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「上戸彩は芸能界を変える」芸能プロ大手オスカー取締役に聞く“国民的美少女”の見極め方

浅野祐介OneNews編集長

8月5日にグランプリが決まる第14回全日本国民的美少女コンテスト。本筋のスポーツとはジャンルが異なるものの、タレント発掘という観点を含め、同コンテストを主催するオスカープロモーションの取締役副社長・鈴木誠司氏に話を聞いた。応募総数、約10万通の中からダイヤの原石を見抜く方法と、タレントのブレイクに必要なもは果たして何なのか。

――まずは、全日本国民的美少女コンテストについて、選考の流れや基準を教えてください。

国民的美少女コンテストは、日本の美女を世に輩出していこうというコンセプトでスタートしました。始まったのがちょうど「おニャン子クラブ」全盛(1985年頃)の時だったんですね。当時は「1億総タレント」と言われた時代でした。うちは後藤久美子を一気に売り出すつもりでした。業界の人たちからは「今はそういう時期じゃない。正統派の後藤久美子は、今の時期は難しいでしょう」と言われました。しかし、今こそ本物の美少女を見直そうということで、後藤久美子をイメージキャラクターにして1回目をスタートさせたんです。選考の基準は「美少女」という設定です。恐らく他のコンテストでは、その年その年で、歌手であったりとかバラドルであったりとか、いろいろなパターンで開催していたと思うんですけど、うちの場合はあくまで「美の継承」がテーマ。美少女を発掘するという、そういうコンセプトでやり続けています。

――トレンドとは別で、「美」というコンセプトは変わらないと?

そこはブレないですね。もちろん美少女というテーマにおいて、「流行の顔」だったり、そういうことはあると思いますが、基本的には「美」というコンセプトを変える必要はまったくないと考えています。もちろん、大きく分けると、後藤久美子や米倉涼子、菊川怜、武井咲は比較的「正統派な路線」で、もう片方の路線に上戸彩や剛力彩芽がいると思います。正統派とキャラクター性という、その2つに二分されるとは思いますが、正統派であろうとキャラクター性であろうと、「誰が見ても美少女」というところには変わりはない、という考えでやっています。

――国民的美少女コンテストについて、成功するという手応え、自信はあったのですか?

先ほどお話ししたように、国民的美少女コンテストのスタート当時は「1億総タレント」という時代。どちらかと言えば、アイドル系の時代でしたが、日本の美少女、美を継承した人たちがこの業界を席巻していくべきだろうと、思ってやってきましたから、それほど難しいこともなかったと感じています。米倉涼子と菊川怜は同時に女優宣言という形で一緒にデビューさせました。普通は一つの事務所から同じようなタイプの子を2人ともイチ押しで、というのはないんですけど。うちは2人とも自信がありましたからデビューさせて、もちろん米倉も菊川も形になりました。その後、上戸彩とか、美少女コンテスト出身が活躍して、そこからですね。美少女コンテストの歴史的な流れで言えば、米倉涼子、上戸彩が出てきたところで「これは間違いないな」という実感を持ちましたね。

歴代受賞者の米倉涼子、上戸彩、武井咲、剛力彩芽(敬称略)の写真はこちらから。

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――上戸彩さんの名前が出ましたが、受賞当時の思い出など教えていただけますか?

これは美少女コンテストを語るときに必ずする話なんですけど、上戸彩は当時、小学6年生。参加者の中で一番小さかったんですが、古賀(誠一)社長が上戸を見て私にこう言ったんです。「鈴木、俺たちはこの子の人生を変えるけど、この子は芸能界を変えるぞ」って。もちろん我々も、かわいいという印象は持っていましたが、うちの社長は「上戸は芸能界を変える」と言い切ったんですよ。思わず、「社長、疲れてませんか?」って聞いてしまいました(笑)。私も、将来的に成功するだろうという思いはありました。上戸彩を見た瞬間、タイプは違うけど後藤久美子の再来だと。本当はグランプリなんでしょうけど、当時の上戸は小学6年生。子供ですから、ドラマ出演とかもなかなかないじゃないですか。そういう要素もあったので、特別賞を設けたんです。やはり上戸は一番インパクトが強いというか、今では、社長が断言したとおりのコになりましたからね。

