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集団的自衛権論争の本質(上)歴史認識の欠落:日本人は国家とはなにかを理解していない

山田順作家、ジャーナリスト

■日本国憲法は「リーガル・フィクション」(法的偽装)

まず、私の立場をはっきりさせておく。これはじつに簡単で、集団的自衛権を行使できるようにすることには賛成だ。なぜなら、集団的自衛権は主権国家が持つ「固有の権利」だし、その権利を世界の中で日本だけが行使できないことなどあってはならないからだ。

ところが、これまでの日本政府は集団的自衛権を「保有しているが行使できない」と解釈してきた。この解釈自体が間違っている。で、なぜこんな訳のわからない解釈になったのかというと、日本国憲法の呪縛があるからだ。

すなわち、憲法第9条では、第1項で「戦争の放棄」、第2項前段で「戦力の不保持」、第2項後段で「交戦権の否認」を謳っている。要するに、日本はフォース(軍)を持っていないことになっているので、個別だろうが集団的だろうが、すべてがこじつけにしかならないのだ。日本国憲法は、ひと言で言えば「リーガル・フィクション」(法的偽装)である。

■賛成論者も反対するほかないというジレンマ

つまり、私たちが本当にやるべきことは、憲法改正である。憲法の法的偽装をなくすことである。集団的自衛権を行使できるようにするためには、憲法自体を国民合意のもとに改正するほかに方法がないのだ。

ところが、安倍内閣はこうしたまっとうな方法をとらず、解釈変更でやろうとしている。あまりに姑息である。姑息というか、国家と国民を舐めている。

だから、まったく無意味な「戦争をできる国にしていいのか」という反対論が起こり、「グレーゾーンとはなんなのか」となって、その例を何通りも挙げるというような、ありえない事態になっているのだ。

もし解釈だけで、なんでもできるなら、この国は立憲国家ではなくなってしまう。こちらのほうが危険で、国民主権がないがしろにされる。

つまり、いまの状態では、絶対的平和主義者(「領土を取られようと侵略されようと私たちは抵抗しません」と言っているのと同じなのに、それに気がついていない愚かな人々)と同じく、賛成論者も反対するしかない。

■日本が独立国家だったのはたった42年間

では、なぜこのようなジレンマに陥ってしまうのか?

それは、憲法の呪縛以上に、日本国民のほとんどが、自国の近・現代史、現在、置かれた状態について、まったく誤解しているか、あるいは知らないからだ。私は、そう思っている。

では、なにを誤解しているのか? あるいは知らないのか? その最大のポイントは、日本が独立国家ではないということである。

私たちは、近代国家としての日本は明治に始まると思っている。明治政府ができて、日本が近代国家、もっと言えば近代的な独立国家となったと思っている。まず、この点が間違いだ。次に、日本が戦争で敗れて一時アメリカに占領された。しかし、1951年のサンフランシスコ平和条約によって、再び独立国家になったと思っている。この点も間違いである。

日本はいまだに半独立国家であり、日本が独立国家であったのは、1902年〜1945年のたった42年間だけだからだ。

これが、私の基本的な歴史認識である。これは、私だけの認識ではなく、外からこの国の歴史を見れば、そう見るのが自然なはずだ。違った例で言えば、韓国は歴史上独立国家であったことなど1度もない。いまだにそうだ。

では、なんでこんな近・現代史になるのだろうか?

■学校で習った歴史は完全にズレている

学校で日本の歴史を勉強すると、一般的に、日本の近・現代史は、明治・大正・昭和(戦前・戦後)・平成という時代区分で記憶される。しかし、この時代区分は、日本以外ではまったく意味をなさない。世界の一般の人たちが、日本の年号を知っていたなんてことは、私の経験上ない。

また、以下に示す幕末からの主な出来事も、近代国家として日本の歴史を考えると、大きな抜け穴がある。

ペリー来航(260年間続いた鎖国から開国へ)

幕末の動乱(尊王攘夷から倒幕へ)

明治維新(明治政府の成立、近代国家としてスタート)

日清戦争(清国を破り台湾など初の海外領土獲得)

日露戦争(ロシアを破り列強の仲間入り)

満州事変(満州国建国、国際連盟脱退)

