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柏木陽介の3年9カ月とサムライブルー

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
W杯アジア2次予選のシンガポール戦に先発フル出場した柏木陽介(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

日本代表への思い、赤裸々に

浦和レッズの柏木陽介が日本代表への思いを赤裸々に語ったのは2年前の7月31日、ジュビロ磐田戦の後だった。

2013年8月にあった東アジア杯は国内組にとって、2014年ブラジルW杯の代表メンバーに滑り込むための最後のアピールチャンスという位置づけだった。

日本の優勝に貢献し、MVPに選ばれた山口蛍はその後、欧州組を交えた日本代表でもレギュラーの座を手にしている。得点王に輝いた柿谷曜一朗もブラジルW杯メンバーに選ばれている。

柏木の名は東アジア杯23人中に入っていなかった。2013年2月を最後に招集されなくなっていた流れを踏まえれば、それは事実上、ブラジルW杯の夢がほぼ潰えたことを意味していた。心中を慮れば、柏木に代表についての質問をする者はいなかった。

ところが、代表発表から数日後にあった磐田戦の後、柏木はエコパスタジアムの取材エリアで日本代表の話題を自ら切り出した。

「僕はワールドカップに出るために気持ちを入れ替えた。でもそれはブラジルではない。ブラジルはもうないと思っているから、その次のロシアでは絶対に出たい。いや、出る。そう決めている」

恩師からのメール

きっかけは恩師から送られてきたメールだった。柏木はその数日前、「食べ過ぎでお腹がいっぱい」という内容をSNSに投稿していた。それを見たサンフレッチェ広島ユース時代の恩師・森山佳郎氏(現U-15日本代表監督)が怒ってメールを送ってきたのだ。

森山氏は通称「ゴリさん」。柏木はメールの内容をとうとうと語った。

「ゴリさんのメールには『お前は日本代表の中心選手になるべき選手だ。俺はそう信じている。それなのになにをやっているんだ。一度しかないサッカー人生なんだから全力でやってみろ』。そういうことが書いてあった」

頭をガツンと打たれた。ありがたかった。それから柏木は目に見えないところで徐々に変わっていった。まずは食生活やメンタルを安定させるというようなベースの部分。そのうえで、自身が日本代表で生き残るためにはどのような選手になっていくべきかを現実と向き合いながら考えていった。

そうしてたどり着いたのが「ヤットさん」だった。日本代表背番号7、遠藤保仁。国際Aマッチ出場152試合という史上最多記録を持つ希代のボランチこそ、自分が目指していくスタイルの選手だった。

2年前の柏木は、浦和では1トップの下で主にチャンスメークとフィニッシュの役割を担うシャドーの選手として試合に出ていた。けれどもそのときから、こう話していた。

「シャドーとは違うポジションだけど、僕としては日本代表で生き残るならボランチだと思っていて、そのイメージは持ちながらプレーしている」

そして2015年、柏木は浦和でほぼボランチに固定された。ビルドアップの役割の比重が高まり、ゲームメーカーとしての色が濃くなっていった。

ワンタッチパスでチームにリズムをもたらしたシンガポール戦

引いた相手を攻略する際のソリューションとして大いなる機能性を発揮した。W杯アジア2次予選のシンガポール戦とカンボジア戦の柏木陽介は、ハリルジャパンのポジション争いに新たなインパクトを与えた。

縦に速い攻撃スタイルに一方的に寄りすぎていたかと思えば、中途半端な中央密集で視野を狭くし、気づけば日本の良さを手放しかかっていたのが9月までのハリルジャパンだった。

光が見え始めたのは10月13日の親善試合イラン戦だ。完全に停滞していた前半から打って変わり、好リズムをつくりだしたのは、後半途中から投入された柏木だった。

イラン戦で及第点を与えられた柏木は、11月の東南アジア2連戦の初戦、シンガポール戦で先発のチャンスを与えられた。12年2月24日のアイスランド戦以来という実に3年9カ月ぶりの日本代表での先発だった。

この試合で柏木は躍動した。いや、チームメイトを躍動させることで自分も輝いた。3-0というスコア以上に光明を感じさせたのは、チャンスの数と質が明らかに向上したからだ。

「出来て当たり前」…視線は既に課題へと向けられている

背番号7をつけたその姿に、柏木もイメージする遠藤保仁を重ねた人もいるだろう。あるいは、背番号10をつけて調子乗り世代の中心に君臨したカナダでのまばゆい輝きを思い出したという人もいるのではないか。

柏木自身、シンガポール戦翌日は「今回は反響が大きかった。いろんな人からLINEが来ていて、いろんな記事を貼り付けてくれていた」と想像以上の周囲のどよめきを感じていた。しかし、一方で彼は「今回は引いた相手に対して出来た、というだけのこと。これくらいは出来て当たり前だと思う」と淡々としていた。

冷静なのは当然と言えば当然だ。所属の浦和では、リーグ戦の年間34試合中10数試合はこのような相手と対戦している。浦和での柏木のプレーを見ている人にとっては、うれしさはあってもサプライズという感じではなかったのではないか。既視感たっぷりだったからだ。

けれども、日本代表という場所で自分の良さを出すのは非常に難しいというのもまた事実だ。だから今回はその点をクリアしたことに大きな価値がある。加えて、カンボジア戦では途中出場で流れを変えた。途中出場というのはこれまた非常に難しい仕事。そこでチームをガラリと変えるほどの実力が備わっていることの証だった。

課題は本人がすでに語っているように、レベルの高い相手と戦ったときに同じプレーをできるかどうか。シンガポールもカンボジアも激しく体を寄せられるシーンはなく、寄せられても自分より体格の大きな選手はいないという状態だった。

「元プロの人たち(評論家)も言っているけど、相手の当たりが強くなったときにどうかが課題。自分もそこだと思っている」

11月9日は森山氏の48歳の誕生日だった。シンガポール入りした柏木は恩師に送った誕生日を祝うメッセージに「頑張ってくる」と書いた。恩師からの返事は「頑張れ」。シンプルなやりとりの向こうに、ロシアW杯を見つめる柏木の熱い思いが隠されている。

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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