――古賀さん、すごいですね(笑)。

本当ですよ(笑)。上戸が中学生になって、“金八先生”とかに出演し始めた頃、社長に「上戸、良くなりましたね」って言ったら、社長は覚えていて、「お前、俺に『疲れてませんか?』って言ったよな」って(笑)。いやいや参りましたと。今でも覚えてますね。上戸は一番インパクトが強いですね。社長が言い切りましたから。「このコ、うまくいったらスターになるよ」なら分かるんですよ。でも、「このコは芸能界を変える」って言いましたからね。そして、まさしくそうなっていますから。

――では次に、武井咲さんの印象を教えてもらえますか?

武井の時(2006年・第11回)は、グランプリが林丹丹で、審査員特別賞が忽那汐里、演技部門賞が宮崎香蓮と、当たり年だったんです。本当にレベルの高い年でした。その前々回(2003年・第9回)のグランプリが河北麻友子で、彼女も小学6年生の時、しかもニューヨーク在住だったので、ずっとニューヨークでレッスンをさせながら温めてきたんですよ。武井の年は、今度は即戦力をという考えもあって、林丹丹が高校2年生で大阪在住、武井はまだ中学生で名古屋に住んでいました。それから、忽那がオーストラリア。すぐに動けるのは林丹丹っていうこともあったので、グランプリとか特別賞とかという形にしました。ただ、あの時は、誰がグランプリになってもおかしくないレベルでしたね。

――平均すると、毎回、何人くらいの応募があるんですか?

平均して、10万人近くの応募があります。平均年齢が13歳ちょっとなんですが、その時一番調子のいい人が、歌も演技も平均的に点数を上げてくるとトータルの成績でグランプリを獲得する時もあります。ただ、グランプリでも、部門賞でも、獲得したところがスタートラインですから、グランプリだからといって必ずスターになると約束されるわけでもありませんし、極端に言えば、武井の時も、グランプリが誰ということよりもレベルの高いコたちが集まってくれたということだけで本当に良かったですね。武井本人が望んでいたのはモデルだったので、中学生の時はレッスンに通わせながら、まずは雑誌のモデルということで「セブンティーン」の専属にすぐ決まりました。そういう意味では、あの年はいろいろな意味でうまくいったと思います。やっぱり光ってますよ、みんな。

――キャラクター性という方向では、剛力さんはピッタリなイメージですね。

そうですね。剛力は一度、二次予選で落ちているんです。小学5年か6年の時に。ただ、キャラクターもすごく良かったので、本選大会にはいけないけど、うちに所属してモデルをやることになりました。そこからあのコも苦労はしましたけど、形になってますからね。国民的美少女コンテストも日本では有名なコンテストになりましたし、そこから必ずスターが出てくるという形はもうできてきたので、そういう意味では今回も楽しみですね。

――個人的に印象に残っている受賞者はどなたですか?

上戸は、先程話したように、社長がああいうことを言っていたので、どういう風に育っていくのかなとは思っていました。あとは米倉涼子。彼女は審査員特別賞(第6回)だったのですが、今も性格は当時のままで、本当に竹を割ったような性格です。特別賞を受賞してもあっけらかんとしてるし(笑)。それで、このコは面白いなと思っていました。当時も、もう今のままですね。普通は賞を受賞したら喜んで泣いたりするんですけど、もうあっけらかんとしてて(笑)。上戸と米倉、この2人はすごく印象に残っています。

――約10万人もの応募がある中で、最初の段階では何人くらいの方が審査を行っているんですか?

