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「立件」この不可解なマスコミ用語ーPC遠隔操作事件・5か月目の報道検証(下)

楊井人文弁護士

先に、PC遠隔操作事件の「追送検」報道で、「立件」という言葉がたびたび登場したことを指摘した。この機会に「立件」という概念を徹底的に解剖しておきたい(PC遠隔操作事件の詳しい報道経緯は、GoHoo特集ページも参照)。

事件報道で「立件」という表現を見聞きしたとき、一般読者はどのような印象をもつだろうか。なんとなく、捜査当局が「クロ」と判断した事件、証拠がそろい起訴相当の事件、という印象を受けるのではないだろうか。中には「起訴」そのものと勘違いしてしまう読者もいるのではないかと思われる。

前回の繰り返しになるが、「立件」は法律用語ではなく、刑事訴訟法上の手続に存在しない。警察行政上も明確な定義がなく、統計用語にもなっていない。マスコミ以外で一般に使われることもめったにないと思われる。

この「立件」という単語、国語辞典で引くと、定義・要件が実にバラバラなのである(引用中、太字強調は筆者)。

(1) 刑事事件で、検察官が公訴を提起する要件を備えていると判断すること。(大修館・明鏡国語辞典第2版)

(2) 刑事事件において、検察官が公訴を提起するに足る要件が具備していると判断して、事案に対応する措置をとること。(小学館・大辞泉第2版)

(3) 刑事事件で、検察官が公訴を提起する要件を備えていると判断し、訴状(引用者注:ママ)が裁判所や検察庁に受理されること。(集英社・国語辞典第3版)

(4)検察官が訴追を確定すること。(小学館・新選国語辞典第9版)

(5) 刑事事件で、検察官が公訴を提起する要件が備わっていることを立証すること。(旺文社・国語辞典第10版)

(6) 必要な条件がそなわっていると判断して、検察官が刑事事件として取り上げること。(学研・現代標準国語辞典改訂第2版)

(7) 公訴を提起する前提条件または要件が成立すること。(三省堂・大辞林第3版)

(8) 要件が備わっているとして、裁判所や検察庁などに事件が受理されること。(岩波書店・広辞苑第6版)

(9-1) 起訴するに足る条件が整ったものと捜査当局が判断して、容疑者の逮捕・取り調べを始めること。(9-2)その結果を踏まえて、検察官が告訴(引用者注:ママ)の手続きに入ること。(三省堂・新明解国語辞典第7版)

(10) 刑事事件として取り上げること。事件化。(三省堂・国語辞典第6版)

見ての通り、さまざまな定義がある中で、共通項として最も多かったのは「検察官が公訴を提起できる要件が備わっていると判断した」という要件。ポイントは、(9-1)(10)の定義を除いて、「立件」の主体はあくまで「検察官」とされている点だ。ところが、マスコミの事件報道での「立件」は、必ずしも「検察官」が主語となるケースに限られているわけではない。むしろ「警察官」が主語となることが多いようだ。

事件報道での「立件」の使われ方

私が複数のマスコミ関係者にどのような場合に「立件」という表現を使うか尋ねたところ、明確な定義やルールがあるわけではないが「起訴見込みの高い(書類)送検」「起訴前提の送検」の場合に使うだろう、という答えが大半だった。この定義によれば、「立件」の主体は送検する側の「警察官」となる。

事件報道の見出しで「立件」が使われた例。右側2件はPC遠隔操作事件での見出し。
事件報道の見出しで「立件」が使われた例。右側2件はPC遠隔操作事件での見出し。

朝日新聞社が出している『事件の取材と報道2012』というルールブックをみると、「逮捕」「勾留」「起訴」といった用語の解説はあるが、「立件」の説明はない。「検挙」(*1)の説明の中で「逮捕、身柄送検、書類送検など処分が明らかになったときは、『検挙』は使わず、『○人を逮捕、○人を書類送検』あるいは『○人を立件』などと書く」という指南があり、これが唯一「立件」に触れた部分とみられる。これだけではどういう場合が「立件」に当たるのかよくわからないが、やはり「立件」の主体を「警察官」と捉えているようだ。なお、「身柄送検」「書類送検」は「処分」ではない。刑事訴訟法上、原則として「送検しない」という選択肢はないのだから(―(中)「送検=起訴見込み」という誤謬参照)。

