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清宮だけじゃない! センバツの主役/その1 安田尚憲[履正社]との対話 Part2

楊順行スポーツライター
2014年のセンバツでは準優勝だった履正社(写真:岡沢克郎/アフロ)

やすだ・ひさのり●履正社●三塁手●188cm95kg●右投左打●履正社では1年秋から三塁の定位置を獲得し、2年夏は四番として大阪大会優勝に貢献。甲子園では3試合で12打数4安打を記録した。通算45本塁打。

……お兄さんの話が出ましたが、ご家族でいえば、功さんが監督を務める大阪薫英女学院は昨年末の全国高校駅伝で2度目の優勝。

「正月、薫英陸上部の練習を兄ちゃんと見学したんです。やっぱり、集中力はかなり高い。僕らは、OBの人がグラウンドに来たら、練習中に気にしたりするんです。だけど薫英の選手たちは、僕たちに挨拶してくれたあとは目線をそらさず、ずっと走りに集中するんです。そういう切り替えのスイッチは、勉強になりました」

……スポーツ一家らしく、小学生時代からいろんなスポーツをやったそうですね。

「水泳は小6まで、週2回スクールに通いました。自由形で、記録自体は大したことはなかった。ただ、兄ちゃんはすごかったようです。小学生時代、ジュニアオリンピックで2位に入ったそうですから。それと、陸上も長距離をやっていて、小4とか小5では駅伝に出ていました。けっこう頑張っていたんですが、6年生になってタイガースジュニアに入ったので、陸上を続ける時間はなくなって。それでも、水泳や陸上は、全身運動として体の基礎を鍛えてくれたと思います」

……また清宮の話で申し訳ないですけど、彼はリトルリーグで世界一になったり、中学時代はそれこそマエケンの球を打ったり、名前が売れていた。その点安田さんは、中学時代まではさほど目立つ存在じゃなかった……。

「中学は、レッドスターベースボールクラブというところでプレーしていました。赤星憲広さんが創設したクラブで、小学校時代からお世話になっていた岩田(徹・元阪神)さんが、当時監督をされていたんですね。ボーイズとかリトルシニアなどの連盟に属していないので、出場できる大会が限られているのには迷いましたが、まずは基礎をしっかりやるべきだと思い、お世話になりました。いまでは正解だったと思っています」

体が充実し、スイングスピードも

……体もまた大きくなった。トレーニングのときにペアを組む1学年下の松原任耶は、「ウエイトのときにかける負荷が、自分とは全然違うんです」と驚いていました。

「トレーニングは、身長が同じくらいの相手と組むので、僕は松原と。でも松原は、いつも弱音ばかりなんですよ(笑)。僕は入学したころ、体重が90キロくらいあったんですが、夏までの練習などで82まで減りました。そうなると、打球が飛ばないんです。自分でも、バットを振っていてパワーがないなと感じたくらい。そのとき兄ちゃんから"ご飯を食べることもトレーニングだ"とアドバイスされて、トレーニングだけじゃなく食事も意識するようになったら、2年の夏には92まで増えました。やっぱり、スイングスピードも上がるんです。いまは順調に、95キロまで増えました。履正社のグラウンドは、ライトに岡田さん(貴弘、T-岡田)ネットがあって、それを越えるには140メートルくらいですかね。木のバットではさすがに無理ですが、金属なら何回か越えたことがあります」

……センバツでは、どんなプレーを?

「昨夏の甲子園では、数字どうこうではなく自分のバッティングができていたと思います。この春、みんなが長打を期待すると思いますが、ホームランが出れば、結果としてチームのためにもなる。最上級生になって、周りを見られるようになったことは成長ですね。僕もそうでしたが、下級生のうちは試合に出ていても、わからないことだらけなんです。後輩のそういう姿に気がついて、アドバイスできるようになっているので、甲子園でも目配りをしていきたいです。早実との対戦……注目はされると思いますが、初戦で当たるのはちょっと(笑)」

※組み合わせ抽選で履正社は、清宮の早稲田実とは決勝まで当たらないゾーンに入った。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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