社長や役員を含め、40人くらいですね。40人が並んで書類をぐるぐる回すんです。社長は全部に目を通します。

――書類審査の段階からですか?

ええ、すべて目を通します。10万通、全部見ます。

――そんな方に「芸能界を変える」と断言させた上戸さんはすごいですね。

そうなんです。うちの社長の女性タレントを見る目と、ジャニーさんの男性タレントを見る目は天下一品ですね。もちろん見るポイントはあると思いますが、やっぱりセンスなんでしょうね。視点というか、目の付けどころが違うのかなと思います。

――間近で見ていて、女優やタレントとしてブレイクするために必要なものは何だと感じますか?

基本的には事務所がレールを敷いてあげる、ベルトコンベアに乗せてあげるんですけど、実際に走るのは本人なので、そこに本人の頑張りがないとダメなんですよね。大手の事務所からデビューしてもダメなときはダメなので、必要なのはとにかく本人の頑張りです。上戸も武井も剛力もそうですが、ベルトコンベアに乗せてあげて、そこから彼女たち自身が演技とかそういうものに対して応えてきたからこそ今があるんです。押しつぶされてダメな子はそこで終わっていってしまいます。事務所と本人の共同作業ですね。どれだけ事務所がいい仕事を用意しても、それに応えられるだけの実力が本人になければもう無理ですから。ただ、もちろん我々はそこを見抜かなきゃいけない。言葉は悪いですが、無駄な先行投資はできませんからね。最終選考に残った21人は、みんな力の差が均衡化しているので、その中でこのコは女優としてどうやって成功するのかをしかと見極めた上で仕事を入れていくことが必要になります。

――受賞者の方と話される機会も多いのですか?

もちろんです。ドラマだったりバラエティだったり、いろいろな媒体だったり、どんどん売り込んでいかなきゃいけないので、彼女たちがどういう考え方を持っているのかを我々も少しでも知らなければいけないですし、どういう性格なのかを把握した上で売っていかないとダメな部分があります。先ほど「ベルトコンベアに乗せる」と言いましたが、10人が10人同じベルトコンベアではなくて、10人いれば10本のベルトコンベアが絶対にあるんです。Aに乗る人、Bに乗る人がいるので、どれにどうやって乗せていくかが重要ですね。

――そのベルトコンベアの選び方で、それぞれの人生が大きく変わると思います。重要な選択ですね。

そうですね。ドラマからどんどんいくコもいれば、モデルタイプのコもいるし、モデルをやらせながらバラエティやドラマをくっつけていこうっていうコもいます。キャラが面白いし、バラエティで一発やって、そこから違う形で“枝”をつけていこうということもあるので、そこにうまく乗っけていかないとダメですよね。本人の資質もありますから、まず一番早く開花できるものが何かを見て、このコはファッション誌からいこうとか、ドラマからいこうとか、バラエティ中心で回そうっていうふうに考えていきます。

――ブレイクするまでの期間には差も出てくると思います。我慢する期間というものはあらかじめ決めているのですか?

最終候補のメンバーが21人で、年齢は13とかそれくらいの年齢が多くなりますが、レッスンに通わせながらのデビューは基本的にはさせないですね。まずはしっかり基礎を学ばさせて、そこから…特別なものがない限りは、高校生になってからというのが一番多いですね。

――ブレイクするまでの期間というのはベルトコンベアに乗せる時に考えるものなんですか?

おおまかに言えば、そうです。中学生の頃から3年くらいレッスンをさせて、この業界は早咲きの人もいれば、遅咲きの人もいる。剛力のように、9年かかってやっと形になる人もいるので、例えば高校生の時からいこうっていうコに関しては、ある程度早咲きのタイプを選んでデビューさせます。

――時代として、今はグループアイドルがトレンドでもあるかと思いますが、オスカーさんからは個で立っている印象が強いです。グループで活躍する方と、個で勝負できる方との違いについてはどう考えていますか?

