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誰もが憲法9条に対してクリーンハンドではない、ということ ~今後の熟議のために(上)

楊井人文弁護士
朝日新聞1973年9月7日付夕刊(左)と阪田雅裕元内閣法制局長官がまとめた解説書

いわゆる平和安全法制に関する一連の法案が9月19日未明、参議院で可決、成立した。これまで、私は、日本報道検証機構の活動の一環で、在京5紙(読売、朝日、毎日、産経、東京)を中心に関連する報道を観察してきた。憲法審査会で長谷部恭男・早稲田大教授や小林節・慶応大名誉教授ら憲法学者3人が法案について「違憲」と明言したことを大々的に取り上げ、憲法論議を活性化させた点は、一部メディアが重要な役割を果たした。だが、その転機となった6月以降は、取材・報道姿勢が二項対立的視点にとらわれ、多様な見解より社論に沿ったステレオタイプな言説が支配し、「報道の二極化」現象が極まった観がある。(*1) メディアが膨大な量の報道をしてきたわりに、憲法論議と安全保障論議を深める役割を果たしたといえるか、疑問が残った。

そこで、今後の報道や熟議の一助になればという思いから、これまでクローズアップされてきた憲法論を中心に、二項対立的視点を相対化する論点とエビデンスを思いつく限り列挙してみることにした。ただ、本稿は、これまで私がしてきたファクトチェックを中心とする報道検証の仕事とは異なり、個人的見解に基づくものである。本稿の問題設定や個々の資料紹介、論評には、当然、私自身の憲法や安全保障、政治に対する考え方がある程度反映されていることを、ご了解いただきたい。

なお、本稿では便宜上、読売新聞と産経新聞を「賛成派メディア」、朝日新聞と毎日新聞と東京新聞を「反対派メディア」と呼ぶことにする。

1 「憲法学者の十中八九が安保法案を違憲と指摘している」というときの母数に学界多数の「自衛隊違憲」派学者が含まれていた、という問題

メディアは、安保法案を「違憲」とする学者を一括りにして、いかに圧倒的に多いかを強調し、その中の根本的な立場の相違には目を向けてこなかった。

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6月以降、少なくとも4つのメディアが、安保法案の合憲性などの見解を問う憲法学者へのアンケート調査を実施した(*2)。このうち朝日新聞とNHKの質問には「自衛隊の合憲性」も含まれていたが、NHKは圧倒的多数の学者が法案を違憲と回答したことを報じただけで、他の質問への回答は一切明らかにしなかった。朝日は紙面を大きく割いてアンケート結果を詳報したのに「自衛隊の合憲性」の回答データを一切載せず、デジタル版だけに簡単に記して済ませていた。その結果は、自衛隊を「違憲」と回答したのは122人中50人で、「違憲の可能性がある」との回答をあわせると77人(63%)いたが、逆に「合憲」と答えた学者は28人(23%)だった。(*3)

朝日新聞1991年11月18日付朝刊3面。違憲説が圧倒的だったPKF本体業務への参加を可能にするPKO法改正は2001年に成立した。
朝日新聞1991年11月18日付朝刊3面。違憲説が圧倒的だったPKF本体業務への参加を可能にするPKO法改正は2001年に成立した。

自衛隊違憲説を明言する学者は減少傾向にあると言われるが、わずか4年前に刊行された憲法のコンメンタールには、今も「非武装主義論が、圧倒的通説」と記されている(*4)。かつてのメディアは、憲法学者の大半が「自衛隊違憲説」であることを包み隠さず報じていた。PKO法案をめぐり朝日新聞が実施した憲法学者アンケート(1991年)では「自衛隊違憲」説が84%、「合憲」説は11%だった。(*5) 1997年の日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)策定時に実施されたアンケートでも、75%が「自衛隊が違憲」という理由で「新ガイドラインも違憲」と回答したことを報じていた。(*6)

自衛隊が違憲なら、論理必然的に個別的のみならず集団的自衛権の行使も違憲となる。そうした見解が支配的な憲法学者にアンケート調査すれば、圧倒的多数が安保法案を「違憲」と答えることは火を見るより明らかだった。 ところが、特に反対派メディアは、自衛隊「違憲」派学者が衆議院の公聴会で「憲法9条のもとでは個別的、集団的問わず、自衛権の行使のためであっても、戦争や武力の行使はできない」と述べても、その部分は無視して「法案は違憲」という結論だけを伝えていたのだった。(*7)

