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羽生選手に「感動」するだけでよいのか? 誤ったスポーツ観が選手「生命」を奪う 脳震盪後、1日は安静に

内田良名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教授

羽生選手の姿に「感動」の問題点

この週末(11/8-9)、スポーツ医学の中核を担う「日本臨床スポーツ医学会」の学術集会が東京で開かれている。脳震盪(のうしんとう)に関する調査研究がいくつも発表され、日本のスポーツ界において、脳震盪への対応が喫緊の課題であることを感じさせてくれる。

まさにその最中に、羽生結弦選手の事故が起きた。それは端的にいうと、(脳震盪であったとすれば)その事後対応は、多くのスポーツドクターが目を疑う光景であったといってよい。

フィギュアスケートのGPシリーズ第3戦。羽生結弦選手は、フリー演技前の練習中に中国の選手と正面衝突し、顔面ごとリンクに倒れていった。羽生選手は、そのままぐったりとリンクに仰向けになった。相手の選手にぶつかった瞬間と,リンクに倒れ込んだ瞬間それぞれに頭部への衝撃があったように見える。脳震盪の症状が疑われる。

なお補足までに言っておくと、「脳震盪」とは、意識消失のみを指すわけではない。頭痛、吐き気、バランスが悪い、めまい、光や音に敏感など、その症状は多岐にわたる。このことさえ、一般にはまだよく知られていない。

話を戻そう。羽生選手は、倒れてから10分後には練習に復帰した。そして、さらに本番にも登場した。本番は転倒をくり返しながらも、幸いにしてなんとか演技を終えることができた。

さて、ここで最大の問題は、その姿を、マスコミや観客、視聴者は、「感動した」「涙が出た」とたたえたことである。

羽生選手側にもさまざまな事情はあっただろう。今回はそのことは置いておくとして、この事案から、脳震盪の怖さと日本のスポーツ文化のあり方について考える必要がある。

「魔法の水」の時代はもう終わった

「魔法の水」という言葉をご存じだろうか。ラグビーの試合中に選手が脳震盪で倒れたときに、ヤカンに入れた水(=魔法の水)を選手の顔にかける。選手は水の刺激で気を取り戻し、競技に復帰する。観客はそれを、拍手でもってたたえる。

いま、プロの公式戦でそのような姿をみることはなくなった。なぜなら、脳震盪の症状があらわれた場合には、試合を続行してはならないという考えがスポーツ医学の常識となったからである。「魔法の水」の時代は、もう終わったのである。

なぜ、試合を続行してはならないのか。

脳震盪について考えるときには、交通事故による脳震盪とスポーツによる脳震盪のちがいを認識するとよい。その決定的なちがいというのは、スポーツでは脳震盪を含む脳損傷が、「くり返される」可能性が高いということである。

交通事故をたびたび繰り返す人はそういないが、スポーツの脳損傷はくり返される。そしてそうした脳へのダメージのくり返しが、致命傷になりうることがこの数年、脳神経外科医の間ではもっとも重大な関心事となっている。

しかも恐ろしいのは、脳へのダメージがくり返されるときには、2回目以降の脳への衝撃がそれほど大きくなくても、致命傷になりうるというのである。字義どおりの、選手「生命」の危機である。

柔道事故からの教訓

脳へのダメージがくり返されることが致命傷となる。

その危機感を可視化させたのは、2009年頃から話題になった柔道による重大事故であった。柔道では学校管理下だけでも過去30年に118件の死亡事故が起きている。この数年を振り返ってみると,たとえば、2011年には名古屋市内で、柔道で投げられて頭部を打ち付けて,「頭が痛い」と言っていた高校1年の生徒が、数週間後にまた頭を打ち、そのまま頭痛を訴えながら,3回目の頭部の受傷により命を落とした

また今年の3月には、沖縄県の町道場でも小学3年男児が同じような事故に遭った。男児は柔道の練習中に、頭が痛いと感じそれを指導者に訴えたものの、最終的には男児が練習を続ける意志をみせたため、練習を継続。その後男児は、意識を失い倒れる。急性硬膜下血腫を発症し,重大な後遺症が残る事態となってしまった。

このような事例は,まだまだある。これらは率直に、指導者が、くり返しの脳損傷に敏感であれば、明らかに「防げた事故」である

脳震盪後、24時間は競技に復帰すべきではない

スポーツ時に脳震盪が生じたときには、それをくり返さないことがとても重要なことである。それゆえ、「競技復帰」には慎重を期すべきである。

脳震盪問題に早くから取り組んできたラグビー界は、この競技復帰のあり方について詳細な取り決めをおこなっている。日本ラグビーフットボール協会(JRFU)では、国際ラグビー評議会(IRB)の規定にならって、医師が状況を管理してくれる場合は「受傷後最低24時間」、医師により管理されない場合には「最低14日間」は競技に復帰すべきでない(=練習を再開すべきではない)という方針である。

この基準に照らし合わせると、仮に羽生選手が脳震盪であったとすれば、羽生選手は、医師の管理下にあったと考えられるため、それでも「受傷後最低24時間」は安静にすべきだったということになる。

羽生選手の側には、本番をこなさなければならない事情もあるだろう。ファンの声に応えたい気持ちもあっただろう。そのことは個別の問題として置いておくとしても、どうしても気がかりなことがある。それは、脳震盪に対する関心の低さと、脳震盪(の疑い)を乗り越える姿が美談化される日本のスポーツ文化である。日本のスポーツ文化は、根性で危機を乗り越える場面を、拍手でもってたたえる。そこには感動の涙が溢れている。

脳震盪の可能性が疑われるのであれば、どうか今回の出来事を機に、考え直してほしい。そうした「拍手」や「感動」は、選手の生命をむしろ危機に追いやる可能性があるのだということを。

※冒頭のシルエット画像は,「シルエットAC」より入手した。

※本文3段落目の衝突時の様子について、「一度は起き上がろうとしたものの」という表現を削除し、合わせて、関連する文章を一部加筆・修正した(2014年11月11日)。

名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教授

学校リスク(校則、スポーツ傷害、組み体操事故、体罰、自殺、2分の1成人式、教員の部活動負担・長時間労働など)の事例やデータを収集し、隠れた実態を明らかにすべく、研究をおこなっています。また啓発活動として、教員研修等の場において直接に情報を提供しています。専門は教育社会学。博士(教育学)。ヤフーオーサーアワード2015受賞。消費者庁消費者安全調査委員会専門委員。著書に『ブラック部活動』(東洋館出版社)、『教育という病』(光文社新書)、『学校ハラスメント』(朝日新聞出版)など。■依頼等のご連絡はこちら:dada(at)dadala.net

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