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ウインブルドン予選レポート:急きょ駆け付けた兄のサポートを受け、西岡良仁、初の本選のステージへ!

内田暁フリーランスライター
兄の靖雄(左)と共に勝利を喜ぶ西岡良仁

○西岡良仁 76 (1), 46, 62, 63 Q・アリス●

「来てほしい」

弟の西岡良仁から、日本に居る兄の靖雄に連絡があったのは、ウインブルドン予選までさほど日のない頃だったといいます。これまでも、時おりサポートのため弟のツアーに帯同していた兄は、大学卒業と同時にツアーコーチの道を志し、先の全仏オープンにも勉強を兼ねて同行していました。しかし今回のウインブルドンは、もともとは行く予定はなし。そんな兄のもとに、突如かかる緊急招集。それは弟からの、SOSサインでもありました。

「精神的に、かなりヘコんでいて」

全仏後の精神状態を、西岡は素直にそう白状します。全仏前のチャレンジャーから早期敗退が重なり、ようやく調子が上がってきた全仏予選では、本戦入りを目前にして実力者のステパネクに敗退。気持ちを切りかえ挑んだハーレ大会でも、予選で股関節を痛めます。4月に入ってから出場した7大会で、初戦敗退は実に4回。

「勝負弱くなってしまった。テニス的にも良くない。前より弱くなったのでは……」

悩み、精神的にも落ち込むなかで、ふと思ったのが「なぜか兄が居る時は勝てる」ということ。

「けっこう、すがる形で来てもらいました」

八重歯をこぼし、照れくさそうに西岡は笑いました。

弟に急きょ呼び寄せられた靖雄は、「あくまで自分はサポート。テニスのことは、コーチの高田(充)さんがしっかり話されているので」と、必要以上に干渉することを良しとはしません。それでも、両親たちとも話しあい感じてきた“西岡家の末っ子”へのアドバイスは、家族を代表するかのように伝えてきたと言います。

その一つは、「今は、あるがままを受け入れていくしかない」という精神面での助言。

もう一つは「サービスの回転数をもう少し増やし、確率を上げていく」という技術面のアドバイス。

「伝えるだけは伝えて。それをどう感じるかは、良仁次第なので」

控え目な口調で、兄は言いました。

当の西岡も、兄に求めたのは「心のサポート」だと言います。それでも伝えられた家族からのアドバイスは、しっかり心に染み込んでいたようでした。

「負けたら負けたで、しかたない」

そう現状を受け止め挑んでいたからこそ、今回のウインブルドン予選では「不思議なくらい緊張しなかった」のだと言います。

また技術面でのアドバイスも、心のどこかで存在感を放っていたのでしょう。予選決勝では、ビッグサーバーのQ・アリス相手に思うようにリターンから攻められないなか、「コーナーに打ち分けられた」というサービスが勝利への鍵となりました。

「スピンを掛けて確率を上げて……というのは、親にも言われていたことだったので」

第1セットのタイブレークでは、3本のウイナーを奪ったサービスが趨勢を決しました。

第2セットは落とすも、第3セット以降はアングルショットを用いながら相手を動かす、西岡のテニスが芝でも存分に発揮されます。第4セットは第2ゲームをブレークすると、最後まで相手に一度もブレークポイントすら与えずに、一気に掛け込んだフィニッシュライン。勝利の瞬間の歓喜の表出がやや控えめだったのは、「マッチポイントでも、全然緊張しなかった」からかもしれません。

苦しい中でつかんだウインブルドン予選の3連勝は、全てのグランドスラム本戦出場を達成するものでもあります。

「芝は、得意とは思ってないけれど……」

そうは言いながらも、出るからには「一つでも多く勝ちたい」と、勝てる可能性の高い相手と初戦で当たるドローをのぞみました。

果たして決まった初戦の相手は、先のハーレ大会予選で当たったスタコフスキー。2週間前は兄不在の中で対戦し敗れた相手に、兄弟タッグでリベンジにのぞみます。

※テニス専門誌『スマッシュ』のfacebookより転載。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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