2 自衛隊合憲説の学者に限ると、集団的自衛権行使について「違憲」と「違憲とは断じ切れない」という見解に二分されていた、という問題

朝日新聞がデジタル版で公開した詳細なアンケート回答結果(*8)を分析すると、実名で自衛隊を「違憲」と答えた学者全員が安保法案も「違憲」と答えた。他方、少数の自衛隊「合憲」派学者のうち安保法案を「違憲」と明確に答えたのは19人中8人(この中に長谷部教授と小林教授も含まれる)と半分以下だった。

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憲法学界の重鎮である佐藤幸治・京都大名誉教授も自衛隊「合憲」派だが、安保法案について「違憲」とは明言していないとみられる。憲法学界で確かな地位を築いておられる大石眞・京大教授(*9)や曽我部真裕・京大教授(*10)、山元一・慶大教授(*11)も、集団的自衛権は憲法上絶対に許されないという見解には立っていない。

私は、憲法に明確な禁止規定がないにもかかわらず集団的自衛権を当然に否認する議論にはくみしない。ただ、念のため付言すれば、その意味は、明らかに違憲と断定する根拠は見出しがたいというものである。憲法上認められるからといって集団的自衛権の行使を推奨するものではないのはもちろん、そこには集団的自衛権自体の行使の要件、武力行使に伴う文民統制、対外関係その他を考慮して行われるべき政治的な総合判断と国会両議院の成熟した議論こそが重要である、と言いたいのである。

出典:大石眞「日本国憲法と集団的自衛権」『ジュリスト』2007年10月15日号、37-46頁

現在の違憲論の論調は、個別的自衛権なら健全な防衛であり、集団的自衛権は悪魔的であるという“誇張的・グロテスク”な描き方になっていると思います。従来の内閣法制局の憲法解釈が、憲法上発動することが許される個別的自衛権と、許されない集団的自衛権という形で完全に峻別してきたことの影響を見て取れます。…(略)…集団的自衛権が全く認められない世界というのは逆に恐ろしい面もあります。現在の国際立憲主義体制では、軍事的措置を取るかの判定権を、国連の安全保障理事会に独占させています。常任理事国である5つの大国は拒否権を持っていますから、いずれかがこれを行使してしまうと、加盟国は軍事的対応を取ることができません。そうすると、侵略された国は切り捨てられることになってしまい、自分以外に守る国は一切いなくなるということになります。

集団的自衛権は、こうした安全保障理事会でのプロセスを経ることなく、第三国が他国の防衛行動をすることを法的に正当化するもので、安全保障を実現するための補完性を持っています。国際立憲主義体制の基本思想からは、自国以外の国の防衛を、自国にまったく関係のない他者を防衛することとして考えることは妥当とはいえないのです。

出典:THE PAGE「解釈改憲は悪か? 安保法案「違憲論」への違和感 慶応大・山元教授に聞く」(2015年7月12日)

こうした多様な見解をほとんど紹介せず、人数に着目して「違憲」派を一括りにする報道姿勢に対し、安保法案を「合憲」と明言している数少ない憲法学者である井上武史・九州大准教授は、アンケートの回答欄で次のように苦言していた。

おそらく、貴社の立場からすれば、このアンケートは、憲法学者の中で安保法制の違憲論が圧倒的多数であることを実証する資料としての意味をもつのだと思います。しかし、言うまでもなく、学説の価値は多数決や学者の権威で決まるものではありません。私の思うところ、現在の議論は、圧倒的な差異をもった数字のみが独り歩きしており、合憲論と違憲論のそれぞれの見解の妥当性を検証しようとするものではありません。新聞が社会の公器であるとすれば、国民に対して判断材料を過不足なく提示することが求められるのではないでしょうか。また、そうでなければ、このようなアンケートを実施する意味はないものと考えます。

出典:朝日新聞デジタル7月17日掲載

続く

  • 一部読者の指摘を受け、「Q.現在の自衛隊は違憲と考えますか?」の3D円グラフを通常の円グラフに変更しました。(2015/9/24 16:30)

【注釈】

(*1) 「報道の二極化」については、徳山喜雄「安倍官邸と新聞 『二極化する報道』の危機」(集英社)山田道子・毎日新聞紙面審査委員「<メディア万華鏡>安倍政権下で顕著な「朝毎東」「読産日経」二極化」(毎日新聞プレミア2015年9月4日)「安保法賛否・デモの報道…新聞各紙、二極化する論調」(朝日新聞デジタル2015年9月19日)参照。

(*2) 今年6月以降、憲法学者アンケートを実施したのはテレビ朝日、東京新聞、朝日新聞、NHK(調査結果の発表順)。各社の調査概要は、【GoHooトピックス】NHKも憲法学者アンケート 結果発表は5問中1問だけ参照。

