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【インタビュー後編】ハード・ロックの貴公子ロビー・ヴァレンタイン、来日直前。 クイーンを語る

山崎智之音楽ライター
Robby Valentine on stage

2017年1月に18年ぶりの来日公演を行うロビー・ヴァレンタインへのインタビュー。前編に続く後編では、彼のクイーンへの傾倒についてさらにディープに語ってもらうのに加えて、デヴィッド・ボウイやプリンスへの想い、日本での生活、最近見舞われたトラブル、その今後についてなど訊いてみた。

クイーン・トリビュート・ライヴはマジカルな瞬間になる

●クイーンのレア盤レコードを集めたりしますか?

いや、そうでもない。昔はいろんなアナログ盤レコードを買ったりしたんだけど、あまりに高額になってしまったし、家に置き場がないからね。クイーンに関する新しい本を見かけると買ってしまうけど、結局書かれていることは似たり寄ったりだったりする。まあ、中毒みたいなものだ。最近では他のことにお金が必要だし、プレミア価格は出せないよ。

●何といっても、パパですからね。

そう、子供は金がかかるんだよ(笑)。エレノア・ロビンという娘で、4歳だ。日本にも連れていくつもりだよ。一瞬も離れていたくないし、もう出かけたところを覚えているぐらい大きいんだ。彼女も小学校に入ったらクラスメートに「4歳のとき日本に行ったのよ!」って自慢できるよ!

●今後レコーディングしたいクイーンの曲はありますか?ライヴでは「ワン・ヴィジョン」や「ナウ・アイム・ヒア」、「プレイ・ザ・ゲーム」、「シーサイド・ランデヴー」などをプレイしていますよね?

「デス・オン・トゥ・レッグス」はレコーディングしたかったね。クイーンのファンからはよく「マーチ・オブ・ザ・ブラック・クイーン」をリクエストされるけど、もしやるとしたら、数ヶ月はかかってしまうだろうね。いつかクレイジーな気分になったら、やってみるかも知れないよ。僕も大好きな曲だし、やってみたい気持ちはある。

●日本のファンからは当然「手をとりあって」のリクエストがあるでしょうね。

そうだね。「手をとりあって」はオランダとイギリスのクイーン・ファンクラブのコンベンションでプレイしたんだ。アルバムに収録されていない曲をピアノでメドレー形式でプレイして、その1曲が「手をとりあって」だった。お客さんはみんな一緒に歌ってくれた。ぜひ日本でもプレイしたいと考えているよ。きっとマジカルな瞬間になるだろう。

●日本におけるクイーンの独自ヒット曲といえば「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」もあります。

ああ、そうらしいね。残念ながら今のところ「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」をプレイする予定はないんだ。

●イギリスでもライヴをやっていますが、それはクイーンの曲をプレイするものが多いですか?それともオリジナル曲のライヴでしょうか?

2年前にイギリスのクイーン・コンベンションでプレイしたんだ。去年はノッティンガムの『ロッキンガム』フェスティバルで自分のセットをやった。どちらも好評だったみたいで、今年(2016年)は両方に出演したよ。最高に盛り上がったし、なんせイギリスはクイーンの国だからね。大好きな国で、これからもプレイしたいと考えている。

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デヴィッド・ボウイとプリンスのイメージとスタイルは世界最高

●クイーンの曲に加えて、日本盤『RV』にはデヴィッド・ボウイのカヴァー「ライフ・オン・マーズ(邦題:火星の生活)」が収録されていますが、いつレコーディングしたのですか?

2011年だよ。まだデヴィッドは存命だった。この曲はライヴでプレイしたかったけど、その機会がなかったんだ。日本盤CDを『キングレコード』が出すにあたって、ボーナス・トラックが必要だというんで、収録することにしたんだよ。アムステルダムのウォーム・アップ・ライヴで初めて演奏して、日本でも演りたいと考えている。

●デヴィッド・ボウイの音楽はどれぐらい聴き込んでいるのですか?

