Yahoo!ニュース

「教育県から学習県へ」 長野県・阿部守一知事のビジョンと子どもの貧困対策

湯浅誠社会活動家・東京大学特任教授
阿部守一・長野県知事(写真・資料はすべて知事室提供)

自然豊かな信州・長野は、「教育県」としても知られる。しかし、子どもの貧困対策にも力を入れる阿部守一知事は「教育県から学習県へ」のパラダイムシフトを念頭におく。そのビジョンと、その中での子どもの貧困対策の位置づけを聞いた。

子どもたちの声

――昨年度、長野県として「子どもの貧困対策推進計画」を策定されました。

計画をつくるために「長野県子どもの声アンケート」を集めました。

ひとり親家庭や児童養護施設などで暮らす小学校4年生から18歳までの児童約5000人から回答が寄せられました。

自由記述欄には子どもたちの切実な声が満ちており、「これを見て、何も感じない知事は、知事じゃない」と思いましたね。

――どんな声が印象に残っていますか。

子どもたち自身が将来に対して不安を抱いています。

特に教育費の心配が多く、子どもたちの強い危機感が伝わってきました。

さらに深く感じ入ったのは、子どもたちなりに親を精一杯心配していること。

「朝早くから夜遅くまで仕事をしている母が、兄や私の進学もあるので、疲労で倒れてしまわないか心配」(中学1~2年)

「母が病気になったりしたらと思うと心配」(中学1~2年)

「母子家庭で、大学進学はしたいけど無理なのはわかっている。本当は進学したい気持ちはあるが、母には言わず、私は高校を卒業したら働くからねと言っている」(高校1~2年)

「「夢がない」と言われるが、夢をもっても何もならない。

劣等感が大きくなり、消えたくなるだけ。

劣等感に勝てる気がしない。

長期休みになると母が「どこかに行こう」と言ってくれる。でもどこかへ行くのもお金がかかり、そのお金を使わなければ、少しは貯まるのではないかと思う。

息抜きのときでさえそんなことを考えてしまうのが嫌。

せっかく楽しませてくれようとしているのに心の底から楽しめていない。

普通の生活がしたかった」(高校3年生)

「母に迷惑をかけないように進学を諦め、地元での就職を選んだ」(高校3年生)

