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「胸のど真ん中にボカがある」、アルゼンチンの名門に魅せられた日本人が歩む異色の海外キャリア

浅野祐介OneNews編集長

中学時代にアルゼンチンへの短期留学を経験し、高校を卒業後、アルゼンチンに渡ってプロ選手となり、その後もJリーグでプレーすることなく、インド、タイと海外のリーグを渡り歩く異色のキャリアを重ねてきた加藤友介。2016年シーズン、タイでの5シーズン目を新たなチームでスタートした彼に話を聞いた。

――2012年、BECテロ・サーサナFCからタイでのプレーが始まりました。タイリーグでプレーするに至った経緯を教えてください。

本当に偶然というか、当時、契約をしていたジェブエンターテイメントがタイとのコネクションを持っていて、ちょうどインドのリーグが終わったのが5月くらいで、インドでのリーグ戦終了後、日本、JFLで体を動かしていて、チームを探してもらっていたタイミングだったのですが、エージェントがタイの話を持ってきてくれたのがきっかけです。

――当時、タイリーグへの印象はどんなものでしたか?

当時は何も知らなかったんです。周りの選手に、どういうリーグなのかというのも聞きましたし、ジェブエンターテイメントの選手だった財前宣之さんにも話を聞けたんですが、「なめていくと全然、通用しないリーグだよ」と。それで、あらためて気を引き締めたというか、頑張らないといけないなと考えさせられましたね。

――実際にプレーしてみて、タイリーグのレベルというのはいかがでしたか?

BECテロに僕が加入したのは、タイ・プレミアリーグのシーズン後期のタイミングでした。チームの順位も5位だったので、強豪チームと言われていましたね。周りのタイ人選手のレベルも高くて、試合も、そういう意味では楽でしたね。たいていの場合、相手よりチームが強かったので。僕個人としては、楽にプレーができる状態でした。

――コミュニケーションの部分は?

当時、スペイン人の選手が2人所属していて、英語圏の選手ではオーストラリア人とガーナ人選手がいたこともあって、タイ人とも英語で会話をしました。

――2015年に所属していたBB-CUは、日本人にはまだあまり知られていないクラブかと思いますが、どういうクラブか教えてください。

BB-CUは、ちょっと前まで……1990年代頃は今と名前が違っていて、チュラ・ユナイテッド時代はタイトルもたくさん獲得している、強豪クラブでした。今のオーナーが、おそらくタイで3本から5本の指に入るようなお金持ちで、サッカーに限らず、いろんなスポーツにお金をかけています。順位的には、タイ・プレミアリーグに上がったり、ディヴィジョン1に落ちたりといった感じで、自分がBECにいるときプレミアにいたんですが、一部に上がったり2部に下がったりというのがあったクラブですね。バンコクにあるクラブで、アジア枠は韓国人が多かったですけど、2015年シーズンは監督も日本人になって、日本人選手も2人になりました。

――オーナーが試合を見に来るケースも多いのですか?

テレビで見ることが多いようです。オーナーの指示があるときは、ナンバー2の方が現場に来て、という感じですね。

――クラブにとって加藤選手は“助っ人”という立場になりますが、外国籍選手の顔触れを教えてもらえますか?

2015年シーズンは、日本人選手が2人と、韓国の選手、ブラジルの選手、ナイジェリアの選手がそれぞれひとりずつです。

――監督が日本人という点で、やりやすさはありますか?

そうですね。やっぱり練習メニューなどは、タイ人の監督よりしっかり組んであったりしますし。

――高野剛監督はどんな監督ですか?

本当にプロフェッショナルな方ですね。自分が「こうする」と決めたことに、ブレない方です。

――失礼な質問かもしれませんが、加藤選手はタイに来てから1年ごとにクラブが変わっています。クラブを移る経緯について教えてもらえますか?

長く同じチームにいることがベストなのかもしれませんが、僕の場合、まずBECは「チームに残れなかった」ということがあります。それで、違うチームを探しました。ビッグクラブになるほど、毎年選手を変えるところがあって、その次のナコンラチャシマーFCは、残ろうと思えば残れたんですが、カテゴリーが落ちてしまい、昇格できなかった。そうでなければ残ったんですが、「やっぱりプレミアでやりたい」という気持ちがあったところに、プレミアのチームから話が来たので、サムットソンクラームFCに移りました。ただ、サムットソンクラームFCは3年目で、また降格してしまって、チームに残ることはできたんですが、「クラブにお金がない」と言われて……。2年契約だったんですが、「払えるお金がない」ということでクラブを去ることになりました。

――差し支えなければ、具体的には?

半分以下の額を提示されたので、「それなら違うチームを探します」となりました。自分の求めるところと、それを待ちきれなかったというのもありますけど……。2年目のチーム、ナコンラチャシマーFCは降格した翌シーズンにカテゴリーが下のところでチャンピオンになってプレミアに昇格したので、結果的には残ってもよかったんじゃないかという見方もできますが、当時の自分の「プレミアでやりたい」という気持ちに合わなかったので後悔はしていません。

――タイミングもありますしね。

ただ、タイでも同じチームで長くやれている選手は、そのチームで信頼を勝ち得ている選手だと思うので、それは素晴らしいことだと思います。

――今は代理人を立てずに契約やチーム探しなど、すべて自分自身で進めているそうですね。代理人を立てないことのメリット、デメリットはそれぞれあるかと思いますが、どういう狙いで、自分で進めることを選んだのですか?

