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天皇陛下「生前退位の意向」は本当か? メディアは宮内庁長官会見全文を公開せよ

楊井人文弁護士
天皇陛下「退位」の意向を報じた7月14日付朝刊各紙

7月13日午後7時、NHKが天皇陛下が天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁関係者に示されていることが分かった、との驚くべきスクープを放った(NHK第一報)。直後から主要メディアが一斉に後追いし、翌朝の全紙が「生前退位の意向」と1面トップで報道。ニュースは世界を駆け巡り、日本の政界、社会に大きな波紋をもたらしている。宮内庁は事実関係を全面否定したとの情報も流れ(朝日新聞デジタル)、政府(菅義偉官房長官)も「宮内庁長官や宮内庁の次長が申し上げてるとおりであって政府としてコメントは控えたい」(15日午前の定例会見)と繰り返している(官房長官会見一問一答は後掲)。【文末に追記あり】

これだけの重大なニュースであるから、NHKをはじめメディア各社は慎重にも慎重に何重もの裏付けを取って100%の確証をもって報道したのだろうと信じたいが、一抹の不安は拭えない。

まだ天皇陛下からのお言葉は何も発せられていない。近く、何らかの形で意向を公表するとの報道も出ているが、それも定かでない。たとえば、産経新聞は最初の電子版号外で「ご自身で国民に表明へ」と報じたのに、数時間後にその部分だけ削除してしまった(例によって何の断り、説明もなく)。

産経新聞電子版号外(2016年7月13日夜)
産経新聞電子版号外(2016年7月13日夜)

情報源については、どのメディアも「宮内庁関係者」あるいは「政府関係者」という、無内容な情報しか示していない。天皇陛下から直接聞いた「関係者」の証言を得たのか、情報源となった「宮内庁関係者」は何人なのか、天皇陛下の「意向」をどれだけ正確に知り得る立場なのかどうか。これだけ重大なニュースにもかかわらず、情報の信憑性を判断するための材料がほとんど提供されていない。確実にいえることは、天皇陛下が当該「意向」を実際にどのような言葉で周囲に語ったのか、鍵カッコで引用できるような発言内容のファクトはどのメディアも報じていない、ということである。そのファクトが取れていないのだとすると、再伝聞、再々伝聞…である可能性が高い。

だが、すでに「天皇陛下が生前退位の意向を示された」ことが既成事実として独り歩きをはじめ、各方面に影響を与えている。

この報道でとくに留意しなければならないことは、「天皇陛下が生前退位の意向を持ち、それを周囲に示した」かどうかと、「天皇陛下が生前退位の意向を国民に伝える決心をしているレベルにまで固めている」かどうかは別問題であり、全く別のファクトだということだ。しかし、報道を見る限り、天皇陛下の「意向」が果たしてどのレベルのものなのかが、分からない。もしメディアが裏付けをとろうとしたファクトが前者だけだとすると、非常に危ういと思う。

天皇陛下も人間であるから私的感情、私人としてのお気持ちがある。それと、まさに憲法上「象徴」と規定された公的存在としての天皇陛下が国民に伝えたいと判断される事柄は、必ずしもイコールとは限らない。たとえ、天皇陛下が何らかの感情を持ち、周囲に漏らされた事実があっても、それを国民に伝える決心にまで至っていないのだとしたら、伝聞情報に基づいて報道し、周囲が忖度して動き出すような状況を作り出してよいのか。もしかすると、天皇陛下はまだ固まっていない「意向」を外部に公表されることを望まれていなかったかもしれない。しかし、意に反して公表されても、天皇陛下は一般国民のように反論等を発表することができない立場にある。報道に対してどのような思いをもっていても、国民の前では笑顔をふりまかれることが宿命づけられた地位にある。果たして、今回の報道はどこまで天皇陛下の「意向」を反映したものなのであろうか。

既にこうした報道がなされてしまった以上、国民は、宮内庁の説明を正確に知る権利がある。宮内庁が天皇陛下の意向に反した情報を出すとは考えにくく、極めて慎重に言葉を選んでいるはずである。