恥ずかしながら、まだ初期のアルバムはあまり聴いていないんだ。彼が亡くなってから『ジギー・スターダスト』や『アラディン・セイン』を手に入れたぐらいだからね。ただ彼のカリスマ性とスタイルは凄い。デヴィッド・ボウイやプリンスのイメージとスタイル...彼らはまさに世界最高のポップ・スターだよ。ただ、クイーンのように僕のハートを鷲掴みにすることはなかったんだ。

●これからボウイの名盤の数々を初めて聴くことが出来るというのは、ある意味贅沢ですね!

そうだね(笑)。クイーンについてヴァレンシアに同じことを言ったのを覚えているよ。初めて会ったとき、彼は20歳、僕は22歳だった。彼はクイーンのファンだったけど、ヒット曲ぐらいしか知らなかったんだ。彼は代表曲でないクイーンの曲を知ってすごくエキサイトしていて、羨ましくなったよ。これからボウイの作品を掘り下げていくつもりだ。最近の音楽にはあまり興味を持てないし、発見も少ない。だから過去の作品でまだ聴いていないものを発見するのが楽しいんだ。

●ライヴでプリンスの“パープル・レイン”ギターを弾いている映像を見ましたが、あのギターをメインに弾いているのですか?

Robby with the 'Purple Rain' guitar
Robby with the 'Purple Rain' guitar

そうだよ。あのギターは1996年に日本で買ったんだ。映画『パープル・レイン』を見てから、いつか欲しかったんだよ。『ESP』がSUGIZOのためにこのモデルを作ったと知って、手に入れたかったけど、オランダの『ESP』の代理店では入荷しなかったし、ヨーロッパでは見かけることもなかった。それで日本を訪れた1996年に買ったんだよ。 僕の一番お気に入りがギターというだけでなく、今では唯一弾くことの出来るギターなんだ。6ヶ月前、右目が感染症で見えなくなってしまって、左目の視力も良くない。“パープル・レイン”ギターはネックが太くて、フレットボードのどこを押さえているか判るけど、他のギターでは見えないんだよ。2週間前にドイツのフェスティバルに出演して、『アイバニーズ』のギターを弾いたけど、何度も間違ってしまった。日本には“パープル・レイン”ギターを持っていくよ。

●右眼の視力は完全に失ってしまったのですか?

明暗は判るけど、ものを見ることは出来ないんだ。三重感染で瞳孔が損傷してしまって、どうにもならないんだよ。角膜の移植をすることも難しいらしい。数年すれば損傷部が治癒する可能性もあるけど、あまり期待することは出来ないそうだ。

●日常生活の問題はありませんか?

幸い自転車には乗れるけど、混雑した場所には行くことが出来ない。最悪なのは、もう自動車の運転を出来ないことなんだ。テレビは大画面テレビで見るからいいけど、本はライト付きの虫眼鏡で読んでいる。

●...このことは日本のファンに明らかにしても良いでしょうか?

構わないよ。むしろ伝えておかないと、みんな僕の歩き方がおかしいと思うかも知れない。視力が悪いと知れば、納得してくれるだろう。ドイツの『HEATフェスティバル』に出演したときは、バックステージが暗くて、メンバーに捕まらないと歩けなかった。みんな事情を知らないから、心配そうに僕のことを見ていたよ。

●『ビザーロ・ワールド』を発表してもう2年になりますが、新曲は書いていますか?

ニュー・アルバム用の曲を5曲書いたところだよ。当初は先行シングルを今年(2016年)12月に出す予定だったけど、僕の目の問題で、ミックスやビデオ撮影が滞ってしまって、いったん中止にせざるを得なかった。日本公演の後、また作業を続けるつもりだよ。

●日本公演で新曲を披露する予定はありますか?

