤(太鼓)、林正樹(ピアノ)、浦上雄次(タップ)、洞至(タップ)

5/23(月)香川 三豊市市民交流センター 愛媛にて「静かなるダンス」を踊る、前田新奈の特別出演決定

開場18:30 開演19:30

レナード衛藤(太鼓)、浦上雄次(タップ)、PORI(タップ)、前田新奈(ダンス)、的場凛(太鼓)

5/24(火)大阪・大丸心斎橋劇場〈大丸心斎橋北館14階〉

開場18:30 開演19:00

レナード衛藤(太鼓)、スティーヴエトウ(重金属打楽器)、林正樹(ピアノ)、浦上雄次(タップ)、PORI(タップ)

Blendrums Special(ブレンドラムス・スペシャル)

5/22(日) 愛媛 八幡浜市文化会館ゆめみかん大ホール

開場16:00 開演16:30

レナード衛藤(太鼓)、前田新奈(ダンス)、鬼武みゆき(ピアノ)、浦上雄次(タップ)、PORI(タップ)、上杉美穂(太鼓)、的場凛(太鼓)

Blendrums with H. E. DEMON KAKKA(ブレンドラムス・ウィズ・デーモン閣下)

『Silently She Dances(静かなるダンス)』

5/20(金)広島 クラブクアトロ

開場18:00 開演19:00

レナード衛藤(太鼓)、デーモン閣下(朗読・歌)、林正樹(ピアノ)、浦上雄次(タップ)、PORI(タップ)

5/27(金)渋谷duo Music Exchange

開場18:00 開演19:00

レナード衛藤(太鼓)、デーモン閣下(朗読、歌)、林正樹(ピアノ)、浦上雄次(タップ)

【レナード衛藤公式サイト】http://www.leoeto.com/

【ブレンドラムス・ウィズ・デーモン閣下『Silently She Dances』(静かなるダンス)特設サイト】http://www.mandicompany.co.jp/Blendrums.html

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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