日華事変(日中戦争の開始)

太平洋戦争(三国同盟から対米英開戦へ)

敗戦(原爆投下、無条件降伏)

アメリカ占領時代(GHQによる戦後の民主改革)

サンフランシスコ平和条約(日本再独立)

■不平等条約を持つ国が国家であるわけがない

では、順を追って説明したい。

日本が独立した近代国家になったのは、1902年の日英同盟の成立からである。明治維新は欧米列強、とくに英国による日本改造で、ここで初めて西洋式の政治体制の基盤がつくられただけである。なぜなら、当時、欧米列強は日本を、自分たちと同じような国とは考えていなかったからだ。

東洋の端に位置するこの島国は、長い間、欧米列強にとっては取るに足らない存在だった。それが、19世紀の半ば、中国へのゲートウエイとして、欧米列強にとって初めて重要な戦略拠点になった。それで、欧州がクリミア戦争にかまけている間に、米国からペリー提督が黒船を率いて来航した。

ペリーは、門戸解放、通商の自由を求め、自由競争と自由経済、それを可能にする近代法などの概念を日本に押し付けてきた。その圧力に屈して、日本は開国し、通商条約を結んだ。

ところが条約というのは、不平等条約だった。

不平等条約というのは、簡単に言うと2つの不平等から成っている。1つ目は、関税自主権がないということ。2つ目は、治外法権である。

関税自主権がないということは、例えば日本が外国からモノを輸入すると、100円のモノならそのまま100円となり、税金をかけられない。ところが、日本が同じ100円でモノを輸出すると、向こうが100%の関税をかければ200円になってしまう。となると、誰もそんなモノは買わないから、日本は圧倒的に不利になる。どんな国も国家なら関税自主権を持っている。そうでないと、自国産業は壊滅してしまう。つまり、この時点で日本は国家扱いされていないのだ。

現在のTPP交渉を見ればわかるように、関税自主権は国家基盤の根幹をなすものである。

2つ目の治外法権は、外国人が日本で犯罪を犯しても日本の法律で裁けないということ。つまり、ここにおいても当時の日本は国家ではなく、世界の中の1つのリージョン(地域)に過ぎない。これがほぼ解消されるのが、1902年の日英同盟の締結である。

■明治維新は日本の近代国家の成立ではない

近代において、国家(主権国家)とは、ほかの国に承認されなければ国家たりえない。では、国家として承認されるためには、どんな条件が必要だろうか?

時代が下って1934年に発効した「国家の権利及び義務に関する条約(モンテビデオ条約)」では、第1条で「国家の要件」を以下のように定めている。

(1)永久的な住民がいること(2)明確な領域を持つこと (3)領域を統治する政府があること(4)他国と関係を取り結ぶ能力があること

このうちの(4)が、当時の日本には決定的に欠けていた。ただし、これは後からの定義だから、19世紀半ばの考えでは、次の2つが重要だ。まず国内を治めるための「国内統治権」と、そして他国から国家として認められ対等に扱ってもらう「対外主権」である。

そこで、これに照らしてみると、不平等条約を解消できなかった時代の日本は、やはり国家ではない。なぜなら、治外法権により自国領土を自身の法で統治できないし、関税自主権がないので対外的に対等な条約も結べないからだ。

よって、明治維新は日本の近代国家の成立ではない。

■「攘夷」から「倒幕」に変わった2つの事件

関税自主権がないうえ治外法権を受け入れた開国は、丸腰で世界市場に放り出されることを意味した。だから、攘夷運動が起こった。

そうして、日本人にとって重要な出来事が、明治新政府の成立までの間に起こっている。

その1つは、リチャードソン・アクト(生麦事件)に怒った英国艦隊による薩摩藩への砲撃である。これを、日本の歴史教科書は「薩英戦争」と呼んでいるが、実際の戦闘は2日間だけだった。ただ、結果的に英国艦隊は予想外の損害を受け、日本人の高い防衛意識と戦闘能力を知る結果になった。また、逆に日本側は、欧米列強は逆らうと力で押してきて、これを打ち破るのは不可能だということを悟った。