子どもの将来を支えていくと同時に、保護者を含めて丸ごとその家庭を包み込んであげるような支援策を考えていく必要があると思っています。

子どもに対しては、特に教育に力を入れていきたいと思っています。

画像

大学進学を後押し

――まとめられた推進計画を見ると、大学進学まで積極的に後押ししている点が、他県に比べて際立っていると感じました。

大学等の教育費負担の軽減に取り組んできました。

県レベルだと、なかなか財源が大変なのですが、一歩ずつ進めてきています。

2014年度には「県内大学進学のための入学金等給付金」を創設しました。

市町村民税所得割非課税で、学習成績の評定も3.5以上ある子には、県内大学・短期大学の進学に際して、受験料や入学金を30万円まで給付します。

翌2015年度には「飛び立て若者!奨学金給付」を始めました。

これは児童養護施設などで暮らす子を対象に、大学・短大・専門学校に進学した後の生活を支援するもの。

月額5万円を返還不要で給付します。

今年(2016年度)は「「希望を実現」奨学金給付」です。

県内大学等に進む子たちに、文系で15万円、理系で25万円を給付します。これも返還不要です。

経済的な理由で大学進学を迷っている子どもの背中をちょっとでも押してあげられればと思っています。

年々厚みを増す大学進学の支援策
年々厚みを増す大学進学の支援策

自然エネルギーの利益を教育に投資

――財源はどうされているんですか。

どれも県の独自政策ですから、やりくりしています。

最初の「入学金等給付金」は、なんとかねん出しました。

次の段階で、ルートイングループと会長の永山勝利氏個人から、子どもたちのために役立ててほしいとのお申し出をいただきました。

そこで、児童養護施設や里親の子どもたちがどうしても断念せざるを得ないことが多いので、その子たちの支援ということでご理解いただきました。

それで生まれたのが「飛び立て若者!奨学金」です。

今年の「希望を実現」奨学金にも、一部ルートインのお金も使わせていただいています。また、理系学生への奨学金は、実は企業局のものです。

長野県の企業局は、電気事業で利益をあげています。その一部を一般会計に繰り入れて、それを子どもたちのために役立てようと今回の奨学金を創設しました。

――工夫されているんですね。

いま長野県は、小水力発電を中心に、県全体で自然エネルギーに転換していこうとしています。

利益を生むところには生んでもらって、それを重点的に力を入れるところに配分しています。

その重点分野の一つが子どもの貧困対策でした。

実はうちの県も、ひところの民営化の流れの中で、電気事業を中部電力に売却しようという話がありました。

ですが私は、県として電気事業をもっていることにはメリットがあるんじゃないかと思ったんですね。それで売却を取りやめました。

自然エネルギーへの転換促進でも企業局のもっているエネルギー関係のノウハウは使えるんです。

企業局の職員には、自然エネルギー転換に向けた啓発キャラバンもやってくれています。

自然エネルギーで出た利益を、より公益的に、地域のために使う。

地域に貢献しつつ、そこで利益も生み、その利益も地域のために使う。

啓発事業も加えれば、一石三鳥です。

今は残してよかった、と思っています。

包括的な子ども支援条例で次世代育成に推進力を

――条例も作られたとか。

長野県の将来を明るい方向にもっていくために、一昨年「長野県の未来を担う子どもの支援に関する条例」をつくりました。

子どもの権利条例を制定している自治体は多いですが、もう少し広げた形で「重層的かつ総合的な子ども支援」を謳いました。

また、保護者や学校関係者など、子どもを支援する者への支援も盛り込んでいるのが特色です。

ここまで幅広く子どもの支援を謳っている条例は、都道府県レベルではありません。全国初と言っていいと思います。

子どもの貧困はその中の大テーマの一つ。

そして、その推進エンジンとしてリーダーシップを発揮するのが「長野県将来世代応援県民会議(仮称)」です。

これは、従来からあった青少年育成県民会議と、子ども子育て応援県民会議を統合して作る予定です。

オール信州で、より包括的に、子どもを支える態勢整備をしていきます。

子どもの貧困対策は、平成28年度予算の柱の一つです。

平成28年度予算の重点政策である子どもの貧困対策説明資料
平成28年度予算の重点政策である子どもの貧困対策説明資料

一人多役で一場所多役

――子どもの居場所づくりには「“一場所多役”の自立的・持続的な居場所普及の観点からのモデル事業の実践」という言葉があります。“一場所多役”という表現は初めて見たんですが、長野県の土地の言葉ですか。

(笑)。実は私がよく使っている言葉が“一人多役”なんです。そこからとってきた言葉でしょう。

――ほう。どういう趣旨の言葉ですか。

世の中はずっと、分業化・細分化の方向で発展してきたと思うんです。

たしかにその中で労働生産性は上がりましたし、いいこともたくさんありましたが、これからの人口減少社会は少し違うのではないかと思うんです。

これからは分業化して究極まで効率化するのではなく、一人でもうちょっといろんなことをやっていく必要があるんじゃないか。

地域社会への消防団として貢献しながら働くとか、夏は農業をやって冬はスキー場で働くとか、地域を支えていくためには、一人ひとりが家庭・地域・企業でより複数的な役割をもつ“一人多役”が必要になってくるんじゃないかと思っているんです。

その“一人多役”が居場所に適用されて“一場所多役”。子どもの居場所が、高齢者や障害者も含めたさまざまな人たちの居場所になる。

子どもだけに限定されない、多世代交流型、地域共生型の拠点になる。

そんなイメージを込めました。

画像

教育県から学習県へ

――子どもの貧困対策として特に教育に力を入れているということでしたが、長野県は「教育県」というイメージがあります。そのプライドもあるんでしょうか。

県外の方は今でも長野県を「教育県」と言われますが、実は、県民の中には「もう教育県とは言えない」思っている人がたくさんいるんです。

私自身は、まだ教育熱心な県民性は残っていると思っています。

全国学力テストの成績は中位くらいですが、もうちょっと広い意味での教育、つまり社会教育や公民館教育、今で言う生涯教育活動は活発です。市民大学といったものも各地にある。お年寄りの教育意識はきわめて高い。

