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「人を殺してみたかった」少年が起こした「体験」殺人事件を取材した者として、いま思うこと

藤井誠二ノンフィクションライター

佐世保で起きた女子高校生による同級生殺人事件の一報を聞き、加害女子生徒が捜査員に供述したとされる動機として「人を殺してみたかった」という言葉を耳にしたとき、とっさに二〇〇〇年に愛知県豊川市で起きた男子高校生による老女殺人事件を思った。その加害少年も動機を「人を殺してみたかった」と捜査員に語ったのだった。佐世保事件の加害少女の「人を殺してみたかった」という供述のあとに次々に報道される彼女の「言葉」や彼女の態度は、気味が悪いぐらいにすべて私が予想したもの通りだった。それは豊川事件の加害少年の語った言葉と瓜二つだったからである。正直、ゾッとした。

私は二〇〇〇年当時、家裁で審判を受け実相が封じこめられてしまう状況にあったこの事件をなんとかして掘り起こしたいという思いで取材を続けていた。少年法にのっとって家裁で保護処分になれば、事件の実相は封印されてしまう。

しかし私は、加害少年の膨大な「供述」を取材することに成功して、それを『人を殺してみたかった──愛知県豊川市主婦殺人事件』というノンフィクション作品(単行本)として約一年後に上梓した。のちに同タイトルで、さらに内部資料をふんだんに使い、かなり長い「文庫版あとがき」を加え文庫化した。いま、版元の双葉社は大急ぎで増刷している真っ最中である。(八月十二~十三日には東京都内配本、一七~一八日には地方配本予定)

この拙著には佐世保事件のヒントになるような「事実」が詰まっているのではないかと著者として思う。一人でも多くの方に読んでほしい。当時は現在ほど少年法にの「閉鎖性」に批判的な世論は高まっていなかったし、加害少年の弁護士や、その弁護士が申請した「精神鑑定書」に書かれてあった「障害」の関連団体等から私は猛バッシングを受けた。

佐世保事件の加害少女は「人を殺してみたかった」という供述の他にも、「人を解剖をしてみたかった」、「人を殺したいという欲求が中学生の頃からあった」等と供述していると伝えられ、反省の色は見られないという。

豊川事件の加害少年が、殺人を犯したあとに逃走したが、疲労困憊し名古屋駅前の派出所に出頭した。その後に豊川署に移送されるとき、警察車両の中で顔を隠さず、堂々と正面を見据えていた。悪びれた態度はなく、反省の言葉もなかった。

なぜ加害少年が通っていた高校近くに住む老女を狙ったのかと捜査員から問われると、「どうせ殺すなら、将来の時間のある若い人よりも、将来の時間の短い老人がいいと思い、老人が住んでいそうな家や表札を見て選んだ」という主旨のことを悪びれることなく話した。

殺人の動機は一言でいい表すことができるような単純なものではない。豊川事件の少年が語った「人を殺してみたかった」という「動機」も以下のような捜査員とのやりとりから出てきたものであることを、私は『人を殺してみたかった』で書いた。一部を引用したい。私は加害少年のことを「ナオヒデ」という仮名にして書いている。

〔捜査員がナオヒデを取り調べている様が少しずつ漏れ伝わってきた。捜査員がナオヒデにどんな本を読んできたの?」と質問すると、「文庫本です」と答え、手振りで文庫本のサイズを指し示し説明したという。説明しなくてもわかることにいちいち懸命になるナオヒデを、捜査員は怪訝に感じたという。「とにかく変わった少年」というのが捜査員らの印象だったらしい。

通常、刑事や検事は殺意を立証するためにさまざまな質問を繰り出し、容疑者の動機を引き出すことに心血を注ぐ。ナオヒデに他誌意思手もまた同様だった。

新聞報道にあるとおり、ナオヒデが「死」に興味を持ったのは確かに小学生のときだった。なぜ生き物は死ぬのだろう、という素朴な疑問だったという。捜査員は初期の取り調べ段階からナオヒデの「死への関心」について質問を浴びせ続け、えられた答えがそれだった。しかし、それは誰もが虫などを殺すなかで、生きとし生けるものすべての「死」について関心を持つというレベルだった。ナオヒデ自身も、自分だけが特別だとは思っていなかったようだ。

ところがその情報がマスコミに流れると、「幼い頃から死に関心があった」という供述が殺人とダイレクトに結びつけられ、あたかも小学生のときから殺意があったかのようなイメージが形作られてしまった。明らかに無理に「動機」をつくうとした捜査側と、自分でも動機が掴めないナオヒデ、そして断片情報だけを報道せざるを得ないマスコミ報道との三つ巴の産物である。

さて、次の文章を読んでほしい。

「まだ僕は大人の世界を知っていない。でも、いつまでもいつまでも子供でいられる、という訳では無い。だから、これからも努力必要だ。しかし、まだ僕自体が、どの程度が努力を言えるのか知らない。僕はもういろいろな言葉を使ってはいるが、言葉の程度や限度を知ってはいない。そして、物事等、すべてに対して、完全に知らない事が多すぎるほどだ。だから、そんな事を、出来るだけ知ってみたい。中にはこれはこうだ。と思う事も少々あるのだが、これと言って、決め付ける事はまず無い。とにかく、知らないままでは始まらない。そんなことを考えている」(原文ママ)

