Yahoo!ニュース

別れと旅立ちのラストマッチーーテニス高校日本一の沖縄尚学ダブルスペアが、京都から歩み出すそれぞれの道

内田暁フリーランスライター
早稲田大に進学する下地(左)と、最上級生になる我那覇 写真提供:京都府テニス協会

旅立ちを胸に描く季節のためか、あるいは53年を誇る歴史と格式がそうさせるのか……? 

初春の京都で開催される全日本室内テニス選手権は、選手たちの別れの場となることの多い大会である。

今年は、全日本選手権ダブルス優勝者の久見香奈恵が、約13年におよぶプロキャリアに終止符を打った。

20年前には、WTAランキング27位に達した神尾米が、この大会を最後の戦いの舞台に選んでいる。

今年、この大会をある種の“ラストマッチ”とした選手に、ひと組の高校生が居る。昨年8月の全国高校総合体育大会(インターハイ)を制した沖縄尚学の下地奈緒(3年)と我那覇真子(2年)の二人にとって、先週末に閉幕した全日本室内が、高校生としてダブルスを組む最後の大会であった。

インターハイでの団体戦準優勝やダブルス優勝、さらにプロサーキットツアーのITF浜松大会でもベスト8に入るなど、下地と我那覇は、多くの勝利を高校生活の思い出に刻んできた。だがそんな二人をしても、今回の全日本室内に出られたことは、ちょっとしたボーナスだったようだ。

「出られるなんて思っていなかった」と二人は声を揃えたが、昨年の浜松等で稼いだポイントが当人の認識以上に高いランキングの礎となり、最終カットで本戦入りを果たす。期せずして得た“本当の卒業試合”を戦うため、既に卒業式も終えていた下地は、後輩の我那覇と共に、二人だけで京都を訪れた。

遠征で東京や大阪などを訪れる機会も多い二人だが、それでもまだ、沖縄県外……彼女たちの言葉を借りるなら「内地」の風には、どこか馴染めないという。駅の構内を、必死の形相で走る人たちが居る。電車がくれば、入る余地がないと思われる隙間に人波が押し寄せる。

「やっぱり沖縄がいいな……」

外に出るたび、そんな思いも重ねてきた。

その下地もこの4月からは、早稲田大学に進学し、東京での一人暮らしを始める。未来はまだまだ不確かだが、現時点では、卒業後は沖縄に戻り「地元のために働きたい」のだと言った。大学では社会学を専攻し、故郷を含めた日本社会の仕組みや歴史を学んでいく予定だ。

■敗戦の中で見た、新たな世界への希望と期待■

二人で挑んだ京都での最後の大会は、第3シードの梶谷桜舞/西本恵に1-6,2-6で敗れ、1回戦で幕を閉じた。

試合後の二人は落胆は隠せないながらも、「技術も体力も……全てが全然、自分たちとは違うレベルだった」と素直に相手を称え、差を認める。

「居るはずのない場所に、相手の選手は待ちかまえていたんです」

「普段戦っている相手だったら、絶対に決められないようなボレーを決められました!」

試合を振り返る二人の声は、悔しさ以上に、新たな世界を見られた喜びの色を帯びていくようだった。対戦相手の梶谷と西本は、いずれも大学テニス出身。下地にとっては、自分の未来を映す存在でもあるのだろう。

沖尚のキャプテンを務めた下地にとり、高校最後の1年間は、勝ち取った喜びと同じ重みの、責任を背負いながらの日々でもあった。

彼女たちの一つ上の世代は、インターハイ・ダブルスで優勝し、高校選抜の団体戦でも準優勝した強豪チーム。その時のメンバーには、彼女の姉も居た。

「大好きだった先輩たち」から受け継いだキャプテンのバトンには、責任感とプレッシャーが幾重にも絡みつく。3月生まれの下地は、年齢的には同級生たちの中で一番下。特にテニスの年齢別大会では、国際基準に則り、生まれ年を1月1日から12月31日で区切る。その意味では、彼女は同級生より一つ下の年代に属すが、それでもキャプテンの地位、そしてシングルス1の重責も任された。

「最後の1年は、いっぱい、いっぱいだった……」

自分自身のこと、チームのみんなのこと……さらには彼女の代では、複数の選手が様々な土地から集まっていたことも、考えを多少複雑化させた要因だ。

「内地」から生徒が来てくれることで、沖縄のことをより多くの人に広く知ってもらえる。そのことは、素直に嬉しい。ただ「沖縄の代表として」や、「沖縄の力を全国に示してやろう」といった、分かりやすい旗印は掲げにくくなる。

「いろんな人と知り合いになれるので、それは凄く嬉しいんですが……。」

「……難しいですよね」。

自分自身に問いかけるように、ぽつりぽつりと彼女はつぶやく。その問いは恐らく、テニスだけでなく、沖縄という土地で起きる種々の出来事に通底する命題だろう。そしてきっとこの先、彼女が東京の大学に行き、答えを探すテーマでもあるはずだ。

“高校生ペア”としての最後の試合を京都で終えたその翌日、二人は、文字通り別々の道を歩みはじめた。

我那覇は、飛行機で沖縄へ。高校に戻れば直ぐに期末テストが彼女を待ち、そしてその後は“奈緒先輩”から引き継いだキャプテンのバトンを手に、3月の高校選抜に向けチームをまとめる大仕事が控えている。

下地は、ラケットバッグと「引っ越し」の大荷物を抱えて、新幹線で東京に向かった。大学生としての新生活が始まるのはまだ先だが、その前に、早くも新入生の練習試合等が待っている。

全日本室内での試合に負けた時、下地は「大学に行ったら、こんなに強い人たちがたくさん居て、毎日一緒に練習したり試合ができる。そう思ったら、大学に行くのが凄く楽しみになりました」と笑顔をこぼした。

桜の開花を待たずして、新しい季節は、もう動き始めている。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

内田暁の最近の記事