ところが、全国紙など主要紙をみた限り、宮内庁次長や長官のコメントの扱いは非常に小さく、目立つ見出しを立てて報じていない。報道によれば、宮内庁の幹部は次のようにコメントしている。

宮内庁の山本信一郎次長は13日夜、NHKが最初に生前退位について報じた後に宮内庁内で報道陣の取材に応じ、「報道されたような事実は一切ない」と述べた。宮内庁として生前退位の検討をしているかについては「その大前提となる(天皇陛下の)お気持ちがないわけだから、検討していません」と語った。さらに「(天皇陛下は)制度的なことについては憲法上のお立場からお話をこれまで差し控えてこられた」とも話した。

宮内庁の風岡典之長官も報道陣の取材に対し、「次長が言ったことがすべて」とした。

出典:朝日新聞デジタル 2016/7/13(14日付朝刊にも掲載)

宮内庁の風岡典之長官は14日、定例会見で、天皇陛下が生前退位の意向を示されたとの報道について「具体的な制度についてお話しになられた事実はない」と述べた。「従来陛下は憲法上のお立場から、制度について具体的な言及は控えている」と繰り返し、皇室典範など制度に関する陛下の発言はないことを強調した。

生前退位のお気持ちの有無については「活動の中でいろいろなお考えをお持ちになることは自然なこと」としながらも「第三者が推測したり解説したりするのは適当ではない」と話した。また、生前退位を前提に宮内庁が官邸と相談や検討を行っている事実もないと説明した。

出典:毎日新聞ニュースサイト 2016/7/14(15日付朝刊に掲載)

13日夜の宮内庁次長のコメントは「お気持ちがない」と全面否定していたが、宮内庁長官は14日の定例会見で、天皇陛下が「具体的な制度についてお話しになられた事実はない」と否定する事実の範囲をやや狭めたようにもみえる。また、「いろいろなお考えをお持ちになること」は「自然なこと」(「あり得ること」と引用したメディアもある)とも述べ、前夜の全面否定のトーンを少し下げ、含みを残したようにも感じられる。

だが、いうまでもなく、言葉の意味や発言者の意図は、質問と応答のやり取りや文脈から切り離しては正しく理解できない(このことは、天皇陛下の「意向」とされる発言についても当てはまる)。

13日夜の宮内庁次長を囲んだ質疑応答は1時間20分も行われたというが(J-CAST)、どのメディアもコメントを断片的に引用しているだけで、会見全文を載せたものは見当たらない。14日も定例会見だというのに長官の音声入りの会見映像も流れてこない(宮内庁記者会の取り決め上できないのであろうか。宮内庁もホームページに会見記録を公開していない。産経がニュースサイトで一問一答を掲載しているが、かなり簡略化されているとみられる)。そのため、象徴天皇制のあり方にかかわる重大な問題にもかかわらず、一般国民は、数少ない判断材料である宮内庁長官らの発言内容すら正確に知るすべがなく、誤解のリスクにさらされている。

メディアは国民の知る権利に貢献するために存在し、国民を代表して宮内庁長官らを取材しているはずである。であれば、せめて宮内庁の記者会見を一字一句全て公開すべきではないか。そのうえで、メディアが独自に入手した情報に照らして検証し、解説を施せばよい。

そして、国民としては、報道が間違いないと確信できる材料が得られるまでは判断を保留し、天皇陛下からのお言葉を待つのが賢明だと思うのだが。

【追記】

共同通信が16日、「天皇陛下自身は早期退位の希望を持たれていないことが15日、政府関係者への取材で分かった」と報じた(スポーツニッポンのサイトに共同通信が配信した詳報版が掲載されている。簡略版は共同通信サイト)。天皇陛下が側近らに退位という文言や時期を明示したことはないという情報や、複数の宮内庁関係者が「生前退位という言葉を陛下から聞いたことがない」と証言していることを伝えている。一方で、宮内庁では幹部クラスが今春から生前退位について詳細な研究が進められていたとも伝えている。共同通信の記事は、一部地方紙の16日付朝刊で掲載されたが、加盟している毎日新聞や東京新聞では確認できなかった。