(*3)【GoHooトピックス】朝日新聞 憲法学者アンケートの結果の一部を紙面に載せず参照。

(*4) 「別冊法学セミナー 新基本法コンメンタール 憲法」日本評論社、2011年、第2章「戦争の放棄」(愛敬浩二執筆)。

(*5) 朝日新聞1991年11月18日付朝刊3面「憲法学者アンケート 平和維持軍『参加できない』が大勢 回答の8割」。国連平和維持軍(PKF)参加の合憲性などを憲法学者に問うアンケート調査で、回答者81人のうち、「9条に照らして、自衛隊はそもそも違憲」は78%、「9条は『自衛のための必要最小限度の実力』の保持は認めているが、現在の自衛隊はこの程度を越えているため違憲」が6%、「9条は『自衛のための必要最小限度の実力』の保持は認めており、現在の自衛隊はこの範囲内だから合憲」が9%、「9条に照らしても、自衛隊は無限定に合憲」が2%。

(*6) 朝日新聞1997年11月2日付朝刊35面「新ガイドライン 憲法学者にアンケート 『平和主義』半世紀 揺れる原点危ぶむ 自衛隊そもそも違憲」。回答者141人のうち、新ガイドラインについて「違憲の疑いがある」が114人、「合憲」は14人。104人が「新ガイドラインの前提となる自衛隊が違憲」を選択。

(*7) 2015年7月13日の衆議院平和安全法制特別委員会公聴会での小澤隆一・東京慈恵会医科大教授の陳述。

(*8)朝日新聞デジタル「安保法案 学者アンケート」

(*9) 引用したジュリスト論文のほか、大石眞「憲法講義1(第3版)」有斐閣、2014年、読売新聞2015年8月2日付朝刊「[語る]安全保障法制 憲法解釈 変更あり得る/京都大教授 大石眞氏」も参照。

(*10)朝日新聞アンケートに対する曽我部真裕・京大教授の回答。「一般論として、日本国憲法制定の経緯や文言からして個別的自衛権が認められる以上、自衛権説で説明できる範囲の限定的な集団的自衛権は憲法上認められると考えます」としたうえで、「政府の裁量を拡大する「存立危機事態」関連の規定は、違憲の疑いがあると考えます」との見解を示している。

(*11)朝日新聞アンケートに対する山元一・慶大教授の回答。このほか、論考「集団的自衛権容認は立憲主義の崩壊か?」(シノドス2015年8月20日)朝日新聞2015年9月15日付朝刊34面「憲法の「解釈」生かす道 民主的な討議で解釈変更 山元一・慶大教授」も参照。シノドス論文の次の指摘にも留意されたい。

<憲法9条解釈というフィールド>で示される憲法解釈は、憲法学者の政治的社会的選好や価値判断、さらにはその時々の政治状況に対応した政治的ストラテジーが露骨に示される場であり、通常の法律問題についての専門家としての学理的見解とはかなり趣を異にするものであることがわかります。

また、憲法学者となる動機として、憲法9条の掲げる崇高な理念に心打たれてその道に入った者も決して珍しくないことも付け加えておくべきでしょう。

憲法学者の見解について「9割の憲法学者が……」というようなメディアの報道が目につきます。メディアを通じて情報を得る批判的精神を備えた市民が理性的判断をおこなうためには、このような<憲法9条解釈というフィールド>のもつ特殊性をよく認識した上で報道を受け止めるリテラシーをもつことが、大変重要になってきます。

出典:山元一「集団的自衛権容認は立憲主義の崩壊か?」(シノドス)

【続編】

(中)編

3 自衛隊と個別的自衛権行使の容認は9条2項と整合しない「解釈改憲」に支えられてきた、という問題

4 従来の政府見解に依拠した反対派の主張は「ご都合主義的」ではないのか、という問題

(下の1)編

5 従来の政府解釈の妥当性が長年、批判を受けてきた、という問題

(下の2)編

6 日米安保体制を選択して集団的自衛権と無縁でいられるのか、という問題

(下の3)編

7 9条と実態の乖離を固定化することが「立憲主義」に合致する態度なのか、という問題

弁護士

慶應義塾大学総合政策学部卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年より誤報検証サイトGoHooを運営(〜2019年)。2017年、ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人、事務局長兼理事を約6年務めた。2018年、共著『ファクトチェックとは何か』出版(尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー)。2023年、Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。現在、ニュースレター「楊井人文のニュースの読み方」配信中。ベリーベスト法律事務所弁護士、日本公共利益研究所主任研究員。

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