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シリア和平協議「ジュネーブ3会議」と停戦がもたらした二つの「予期せぬ成果」

青山弘之東京外国語大学 教授
(写真:ロイター/アフロ)

米国とロシアの合意に基づきシリアで停戦が発効してから1ヶ月が経とうとしている。この間、ジュネーブ3会議が再開され、シリア政府、リヤド最高交渉委員会双方の代表団とスタファン・デミストゥラ・シリア問題担当国連特別代表の個別会談が続けられている。

シリア政府が大統領の地位をめぐる交渉と「テロリスト」との直接協議を拒否する一方、リヤド最高交渉委員会もアサド大統領の退陣を前提とする移行期統治機関の樹立を強く迫るなか、ジュネーブ3会議は当初の予想通り、目に見えるかたちでの進展を見ないまま、膠着状態に陥っている。

しかし、ジュネーブ3会議再開とそれに先行するかたちで実現した停戦は、シリア国内に二つの「予期せぬ成果」をもたらしている。

不可分な関係を織りなすアル=カーイダ系組織と「穏健な反体制派」

第1の「予期せぬ成果」は「反体制派」内の不協和音である。ここで言うカッコ付きの「反体制派」とは、シリアの紛争を「アサド政権、ダーイシュ(イスラーム国)、反体制派の三つ巴の対立」と位置づける通俗的構図のなかの「反体制派」を意味する。だが、その構成は、アサド政権の打倒と「シリア革命」の成就をめざす「民主化」勢力と同義ではない。

「反体制派」のなかには、「自由シリア軍」や「穏健な反体制派」と呼ばれる「民主化」勢力(とみなされる武装集団)もいるが、主導的立場にあるのはアル=カーイダ系組織・非アル=カーイダ系のイスラーム過激派で、実態は、前者が後者を従属させるかたちで反体制武装闘争を展開している。

「反体制派」を主導する主なイスラーム過激派としては、シリアにおけるアル=カーイダと位置づけられるシャームの民のヌスラ戦のほか、アル=カーイダ・メンバーが結成し、現在はアル=カーイダとの関係を否定するシャーム自由人イスラーム運動、非アル=カーイダ系のイスラーム軍、そして最近になってダーイシュとの関係が取りざたされるようになっているアル=カーイダ系のジュンド・アクサー機構がある。

このうち、シャーム自由人イスラーム運動、イスラーム軍は、ジュネーブ3会議に代表団を送っているリヤド最高交渉委員会に属しており、欧米諸国は「正当な反体制派」とみなすが、シリア政府、ロシアは「テロ組織」をみなしている。

2月27日に発効した停戦においては、「反体制派」を主導するヌスラ戦線はダーイシュとともに除外されている。にもかかわらず、シリア軍、ロシア軍が「反体制派」に対する軍事作戦を継続し、それを自己正当化できるのは、ヌスラ戦線とそれ以外の「反体制派」が不可分な関係を織りなしているからである。

ヌスラ戦線による第13師団の制圧

シリア人権ネットワークなどの反体制組織は、こうしたシリア、ロシア両軍の戦闘継続を「停戦違反」と断罪し続けているが、シリア国内の「反体制派」支配地域での反応はそう単純なものではない。

ヌスラ戦線が主導する連合組織のファトフ軍の支配下にあるイドリブ県のマアッラト・ヌウマーン市で3月11日、アサド政権の打倒を呼びかけるデモが発生した。だが、デモは、ヌスラ戦線の旗を掲げた若者が乱入し、参加者と小競り合いとなったことで中止を余儀なくされた。

抗議デモは、停戦発効以降、イドリブ県、ヒムス県、アレッポ県の「反体制派」支配地域で散発するようになっており、7日にも同様の衝突が発生していたが、今回の衝突は「反体制派」を構成するイスラーム過激派と「穏健な反体制派」の対立へと発展した。

マアッラト・ヌウマーン市を本拠地とする「穏健な反体制派」の第13師団が12日晩、市内のヌスラ戦線拠点やメンバーの自宅を襲撃すると、ヌスラ戦線はこれに直ちに対抗し、マアッラト・ヌウマーン市、ガドファ村などで第13師団と交戦し、これを制圧、メンバー多数を拘束、米国が供与したとされるTOW対戦車ミサイル、戦車、装甲車、中小火器、弾薬を捕獲した。