ピンでデビューしていくのは、本人に相当、力がないと難しいです。いいことも悪いことも、すべてがそのコに集中するわけですから。これがグループであれば、例えば10人でやっていれば、いいことも悪いことも10人に分割される。逆に言えば、グループで活動しながらいろんな経験を積ませて、そこから1人になって、ピンで売っていくっていう形もあります。グループと言っても、すべてが10年も20年も続くわけではないですから。言い方はあまりよくありませんが、いきなりピンでいくコもいれば、グループでいろいろな経験をさせながらレッスンを通じて切磋琢磨させながら成長させていくっていうケースもあります。「X21」もレベルが平均的に高かったので、みんなで勉強させて切磋琢磨させながらやらせていこうっていう考えですね。いいところをみんなで伸ばしていって個々の力をつけていこうと。もちろん「X21」として売れていければ最高でしょうし、それが例えば5年後、その中の1人でも2人でも3人でもピンで頑張っていければ、もっと最高でしょうね。

――鈴木さんなりの「このコは来る!」というか、将来性を含めて見るポイントはあるんですか?

なんとなくはありますよね。やっぱり、芯が一本通っているコは自分の考え方もはっきりしているし、イエス・ノーがはっきり言える。あとはやっぱり負けず嫌いなコですね。そういうコたちは、人がどうであろうと私は何があっても頑張りますという考えを持っていて、「ああ、このコは業界向きの性格だな」っていうのはありますね。

――やっぱり「負けず嫌い」は重要ですか?

大事です。いい意味でも悪い意味でも、相手の足を引っ張ってでも上にいくっていう気持ちがないと絶対ダメですから。

――普段自分はスポーツ選手の取材が多いのですが、指導者の方に伸びそうな若手選手の特徴を聞くと、技術よりも、「絶対負けたくない」という気持ちを持っている選手という答えが返ってきます。

そうだと思います。相手が先輩だって関係ないというか、そういうところは共通すると思います。もちろん、縦の関係は守らなくてはいけないですけど、それはもう試合が始まったら関係ないですもんね。私の周りにもプロ野球選手やプロゴルファーがいますが、活躍する人間はみんなそういうものを持っていますよね。スポーツであっても芸能の世界であっても、それは変わらない。見ていると分かりますし、抜きんでていますよね。

――今後、国民的美少女コンテストをどういう存在にしていきたいですか?

新人発掘ということを考えると一番の形ですし、正直な話、今、開催を2年に一回にしている理由は、1年に一回にすると、スパンが間に合わないというか、やっぱり、グランプリを獲得してから1年でスターにするのは簡単じゃないんですよ。おかげさまで武井とか剛力とか、デビューさせて1年でドンとスターにしたことはありますけど、基本的には最低でも2年はあったほうがいいということで、2年に一回の開催にしています。とにかく、ここでいろいろな新人を発掘して、将来、日本を背負って立つような女優さんや、芸能人になってほしいという思いはありますから、この国民的美少女コンテストはずっと続けていくでしょうし、うちにとっては一番大切なコンテストではありますよね。

「第14回 全日本国民的美少女コンテスト」

本選大会:2014年8月5日(土)

マルチメディア投票開催中!

投票は2014年7月28日(月)まで

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OneNews編集長

編集者/KKベストセラーズで『Street JACK』などファッション誌の編集者として活動し、その後、株式会社フロムワンで雑誌『ワールドサッカーキング』、Webメディア『サッカーキング』 編集長を務めた。現在は株式会社KADOKAWAに所属。『ウォーカープラス』編集長を卒業後、動画の領域でウォーカー、レタスクラブ、ザテレビジョン、ダ・ヴィンチを担当。2022年3月に無料のプレスリリース配信サービス「PressWalker」をスタートし、同年9月、「OneNews」創刊編集長に就任。

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