Yahoo!ニュース

「黒子のバスケ」脅迫事件 6月27日公判で被告が語ったこと

篠田博之月刊『創』編集長

2014年6月27日、「黒子のバスケ」脅迫事件の公判が開かれ、被告人質問が行われた。弁護人・検察官それぞれから犯行動機などについて質問がなされたのだが、傍聴メモをもとに以下、主な部分を再現しよう。この裁判はいよいよ7月18日の論告求刑と最終意見陳述で最後の山場を迎える。渡邊被告の語る犯行動機が、冒頭意見陳述と少しずつ変容しているが、これは彼が獄中で、児童虐待についての精神科医の本などを相当学習しているためだ。

この「黒子のバスケ」脅迫犯との接触はもう10カ月にも及ぶが、渡邊被告と精神科医・香山リカさんとの応酬など、これまで『創』に掲載してきた「黒子のバスケ」関連記事をまとめて読めるように『創』ホームページにアップした。興味ある方はアクセスしてほしい。

http://www.tsukuru.co.jp/

次号7月7日発売の『創』8月号では、渡邊被告は、この間の自分の事件についての報道のどこがどう間違っていたか指摘している。また雨宮処凛さんが、前号での渡邊被告からのメッセージに応えるなど、『創』ならではの応酬が続いている。

さて、以下は6月27日の公判でのやりとりの主な部分だ。

弁護人 一連の犯行の最終的な目的は何だったのですか?

渡邊 ほんの少しの間でいいので、「黒子のバスケ」関連のものが日本中からなくなる状態を作り出すことでした。一瞬でもいいから、「黒子のバスケ」の作者に勝ってみたかったのです。

弁護人 人生で初めて燃えるほど頑張れたと言っていましたね。

渡邊 はい。私は10代20代の努力するべき時期に引きこもりのように過ごしていました。その不完全燃焼だったエネルギーを、事件に使いました。

弁護人 子ども時代のいじめは人格形成に影響しましたか?

渡邊 非常に影響しました。

弁護人 いじめはどんなものですか?

渡邊 肉体的な暴力をふるう何人かと、クラス中、学年中から泣くまでプロレス技をかけられたりしました。

弁護人 学校の先生の反応は?

渡邊 小学校1年と4年の担任は、気付いていたけど放置でした。

弁護人 自殺を図ったとありますが。

渡邊 小学4年生の時と、21歳の時です。小学4年生の時、朝学校に行くと名簿の私の名前のところに画鋲がずらっとありました。カッターか彫刻刀で首を刺そうと思ったら、近くの人に止められました。

21歳の時、車の免許が必要だったので取りにいきました。イケメンが話しかけてきて、上智大学に進学した新1年生だと知りました。私と同じように神奈川の進学校出身ですが、彼は一番の進学校でした。そういう奴を目の当たりにして、嫌になって帰ってしまいました。そのことを母に嘘をついて激しく叱られ、全てが嫌になって自殺を図りました。新宿のカプセルホテルで鎮痛剤を200錠飲みました。でも吐いてしまって、従業員が見つけて救急車で運ばれました。

弁護人 自分は「無敵の人間」だと思っていますか?

渡邊 はい。

弁護人 あなたより底辺にいる人もいるのでは?

渡邊 自分の主観ではものすごく底辺にいます。いや底辺にすら達していないかもしれません。

弁護人 事件を起こして反省はしないのですか? それともできないのですか?

渡邊 できないです。そういう気持ちが起こらないです。

弁護人 悪いことをしたと分かっているのに何故反省できないのですか?

渡邊 いじめを受けて30年になるのですが、30年間監禁されていて、やっと出ることができたのです。それなのに、出る時に暴れたことに謝罪を求められています。自分を罰するなら、監禁した奴も責めてくれと思います。

弁護人 監禁したのは誰ですか?

渡邊 私の性格を歪めた8人の人間がいます。両親、いじめっ子の中でも特に酷かった3人、いじめに対応しなかった小学校の教師2人、塾講師1人です。

検察官 大阪のアパートに住み始めたのは何故ですか?

渡邊 上智大学で事件を起こして、年内に死ぬつもりだったが死ねなかったので大阪で再出発をしようと思いました。

検察官 お母さんへの申し訳ない気持ちなどはありますか?

渡邊 ないです。むしろ、仕返しになったと思いました。

検察官 自分の人生でどこがいけなかったと思いますか?

渡邊 つまづきは小学1年生のいじめでした。地獄のような6年間でした。

検察官 思い通りにならず、あなた以上につらい思いをしている人がたくさんいるけれど、みんなが犯罪を犯すわけではない。何故あなたは犯したのですか?

渡邊 最後は運だったと思います。私のツボをつくスーパーマンが現れてしまった。運が悪いな、と。

裁判官 「黒子のバスケ」の作者に一矢報いたいと思ったのですか?

渡邊 一矢報いたいというより、茫漠としたぶつけようのない恨みを持っていて、ぶつける相手を見つけてしまったのです。恨みを発動させるスイッチを入れてしまう人が現れました。

裁判官 あなたはやったことに対して報いを受けることになります。償った後、再び社会に出たらどうしますか?

渡邊 名残を惜しんだ後、首を吊るつもりです。首を吊る場所も決めています。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

篠田博之の最近の記事