Yahoo!ニュース

祝! 3000本安打。21年前、2年目の"イチロー"はなにを考えていたのか? その3

楊順行スポーツライター
1995年発売の雑誌『インタ』。懐かしい名前が見えます

「昨シーズンの開幕直前に、『イチロー』という登録名が決まったんです。そのときは『本名のままでいいじゃないか』というのと『あぁ、期待してくれているんだなぁ』という気持ちが半々。スズキイチロウという本名も、確かに平凡だけど別にきらいじゃなかったんですよ。でも新聞が改名をでっかく採り上げてくれたから、こりゃ、やらなきゃマズイなと肚をくくりました。だって話題性だけが選考して結果を残せなきゃ、ピエロですからね。そういう励みを与えてくれたということで、マスコミさんには感謝しています。でも半面ね、注目されるようになって、軽率なことはなかなか言えないな、というのがある。一時軽い気持ちで「盆栽が趣味」と言ったら定着しちゃって、しばらくは会う人ごとにそればかり言われました。

マスコミと言えば……なんででしょうね、僕としゃべっていると記者の人とか、だんだん暗くなっていっちゃうんですよ。僕が悪いんでしょうけど、なんか異様な雰囲気になる。でもね、マスコミの人もあまりにもくだらないことを聞いてくることがあるんですよ。小学生の方がもっとマシで、『バカか、コイツ?』っていうくらいの質問もありますもん。もっと野球のことを勉強してきてほしい。しまいには僕、怒り出しますよ。

野球のことを全然知らない記者に質問されると、選手はなめられてるのかと思うんです。こういう商売だから注目されるのはありがたいけど、つらいな、あれは。その点、評論家の方と話すのは言葉が通じるんです。専門家だから。そりゃ、ファンは専門家じゃないですよ。だからファンに通じる言葉で報道したいのもわかりますけど、あまりに低いレベルに迎合するのもどうかと思う。おもしろおかしい報道がファンの関心をあおって、観客動員につながる……という見方もあるけど、選手にとってはそれは別問題なんですよ」

それじゃあ、わりあい「通」の見方から聞く。イチローは、送りバントが結果的にヒットになることはあるにしても、バントヒットを狙わない。ふつうあれだけの俊足なら、コロコロと転がして年に何本かはバントヒットを稼ぐ。だけどイチローは、それをしない。ひょっとして、「職人」のヒットへの美学なのか。

2年目のジンクス? 心のなかで舌を出している

「いや、単にバントがヘタなんです。ただそれだけ。バッターって、納得のいく当たりが野手の正面に飛ぶよりも、どんなにボテボテでもヒットのほうが何倍もうれしいんです。だから、バントがうまきゃやりますよ。でも残念ながら、ホントにヘタクソなんです。こだわるとかそういうんじゃなくて、バントヒットを狙うよりも打ったほうがヒットの確率が高いと思うからそうしているだけ。美学とかこだわりとか、そんなカッコいいものじゃない。

ライバル、ですか。気になるのは同期の連中ですよね。上田(佳範・日本ハム)とか、中村(紀洋・近鉄)とか。プロでやっているとね、同期がヒットを打ったり活躍するとうれしいんですよ。たとえ直接対戦していても、勝敗に関係ない場面だったらヒットを打っても許せる。ただゲームを左右するような場面で打たれるとね、さすがに……。ノリ(中村)なんか、あまりガンガン打つもんだから、「バカヤロ、オマエ、信じらんねぇな」なんて声をかけますよ。

バントがヘタだから打ったほうがいいとか、ライバルの存在とか、僕は野球については悪いほうに考えられないんです。なぜか自然にそうなっちゃう。まあ、会心の当たりが野手の正面に飛んだりすると最悪ですよ。でもそれは、今日はツイてないや、ってわりとすぐに切り替える。それが長く続いたときはしんどいですけど。今シーズンもちょっとヒットが出ないと、周りはすぐに「実質2年目のジンクス」なんて騒ぎますけど、僕は心のなかで舌を出していますよ。「バ〜カ、やっているほうはそんなこと全然考えてないよ」って。

でもねぇ、野球以外のこととなると、あれこれクヨクヨ考えちゃう。高校時代、彼女がいたんです。でもちょっとしたことでトラブると、「ああ、きっと、もううまくいかないな、どうせそのうちダメになっちゃうんだろうな」と、悪いほう悪いほうへ考えがいくんですよ。「これからどんどんうまくいくんだ」と思えばいいのに。

それがこと野球に関しては、あれこれ考え込まない。たとえばちょっと結果が出ないときの切り替え方なんかは、たらふく食べるくらいですかね。でもその食事にしても、別にバランスもなにも気は遣わなくて、食べたいものを腹一杯食べているし、飲み物も炭酸類も気にしない。寝るときも、睡眠時間をたっぷり取るくらいで、クーラーはガンガンにかけたまま。自己管理に関しては、ほとんど自然体なんです」

カジュアルな服装は自己管理?

「僕にとっては、服装が自己管理のひとつかな。いつもネクタイにスーツ、革靴じゃ疲れちゃうでしょ。ストレスがたまる。首が締めつけられるのは不快感が残るし、革靴は歩くのには適していない。それが試合に尾を引いて打てなかったり、盗塁できなかったらファンに申し訳ないじゃないですか。だからいつもルーズフィットの体に楽な服を着て、疲れにくいスニーカーを履くんです。スーツを着るのは、そうしなきゃいけないときだけというのが基本です。

村山(富市首相)さんと会ったときだって、僕は別にジャージでよかったんですよ。『トンちゃん!』とか言いながらね。でもさすがにそれじゃあ、世間が許さないでしょう。

そうそう、気を遣っているといえば、僕は守備位置についているとき、1球ごとに体を動かしています。よく見ている人は気がつくと思いますけど、ピッチングのマネをしてみたり、屈伸したり。あれはクセじゃなくて、意識してやっているんですよ。やらなくてすめば、それにこしたことはない。よけいな体力を消耗しちゃいますから。ただ僕は、すぐに体が冷えちゃうんです。体が冷えると、いざ打球が飛んできたときに、スタートの第一歩がコンマ何秒か遅れてしまう。だからいつでもすんなり動けるように、準備をしているんです。

去年たまたまあれだけの成績を残すことができて、人から注目されるようになったからって、僕自身はなにも変わっていないんです。意識して変わんないようにしているんじゃなくて、あくまでも自然のまま。よく金銭観がガラッと変わったでしょう、なんていわれますけど、それも全然ない。銀行に記帳に行くこともめったにないし、給与明細だって見ないんですから。

一年くらいいい成績だったからって、自分は変わらないですよ。首位打者を1回とったからといって、それでハッピーエンドになるわけじゃないし、今年も、来年も、ずっととっていきたい。そして自分の技術をもつと上げていくというのが目標であって、タイトルというのはそれに対する評価だと思います。夢っていうのは、いつでもあります。そして夢って、ひとつ実現したらもう一度、それももっといい夢を見たくなるものだと思いますね」

フォームも、名前も、ファッションも。イチローは確かに、これまでのプロ野球人とは違う。もっと違うのは、個性派と呼ばれた選手たちが、いつの間にかその呼ばれ方に酔い、演技過剰になってしまうのに、イチローは"素面"なのだ。そのフォームのように、どこにも力みがない。しなやかで涼やか、放胆で細心。マスコミに口をとがらすのも、おそらくふだんのイチローだ。つまり、演技がない。ふだんと「違わない」ところがイチローの違い。そんな気がした。

*所属などは1995年当時

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

楊順行の最近の記事