うーん、どうだろうね。オリジナル曲中心の初日公演で考えているのは、『ビザーロ・ワールド』からの曲と昔の曲を半分ずつにする構成なんだ。ただ日本のファンのために、最初の3枚のアルバムからの曲を増やそうと考えている。メドレー形式で何曲かをプレイすることになるよ。もう12年間ずっと演っていない曲だから、しっかりリハーサルとサウンドチェックをしなきゃね。

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日本に来るのは故郷に戻るような経験だった

●日本にはあなたの音楽を愛するファンが多くいますが、それと同時にあなたのヴィジュアルに惹かれるファンもいます。どんなところからヴィジュアル・コンセプトの着想を得たのですか?

僕が音楽に目覚めた1970年代にはクイーンやグラム・ロックがあったし、ティーンエイジャーだった1980年代にはデュラン・デュランや、ボン・ジョヴィやヨーロッパなどのヘア・メタルがいた。彼らのメイクやヘアスタイルから触発されたんだ。僕がファースト・アルバムを発表した1992年、オランダとヨーロッパ、世界中がグランジ全盛だった。僕は時代遅れだったんだ。オランダでは誰もが木こりみたいな格好をしていたよ(苦笑)。だから日本に来るのは、故郷に戻るような経験だった。自分らしくいられたんだ。オランダだったら「うわぁ、ネールを塗ってやがる。アイメイクもして、最悪な野郎だ」と憎まれるのに、日本だと何とも言われなかった。嫌われることもなかったんだ。

●1970年代のグラム・ロックでお気に入りだったのは?

スウィートの曲とハーモニーは好きだった。1970年代には誰もがきらびやかだったんだ。ディスコもあった。みんなABBAみたいになりたかった。グラム・ロックはキラキラ輝いていた。僕はそんな世界に育ったんだ。街を歩くような、仕事で着るような格好でステージに上がりたくなかった。1990年代、みんな普段着でライヴをやっていたんだ。でも日本のファンは、僕のやりたいことを判ってくれた。日本でもグランジがビッグだったことは知っているけど、華やかな世界も理解してくれたんだ。むしろ日本に来ると、自分が地味に思えたほどだよ。X JAPANみたいにファンタスティックでド派手なヘアスタイルやメイクのバンドが大勢いて、自分のファッションが退屈に見えたんだ。もし僕が日本に生まれていたら、もっと凄いファッションをしていたかも知れない。

●以前、日本に住んでいたのですよね?

そう、日本人女性と4年間結婚していたんだ。彼女の実家に1996年から1997年にかけて、半年間住んでいたよ。日本の文化は素晴らしかったし、最初の3ヶ月は自分の人生で最も幸せな時期だった。

●あなたが大阪の町なかを歩いていると、そうとう目立ったのでは?

日本で良かったのは、自分と異なった外見であっても受け入れてくれることだった。オランダだったらジャージ姿で歩いていても「長髪のバカ野郎」とか罵られるのに、日本の人々は常に親切で礼儀正しくて、それが大好きだったよ。

●日本語は話せますか?

当時は勉強したんだけどね、あまりに難しすぎた。カタカナとひらがなは読めたけど、今ではすっかり忘れてしまったよ。

●大阪と東京では日本語が若干異なるのは知っていましたか?

そうらしいね。ただ残念ながら、その違いが判るほど日本語が上達しなかったんだ。遠くない将来、当時住んでいた場所に戻ってみたいね。もう20年ぶりになるよ。都島、それから千里を覚えているよ。今回は東京公演のみだけど、次回以降は大阪にも行きたい。そういう意味でも、日本公演はすごく楽しみにしているんだ。

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VALENTINE Japan Tour 2017 〜 Melodic Power Metal Night Vol.19 〜

【 Robby Valentine presents : a Tribute to Queen 】

ヴァレンタインの原点「クイーン」への【トリビュート・ナイト】

1月20日(金)渋谷・duo MUSIC EXCHANGE

開場18:00/開演19:00

【 Robby Valentine- Bizarro World 】

オリジナル楽曲を中心とした【ヴァレンタイン・ナイト】

1月21日(土)渋谷・duo MUSIC EXCHANGE

開場17:00/開演18:00

イベント公式サイト M&Iカンパニー

http://www.mandicompany.co.jp/Valentine.html

アーティスト公式サイト

http://www.robbyvalentine.nl/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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