また13日になると、ヌスラ戦線は「穏健な反体制派」が優勢なアレッポ市西部郊外一帯に侵攻、アターリブ市に隣接するムハンディスィーン地区の第46連隊の拠点を制圧、武器・弾薬を捕獲した。

さらに、ジュンド・アクサー機構も、騒動に乗じるかたちでイドリブ県のヒーシュ村の第13師団の拠点、武器庫を襲撃し、同様にメンバーを拘束、武器弾薬を捕獲した。

対立を受け、マアッラト・ヌウマーン市では連日、ヌスラ戦線を非難するデモが連日行われ、13日のデモでは、参加者の一部が市内のヌスラ戦線本部を焼き討ちにした。

事態に対処するため、ヌスラ戦線は13日、第13師団との和解に向けた独立司法裁判所の設置を呼びかけ、第13師団もこれに応じた。これにより、ヌスラ戦線は拘束していた第13師団メンバーの一部を釈放した。だが、放逐された第13師団がマアッラト・ヌウマーン市での復権を許されることはなかった。

和解を呼びかける「穏健な反体制派」とイスラーム過激派

ヌスラ戦線と第13師団の対立をめぐっては、スルターン・ムラード旅団、シャーム戦線、第16師団、ヌールッディーン・ザンキー運動、シャーム軍団、イスラーム覚醒大隊、ムジャーヒディーン軍などアレッポ県で活動する「穏健な反体制派」とイスラーム過激派が相次いで声明を出し、両者の和解を呼びかけた。

ヌスラ戦線を除外するかたちで継続される停戦は、「反体制派」に、ヌスラ戦線と距離を置くことでシリア軍やロシア軍の攻撃を回避するか、ヌスラ戦線と共闘し続けることで軍事力を維持するか、という選択を迫るようになっている。ヌスラ戦線と第13師団の対立と、アレッポ県の「穏健な反体制派」の共同声明は、「反体制派」が相矛盾した選択肢を前に腐心するさまを示している。

ヌスラ戦線の側も事情は同じだ。ヌスラ戦線は18日、最高指導者アブー・ムハンマド・ジャウラーニー氏の名で声明を出し、「シリア革命」5周年に祝意を表明、「我々はシャームの民の一員だ。シャームは我々の一部だ。我々とシャーム、そしてその民を分かつのは、死のみだ」と主唱し、「穏健な反体制派」との共闘を呼びかけた。こうした姿勢は、「穏健な反体制派」との共闘なしには、シリア国内での活動基盤を維持できないとの危機感の表れだ。

「反体制派」は、ジュネーブ3会議における政治的立場を強めるためにも、停戦下で自らの勢力を維持、ないしは増大しなければならない。しかし、戦闘が収束したことで、内部に亀裂が生じ、そのことが彼ら自身の存在を揺るがす結果となっている。

PYDが「連邦制」樹立を主導

第2の「予期せぬ成果」は、クルド民族主義政党の民主統一党(PYD)が「連邦制」樹立に向けた動きを本格化させたことである。

3月16、17日、ハサカ県ルマイラーン市の旧バアス党施設で、西クルディスタン移行民政局主催のもと、「共存と諸人民の友愛のもとでの民主的連邦制シリア」会合が開催され、同民政局を主導するPYD、その傘下社会団体の民主連合運動(TEV-DEM)、アラブ人(部族)組織、キリスト教(アッシリア教、シリア正教、アルメニア教会)組織、チェルケス系住民、トルコマン系住民、民政局各地の代表、アレッポ市北部のシャフバー地区代表など31団体約200人が参加した。

2日にわたる審議の末、参加者は「ロジャヴァ・北シリア民主連邦」樹立宣言を採択し、シリア社会を構成するすべての民族・エスニック集団、社会集団の「平和と友愛」に基づく「民主連邦」を樹立する意思を表明した。また、連邦制樹立に向けて評議会を設置、共同代表2人と組織委員会31人を選出した。