続いてが、同じく「下関戦争」と呼ばれる英仏米欄の連合艦隊による長州藩への砲撃事件だ。このとき長州藩は、薩摩藩より手痛い打撃を被り、日本は欧米列強の手強さを思い知らされた。

この2つの事件後、薩長両藩は方針転換し、欧米列強の支配を受け入れ、その保護の下に新国家の建設を目指すことになった。これを主に指導したのが、英国であるのは言うまでない。攘夷は倒幕に変わったのだ。

■授業料を払って欧米の先生の指導を受ける

このような歴史認識は、日本の歴史の教科書を読むより、例えばヘレン・ミアーズの『アメリカの鏡・日本』を読めば明確に認識できる。日本は欧米を教師として、その生徒になることで、近代国家になる道を選んだのだ。

ただし、近代国家になるためには、高い授業料を払わなければならなかった。明治新政府は、欧米列強に高額な報酬を払って「お雇い外国人」を招き、その指導の下で改革を行った。これは、欧米列強にとっては一石二鳥の旨い話だった。

というのは、彼らの本来の目的は中国の権益を分ち合うことで、そのためのチェスの駒として日本を使えたからだ。

したがって、日本の授業料は、血の代償も伴った。それが日清戦争である。これは、いわば近代国家になるための最初の卒業試験だった。しかし、この試験に見事に日本は合格した。もちろん、この時期、ロシアとグレートゲームを繰り広げていた英国のサポートがあったからだが、それでも見事な出来映えだった。

■世界は「ロジック・オブ・イベンツ」(事実の論理)で動く

ここまで、日本がやれば、英国をはじめとする欧米列強も、忠実な生徒、つまり日本人という半植民地人に高校卒業程度の認定証を与えざるを得ない。

こうして1899年、治外法権は解消された。そして、英国は1902年、日本との間に同盟を結び、日本を初めて国家として承認したのである。

前記したように、国家は他国に国家として承認され、「対外主権」を持たない限り、国家ではない。したがって、ここを日本の独立としなければ、歴史認識を誤る。

ただし、日英同盟は、日本をチェスの駒としてロシアにぶつけるという英国の意図を内包していた。つまり、日本はもう1度、今度は大学卒業試験に合格しなければならなかった。それが日露戦争であり、ここでも日本は優秀な成績で合格した。こうして、1911年、日本は関税自主権を獲得し、不平等条約はすべてが解消されたのである。

ただし、この一連の過程で私たち日本人が学んだのは、欧米列強が、その主張の正当性とは違う行動様式を持っているということだった。彼らは、平和主義を唱え、通商の自由や自由競争、条約尊守を標榜するものの、実際はパワーゲームをして互いに争っているということである。

つまり、これは現実が理想に優先するという「ロジック・オブ・イベンツ」(事実の論理)であり、これもまた一種の「リーガル・フィクション」である。

■学んだことを実行してみたら戦争に負けた

いずれにせよ、こうして独立国家となった日本は、その後、欧米列強から習ったことを忠実に実行し、自身も近代帝国主義国家としての歴史を歩む。とくに、1921年、アメリカの圧力で日英同盟が解消されてからの日本の行動は、かつて欧米列強の生徒であったときとは違う、教師がいない孤独な戦いだった。

戦後史観では、満州事変、日華事変以後の日本の戦いは「侵略戦争」だったということになっているが、そんなことがあるわけがない。なぜなら、アジアには日本以外に国家などなかったからだ。

あったのは、欧米列強の半植民地国家か植民地だけだ。

しかし、ここを獲りにいったため、日本は欧米列強から手痛い反撃にあった。そして、列強の中の独伊と同盟したことが裏目に出て、太平洋戦争でアメリカの懲罰を受けた。

そして、1945年の敗戦によって、再び国家ではなくなったのだ。アメリカの占領政策は、日本が2度と国家して機能できなくすることであり、そのため、憲法に「戦力の不保持」が盛り込まれた。

それなのに、私たちは現在、日本を国家だと勘違いしている。敗戦から6年後、サンフランシスコ平和条約によって再独立したと教科書に書かれているから、そうだと思っている。しかし、それならば、なぜ、戦力を持たない国が集団的自衛権を行使できるのか?

じつは、サンフランシスコ平和条約も、日本の再独立を認めたものではない。(以下、次回記事に続く)

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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