「立件」は必ずしも「送検」時だけに使われるわけでもなく、「立件へ」「立件方針」といった表現で使われることも多い。検察が自ら捜査する事件(特捜事件など)で「立件へ」が使われることもあるが、警察の捜査着手をもって「立件へ」ということも少なくない。このように「立件」は事件報道で欠かせないキーワードとなっている。ためしに全国紙の記事データベースで「立件」が見出しに入った記事を検索すると、今年1月以降だけで、一紙あたり20件前後が引っかかる。本文だけに「立件」が入った記事だと、もっと多い。その大半が「警察」が主語で、「検察官が公訴を提起できる要件が備わっていると判断した」というケースで使われたものではなかった。

警察の意向を反映した「立件」報道

「立件」が「起訴見込みの送検」の場合に使われたとしよう。問題は、記者がいかなる根拠で「起訴見込み」と判断しているのかである。

実務上、警察は送検時に起訴すべき事案かどうか意見を付しているとされる。が、起訴するかどうかの判断は検察官の専権事項で、警察の意見に拘束されるわけではないから、これだけで「起訴見込み」と判断できるはずがない。かといって、記者が起訴できるだけの証拠がそろっているかどうかを確認できるはずもない。

結局、警察の「起訴に値する」「起訴してほしい」という意向をくむか、取材で断片的に得た捜査情報で起訴に至るかどうかを予想するか、で判断せざるを得ない。起訴後の有罪率99%のわが国の刑事司法において「起訴見込み」と判断することは「有罪見込み」という認識にもつながる。そこに、「立件」というニュース価値のあるキーワードで最新の捜査動向を先取りしたいという記者の功名心が加わると、仮に嫌疑に否定的な情報や捜査上の問題点があったとしても目が向かなくなるだろう。「立件」というマスコミ用語は、まさに捜査側に偏重した今日の事件報道のあり方を象徴しているように思われる。

ちなみに、今朝、PC遠隔操作事件にからみ、共同通信と朝日新聞が不正アクセス禁止法違反で「書類送検へ」と報じられている(「PC操作:朝日、共同記者書類送検へ サーバーに侵入容疑」)。この場合は、なぜ「立件へ」といわずに「書類送検へ」なのか、という疑問をぜひ持っていただきたい。

いずれにせよ、事件報道における「立件」は、送検や起訴と同列の客観的概念ではなく、多くの場合「起訴見込み」という警察側の意向を反映した判断や記者の予想が入り混じった曖昧な概念であり、その使い方に明確なルールもない。にもかかわらず、「立件」報道は、その客観的な響きとともに読者に「クロ」(推定有罪)と印象づける効果がある。送検時まで白紙状態のはずの検察に起訴を促すプレッシャーとなる可能性もある。

「立件」と報じて不起訴となった事件も、現に存在する。事件報道は天気予報ではない。「立件」などと言わずに淡々と「警察の捜査終結により書類送検した。今後、起訴するかどうかは検察官が判断することになる」と伝えるべきではないのか。最後に、「立件」などという曖昧な用語は極力使うべきでない、と指摘したマスコミOBもいることを記しておきたい。

(*1) 「立件」に似た表現として「検挙」という用語がある。これも法律用語ではなく刑事訴訟法上の手続に存在しないが、警察行政上は定着し、統計用語にもなっている。「検挙件数」は統計上「検察官に送致・送付した件数のほか,微罪処分にした件数等も含む」とされている(犯罪白書参照)。「検挙」そのものの明確な定義は見当たらないが、「検挙件数」の定義から推測するに、警察が被疑者を特定して捜査を行うことを指すとみられる。

弁護士

慶應義塾大学総合政策学部卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年より誤報検証サイトGoHooを運営(〜2019年)。2017年、ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人、事務局長兼理事を約6年務めた。2018年、共著『ファクトチェックとは何か』出版(尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー)。2023年、Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。現在、ニュースレター「楊井人文のニュースの読み方」配信中。ベリーベスト法律事務所弁護士、日本公共利益研究所主任研究員。

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