この報道が事実だとすれば、天皇陛下が象徴としての地位と活動のあり方についての自身のお考えを周囲に漏らしていたとしても、「生前退位」を望むというような具体的な「意向」を示したものではなかったことになる。仮に政府・宮内庁内で秘密裏に生前退位についての研究を進めていたことが事実だとしても、それをもって天皇陛下が生前退位を望んでいるという「意向」を持っておられると推認することはできない。依然として天皇陛下の「意向」を裏付ける有力な情報は続報でも出ておらず、「天皇陛下が(数年内の)生前退位の意向を示された」というNHKのスクープや各メディアの後追い報道は、誤報もしくは重大なミスリードだった可能性が出ている。(2016/7/16 18:15追記)

菅義偉官房長官記者会見(2016年7月14日午前)

Q 天皇陛下が生前退位のご意向を示されていることについて、政府としての受けとめをお願いいたします。

A まず、報道はもちろん承知してますけれども、政府としてコメントすることは控えたいと思います。

Q 関連で。長官ご自身は、このご意向について、昨夜の報道の前に把握されていたんでしょうか。

A いえ、全く承知してません。

Q もう一点。内閣官房の皇室典範改正準備室もしくは杉田副長官をトップとするチームが存在するとの一部報道もありますが、こうした組織などで、生前退位に関して政府が皇室典範の改正など対応を検討しているという事実、または今後検討していくという考えはありますでしょうか。

A そういう報道があったことは承知してますけども、多分ですね、政府では皇族の減少にどのように対応していくかということで、杉田副長官のもとにそうした内閣官房皇室典範改正準備室、こういうものを中心に検討を行ってはおります。そのことじゃないでしょうか。

Q 関連になりますが、政府としてはコメントを控えたいということですが、昨晩、宮内庁次長はですね、報道陣に対して報道の事実は一切ないと否定される発言を公式にされているんですが、政府としてこの事実関係はどう捉えているんでしょうか。

A 今、申し上げましたけれども、宮内庁の次長がそう言われたとおりじゃないですか。

Q 国民の関心が大変高い案件ですが、これは政府として何らか事実関係を宮内庁サイドに確認されることは。

A そこは特別ありません。

Q 政府から陛下のご意向を確認するのはなかなか難しいとは思うんですが、もうご高齢ですし、陛下もなかなか業務は大変だという話をされて、皇太子さまがされていると思うんですが、一般論としてですね、これから陛下のご業務をどうするか、それに対しても含めてですね、一般論として議論していく準備がないとですね、国会でも議論は進めにくいと、進められないと思うんですが、そういった準備は必要ないんでしょうか。

A 何か前提があって、いろんな今のご質問かなと思いますけども、政府としてはですね、必要なときについては当然、宮内庁で対応するでしょうし、現に宮内庁でそうした事実はないということを言ってますから、政府の立場でコメントはすべきじゃないと思います。

Q 宮内庁がですね、宮内庁自身から発議するというのは難しいとは思うんですけれども、例えば政治家なり国会がですね、これからどうすべきか、国論も踏まえて議論していく必要というのは、もうご高齢ですし、あるように思うんですが、その点はどうお考えでしょうか。

A 今、申し上げましたけども、政府では、皇族の減少というのは、問題について、そうした準備室で中心に行っているということは、これ、国会でも私、申し上げてます。そうしたことについては、取り組む必要があれば、そこは取り組んでいくということです。

Q 今の制度では天皇陛下の生前退位というのは認められてないわけですけども、有識者会議で議論を行う可能性というのはありますでしょうか。

A 考えてません。

Q 現行憲法は天皇は国政に関する権限を有しないと定めてますけれども、皇室典範の改正論議に及ぶ可能性のあるこの会議のご意向をですね、天皇陛下ご自身が表明されるということはあり得るのかどうか、政府としてどのようにお考えでしょうか。