ただ、このままではいけないとも思っています。

実は私は、これからは教育県から学習県に転換すべきではないかと思っているんです。

教育はどうしても「他者から教えてもらう」というイメージが強い。対して、学習は主体的です。

長野県は一人ひとりの県民が中心になって自ら学んでいく環境をつくっていきたい。それを県としてもサポートしていきたい。

そう考えると、従来型のテストで何点とれるかという意味での「教育県」よりも、自ら学び、家庭・地域・企業の中でさまざまな役割を自ら探し出していく“一人多役”の人材になるような「学習県」と言うほうがしっくりくる。

たとえば就学前の段階では「やまほいく」に力を入れています。

これは、全国的には「森の幼稚園」と呼ばれているものですが、長野県では「やまほいく」と言っています。

信州型自然保育認定制度を作り、2015年度で72の幼稚園・保育園等を認定し、後押ししています。

やまほいく(自然保育)の特徴は、屋外での体験活動を積極的に取り入れることで、子どもの好奇心や創造性をはぐくむ点にあります。

子どもが自己肯定感や耐久力、主体性といった「非認知的スキル」を身につけるためには、早い段階からそれを意識した教育を行うことが必要とされていますが、やまほいくは、それを実践しています。これは、近年国が強調している「アクティブ・ラーニング」の理念とも合致しています。

長野県は2019年度末までに230園以上の認定を目標としています。

信州やまほいくパンフレット
信州やまほいくパンフレット

同時に高等教育にも力を入れていくために、県立大学を設立します。

実は、長野県は人口あたりの高等教育機関受け入れ人数がとても低いんです。全国最低レベルです。

長野県では、高校を出れば県外に行くのがあたりまえとなってしまっています。

もちろん、県外に出ていく子どもたちも応援していきますが、地元を元気にしていく上で大学は重要な資源です。

実際、長野県にある大学は、信州大学、長野大学、松本大学、いずれも日本経済新聞社の「日経地域創生フォーラム」で優秀校に選ばれるような、積極的な産官学連携や地域貢献を行っています。

こうした長所をさらに伸ばすために、新しい県立大学の創設だけでなく、地域との連携を推し進め、知の拠点としての大学への支援を強化する高等教育支援センターを開設しました。

かつては高等教育は文科省マターだという意識が強かったので、ここまで踏み込んでいる自治体は少ないかもしれません。

その点、長野県は危機感を持っています。

子どもの貧困対策として、大学奨学金の問題に踏み込んでいるのも、こうした学習県を軸とした全体ビジョンがあるからです。

学習権保障としての子どもの貧困対策

――なるほど。広く子どもたちに学習権を保障していくというビジョンの中で、貧困家庭の子どもたちが排除されないよう、子どもの貧困対策が位置づけられているわけですね。

いろんな境遇にある子どもたちに広く学習権を保障していくことも、「学習県」の重要な要素だと思っています。

行政として考えるべきなのは、貧困の連鎖をなんとか断ち切らないといけないということです。

機会の平等、チャンスは誰にでも開かれていないといけない。

冒頭にご紹介したアンケートにもはっきり表れていたように、子どもたち自身が教育に強い危機意識をもっています。

そのことを真剣に受け止めて、教育費をどうしていくか、いわゆる低所得家庭や、施設で育った子どもでも自分の夢を実現するチャレンジをしていくための環境をつくる。

まだまだ十分ではありません。

教育費負担の軽減は国にも提言していきますし、長野県としてできることは着実に進めていきます。

同じ発想をもつ知事仲間と、ともに「日本創生のための将来世代応援知事同盟」も作っています。

子どもの貧困対策は、そこでも重要なテーマとして打ち出していきたいですね。

画像
社会活動家・東京大学特任教授

1969年東京都生まれ。日本の貧困問題に携わる。1990年代よりホームレス支援等に従事し、2009年から足掛け3年間内閣府参与に就任。政策決定の現場に携わったことで、官民協働とともに、日本社会を前に進めるために民主主義の成熟が重要と痛感する。現在、東京大学先端科学技術研究センター特任教授の他、認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長など。著書に『つながり続ける こども食堂』(中央公論新社)、『子どもが増えた! 人口増・税収増の自治体経営』(泉房穂氏との共著、光文社新書)、『反貧困』(岩波新書、第8回大佛次郎論壇賞、第14回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞)など多数。

湯浅誠の最近の記事