これはナオヒデか小学校の卒業文集に寄せた作文である。内容からは、早熟で性急な一面がうかがえるそして「将来の夢」という項目では「人間がどう言う物かよく知りたい」と記している。あるワイドショー二出演していた精神科医がこの記述を読んで、「人間を『物』と書いてしまうところが、すでに冷徹な経験殺人への意思が見え隠れしているんじゃないでしょうか」という内容のコメントをしていたが、これもまた、ナオヒデの小学校時代の言葉と「殺意」を短絡的に結びつけてしまった例と言えるだろう。

供述調書には、『週刊モーニング』連載中の「バガボンド」を、四月に読んだときに「こういうのが死の瞬間なのか」「人が息絶える瞬間はどういうものなのだろうか」と強い欲求にかられた、とある。そこだけを取り上げると、あたかもその漫画のシーンが、ナオヒデにとって殺人の引き金になったかの印象を受ける。〕

これは「人を殺してみたかった」という「動機」がメディアに乗るまでの、加害少年と捜査官とのやりとりのごく一部なのだが、佐世保の少女もどのような会話の文脈で「人を殺してみたかった」という言葉が出てきたのか。それは明らかになるのだろうか。

豊川の加害少年は、凶器として金槌を用意していた。彼は金槌で殴り、人が死んでいく過程を見たかったのだった。しかし抵抗されたこともあり、思い通りにはいかなかった。彼は押し入った家の台所から包丁を取り、それで老女の頸部を何度も突き刺し絶命させた。彼は老女がもがき苦しみながら絶命していく様を観察していたのだった。他にも凶器として草刈り鎌も用意して学校近くの草むらに隠していたが、それは草むらの所有者に見つかり移動させられていた。

今回、佐世保の加害少女が鋸やハンマーなど数種類の凶器を準備し、首と左手首を切断したり、胴体にも複数の刺したことを考えると、彼女はおそらく、この凶器を使えば人間はこうなる、とか、こう解体できるという「実験」を企てていたのだろうと私は思う。もし相手を殺害することだけが目的なら、複数の凶器を用意する必要はないからだ。

豊川事件の加害少年も中学生の頃から人を殺してみたいという願望があり、いつか実行したいと考えていたと供述していた。しかし、犯行を実行するまではそれに至る予兆のような行動は皆無だった。友人付き合いもあり、成績も優秀だった。

一方、佐世保事件の加害少女は小学校のときに給食に農薬を混入するという事件を起こしている。教育委員会はカウンセラーを派遣したというが、そのときにどのような手当てがなされたのか、専門家たちはどのような対応をしたのか等、当時の関わった大人たちの対応も検証をされなければならないだろう。

そのうえ加害少女は精神科医のカウンセリングも受けていたという。報道によれば少女をよく知る精神科医が児童相談所に「このままでは人を殺しかねない」という相談をしていたという。高校時代には不登校になったので、中学時代の担任が頻繁にたずねていたという報道もある。

また、猫等の小動物を虐待して殺すというのは、特異で異常なパーソナリティを示す重大な情報である。それを見過ごしたか、看過してしまったのかはわからないが、周囲の大人たちの「危機感」はどれほどのものだったのか。

中学のときには猫を虐待しさせて解剖するという事件を起こしているが、教育委員会は把握していないという。そして今年の二月以降、父親を金属バットで殴る事件を起こしている。母親との死別、父親の再婚というおそらくはつらい環境の変化が背景にあったと思われるが、これも教育委員会は把握していないという。父親殴打の件は弁護士である父親が公にしなかった可能性が高い。

人の死に強いこだわりを持ち、人を殺すということに善悪の価値を持てず、それを抱えたままのパーソナリティの子どもはおそらく何万人に一人の割合でいる。そうした子どもたちは前兆行動を起こしてしまうこともあれば、まったく何の予兆すらないこともあるが、佐世保事件のケースは予兆現象がかなりはやい段階が発生していて、父親や教員が何らかの対応をしてきたことはこの段階でわかる。それがどうして実を結ばなかったのか、そのあたりも公開をされるべきだと思う。

何らかの適切な対処をしていれば、今回の悲惨な結果にはつながらなかったのではないかと私は残念でならない。保護者や大人が特異なパーソナリティに気付き、専門家の協力してコミニケーションの「育て直し」や「矯正」をおこなっていけば、彼や彼女たちは通常の社会のコミニケーションの中で生きることができるようになるはずだ。

佐世保では一〇年前にも小学生の女子が同級生を残忍な方法で殺害したという事件が起きている。それとの連続性を云々するメディアが目立つが勘違いも甚だしい。また、その事件を機に長崎では教育界をあげて「命の教育」をおこなってきたという。私はその内容を知らないが、それ自体は悪いことではないと思う。しかし、そういったメッセージとはあらかじめ「切断」されているパーソナリティの子どもがいることを認識すべきなのだ。

そういう認識の上に立って、きめの細かい、一人ひとりに即した「命の教育」、いや「命の大切さ」を共有できるようなコミュニケーションの中に取り込めるような取り組みが必要だった。そのためには、保護者や教員はもちろん、子どもたちを取り巻く子どもたちのきめの細かい観察と注意が不可欠だ。それが『人を殺してみたかった』を書いた私の一つの結論だったし、佐世保事件の断片的な情報を知るなかで思っていることだ。(二〇一四.八.三 記)

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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