A 私の立場で、陛下のお気持ちについて申し上げるべきじゃないというふうに思います。

Q 先ほどご紹介のあった準備室の関係ですけれども、先ほどの答弁の中で取り組む必要があれば取り組むという答弁がございましたが、ここでいう取り組む必要というのは、退位制度の創立も含めて、取り組む必要があれば取り組むという。

A いえ、そこは考えてません。私が申し上げたのは、皇族の減少がこのところ問題になってますので、それに対してどのように対応しようかということについては、この準備室で今、取り組んでいるということは事実です。ですから、新聞報道で、何かここで極秘でチームがというような報道があって今、質問されましたので、その準備室は今、行ってますということを申し上げました。

Q 確認ですけれども、政府として、現状においては、現行の皇室典範で認められていない退位について、その創設の検討というのはされていないという。

A そこは全く(首をふる)。

政府インターネットテレビ

菅義偉官房長官記者会見(2016年7月15日午前)

Q 天皇陛下が生前退位のご意向を示されていたとの報道が連日続いて、そういった報道を受けて、政界、有識者の間でも、皇室のあり方についてさまざまな意見が出ております。政府の方は、6月に皇室典範改正準備室、こちらの体制を強化しているところですけれども、今後、皇室典範の改正に向けて有識者会議を立ち上げる、こういった報道も続いてるんですけれども、改めて、こういった有識者会議を立ち上げるお考えというのはあるんでしょうか。

A まずですね、政府のチームですけれども、これは皇族の減少にどう対応するかということについてですね、内閣官房の皇室典範改正準備室を中心に検討を行ってきている、このことは事実です。で、今回のですね、新聞報道とは全く違うということをまずご理解いただきたいというふうに思ってます。

そして、この報道については、宮内庁長官や宮内庁の次長が申し上げてるとおりであってですね、政府としてコメントは控えたいというふうに思います。

Q 皇族の減少にどう対応するかということで、チームの方で検討されているということなんですけども、今回の生前退位という報道は別にして、そういった皇室の減少にどう対応するか、皇室全体のあり方についてどう考えていくかということを踏まえて有識者会議を立ち上げるというお考えは、現時点ではないんでしょうか。

A 現時点では、考えておりません。

Q 昨年、内閣委員会でこの問題について質問された際に、やりとりの中ではありますけれども、来年は同様の質問をされないような形で…とおっしゃってたんですけれども、今回の皇室の減少問題に対する政府の対応、このスケジュール観というのはどのようにお考えになっていますでしょうか。

A 私自身がそのように答弁したことも事実です。ですから、政府の中にこのようなチームを創設をして今取り組んでいるわけでありますので、政府の部内で現在検討を行っているところでありますので、具体的にまだ明確な方向性が出たわけではありませんので、現時点において確たることを申し上げることは控えたいと思います。

ただ、減少に対応すべく政府として取り組んで去年の答弁をしたということも、十分承知しています。そこはかなり具体的な形で対応することができるように、そこはしっかり今検討中であります。

Q 確認ですけれども、時期的なものは予断は持って言えないということだと思いますけれども、喫緊の課題であるという問題意識のもとで、年内にもまとめたいというようなご意向というのはあるんでしょうか。

A 年内というよりも、このことは早急に対応しなきゃならないという問題意識は持ってますので、その準備室をつくって検討しているというところであります。

政府インターネットテレビ

弁護士

慶應義塾大学総合政策学部卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年より誤報検証サイトGoHooを運営(〜2019年)。2017年、ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人、事務局長兼理事を約6年務めた。2018年、共著『ファクトチェックとは何か』出版(尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー)。2023年、Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。現在、ニュースレター「楊井人文のニュースの読み方」配信中。ベリーベスト法律事務所弁護士、日本公共利益研究所主任研究員。

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