ジュネーブ会議からの排除への対抗策

「ロジャヴァ・北シリア民主連邦」樹立宣言が、ジュネーブ3会議への参加を認められなかったPYDの対抗措置であることは明らかで、同様の動きは2012年のジュネーブ2会議の際にも見られた。

ジュネーブ2会議は、シリア政府とシリア国民連合(シリア革命反体制勢力国民連立)が行った初の直接協議で、シリア国民連合以外の「反体制派」は参加を認められなかった。このとき、PYDが対抗措置として行ったのが、暫定自治政体「西クルディスタン移行民政局」の樹立で、これによりPYDはシリア国内最大の反体制派としてのプレゼンスを誇示した。

今回は、リヤド最高交渉委員会、そしてこれを後援するサウジアラビア、トルコによって会議から排除されたのを逆手にとるかたちで、より恒久的・持続的なかたちの自治政体の樹立に動いたのである。

しかし「ロジャヴァ・北シリア民主連邦」樹立宣言はあくまでも宣言で、実体を得ているわけでない。しかも、この意思表明に対して、シリア国内の主要な当事者はこぞって異議を申し立てた。

シリア政府は、外務在外居住者省筋が「法的根拠はない」と一蹴、リヤド最高交渉委員会に参加するシリア国民連合も「国民の意思に反する独断専行」と批判した。さらに、国内で活動を続けるイスラーム過激派と「穏健な反体制派」も宣言を拒否、イドリブ県内の「反体制派」支配地域では抗議デモが発生した。

それだけでなく、反対の声は、米国・ロシア双方が後援するシリア民主評議会内部からも噴出した。シリア民主評議会は西クルディスタン移行期民政局人民防衛部隊(YPG)が主導するシリア民主軍の政治母体だが、その共同代表を務めるハイサム・マンナーア氏は「連邦樹立宣言をシリア民主評議会に押しつけることを拒否」すると表明、また評議会メンバーのアーミル・ハッルーシュ氏も「法律面、組織面、論理面において連邦制など何ら存在しない」と拒否した。

誰が得するのか?

関係当時国の反応も、「連邦制」に前向きな姿勢を示しているロシアと米国を除くと冷ややかだ。

両国はともにシリア国内でYPGを支援し、またジュネーブ3会議にPYDを参加させようと尽力してきた。それゆえ「ロジャヴァ・北シリア民主連邦」樹立宣言への好意的姿勢は、ジュネーブ3会議へのPYDの不参加の「見返り」だったも理解できる。しかし、シリアの紛争当事者の関係に着目すると、これによって、ジュネーブ3会議で「統一代表団」を構成するはずだったリヤド最高交渉委員会とそれ以外の反体制派、さらにはいわゆる「ロシア・リスト」に名を連ねるシリア民主評議会とPYDの対立が深化している。

「ロジャヴァ・北シリア民主連邦」樹立宣言は、シリア政府とPYDの戦略的関係もぎくしゃくさせ、また「ロシア・リスト」の分裂を招いたという点で、ロシアの対シリア政策の失点とみなすこともできる。だが、反体制派の対立が激化することで、相対的に地位を上昇させるののもまた、ロシアが支援するシリア政府だ。

その一方、「ロジャヴァ・北シリア民主連邦」樹立宣言をもっとも快く思わないトルコやサウジアラビアの反感を受けるのは、ロシアではなく、この両国の同盟国である米国なのである。

14日にヴラジミール・プーチン大統領が発表したシリア駐留ロシア空軍の主力部隊の撤退は、ジュネーブ3会議をめぐるアサド政権の拒否主義的な対応に対するロシアの不満の表れだと欧米諸国の一部メディアは解釈する。しかし「予期せぬ成果」によって得をしているのは、不仲がとりざたされるロシアとシリア政府なのである。

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本稿は、2016年3月中旬のシリア情勢を踏まえて執筆したものです。 主な記事は「旬刊シリア情勢」を参照ください。

東京外国語大学 教授

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院にて博士号取得。シリア地震被災者支援キャンペーン「サダーカ・イニシアチブ」(https://sites.google.com/view/sadaqainitiative70)代表。シリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。著書に『混迷するシリア』、『シリア情勢』、『膠着するシリア』、『ロシアとシリア』などがある。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。

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