タイでもう何年も経つので、クラブ側が僕のことを知ってくれているのと、実際のところ、エージェントをはさんで話をすることを嫌がるオーナー、クラブもあるんです。個人的に、そこにデメリットを感じることがあります。日本のエージェントだと、少し遠回りじゃないですけど、距離的にどうしても話が早く進まない分、話が流れてしまったりすることもあって、タイミングでトントンと決まることもありますから、自分一人でやるメリットはそこにあると感じています。エージェントがいるメリットとしては、契約の際に安心できる点や、途中で解雇されたときなんかに戦ってくれるというか、ジェブさんにお願いしていたときもクラブ側と交渉してくれたので、安心できたというのはありますね。

――シーズン後、帰国のタイミングも難しくなりますね。

そうですね。エージェントがいるから早く帰国してもいい、というのも微妙なところなんですが、やはり本人が現場にいるということが代理人を立てずに自分で進めることのメリットなので、日本に帰国するタイミングは難しいです。もちろん、エージェントがいることで生まれるものもあるので、メリットとデメリットは一概には言えないかもしれないですけどね。

――ピッチ外の点で、タイのクラブの印象はいかがですか?

オーナーが力を持っているクラブが多い、という印象です。「選手を切る」という判断を、仮に複数年で契約をしていたとしても、いつ何が起こるかわからないクラブが多いというか、監督でさえ、オーナーの言うことを聞かなけれすぐに切られてしまったり、選手も、2カ月分の給料さえ払えばすぐに切れてしまうっていうぐらいの印象ですね。そういう考えのオーナーは多いと思います。

――シーズン半ばの中断期間、前半戦と交換戦の間にも選手の入れ替えがあるようですね。

そうですね。シーズン全体を通してもそうですが、前半戦の終盤にもインパクトを残す必要があります。クラブもそこでアピールできた選手を残していくというのはありますね。

――2015年シーズンは36試合出場で14得点5アシスト、ご自身のプレーについてはどう評価していますか?

3試合に1点以上のペースで得点できたので、中盤でプレーしていてこの結果はまずまずかなと思います。二ケタは取りたかったので。周りにどれだけインパクトを与えられるか、「加藤がいいね」と言われるようなプレーをしないと生き残るのが難しいですから。

――1部リーグのタイ・プレミアリーグと2部リーグのディヴィジョン1との差、環境としての違いというのはありますか?

環境では、平均すると、ディヴィジョン1は落ちると思います。練習場所だったり、スタジアムやファンの数はプレミアのほうが上ですね。レベルもそうです。サッカーが違う、という感じです。J1とJ2のような、ちょっと戦い方が変わってくると思うんですが、それと似たような感じだと思います。

――サポーターについてはいかがですか? トップリーグとディヴィジョン1でも、地域密着という点ではあまり変わらないですか。

僕が2年前にいたナコンラチャシマーFCは、プレミアに上がったときは少し増えましたね。人気のあるチームはディヴィジョン1の時から変わらず、観客平均が1万人を超えるところもあります。

――タイではヨーロッパ、特にプレミアリーグの人気が高いと聞きました。実際、街を歩いていてもプレミアリーグのクラブのユニフォームを着ている方を見かけますね。

リヴァプール、アーセナル、マンチェスター・ユナイテッドなど、選手の間でもプレミアリーグのクラブは人気があります。アーセナルとマンチェスター・ユナイテッドの試合のときは僕のチームでもLINEのやりとりで盛り上がっていました(笑)。やはり注目度が高いですし、香川真司選手がマンチェスター・ユナイテッドに加入したとき、チームを出たときも反応が大きかったです。

――プレミアリーグに行きたいと考える選手も多いのですか?

直接聞いたことはありませんが、実際にリーガ・エスパニョーラでプレーしていた選手などは身近にいます。ただ、プレミアリーグでプレーしたいというより、「日本でプレーしたい」という選手のほうが、僕は多いと思います。

――日本人選手がタイでプレーしていることで影響を与えた部分もありますか?

それもあるかもしれないですね。もともと、ある程度、日本のサッカー、日本の代表選手が優れているというのをタイの方も知っていて、環境面なども、若いころにユースなどで日本に遠征している選手もいるので、タイの若手の選手では特に日本の、Jリーグに行きたいという声もあります。

――特に知名度の高いクラブ、選手は?

ACL(AFCチャンピオンズリーグ)の影響で、ガンバ大阪だったり、遠藤(保仁)選手。それから、ナショナルチーム、代表に入っていてタイに接点のある選手は知名度が高いですね。

「今年はチームとしての結果によりこだわっていきたい」

――練習も含め、タイでのプレー環境について教えてもらえますか。

監督によってガラッと変わってしまうんですが、運が良ければ外国人監督にあたって、ある程度きっちりした練習ができますね。暑さも厳しいですが、環境としては、練習場がしっかりしていないとか、スタジアム以外ではロッカールームがなくてベンチで着替えたり、といった環境も存在します。僕自身、Jリーグでの経験がないので比較は難しいのですが、一部のクラブを除き、「環境のレベル」は落ちると思います。

――外国人監督とタイ人の監督では違いがあると。

もちろん、タイ人の監督でも優秀な方はいらっしゃいますが、海外での経験がある外国人監督に比べるといろいろと難しいケースはあります。元タイ代表で、かなりお年を召した監督もいますし、練習時間が2時間半を超えたり、はたから見れば「なんでこんな練習をするんだ?」ということも実際にあります。そういったストレスというなどもしっかり消化する、自分でプラスに変えていくことをしないと、やっていけないリーグなのかなと感じますね。

――暑さや雨といった気候面の環境には慣れましたか?

暑さは、いまだに慣れないです。すごく汗をかくので毎日びっしょびしょですね(笑)。ただ、水分補給はまめにするようになりました。タイに来て最初の1年は脱水というか、よくつってしまうようになって、ある程度は慣れてきてはいるんでしょうけど、暑いなと思いながら過ごしています。湿気もすごいですしね。練習も基本は夕方からで、16時からとか、一番暑い時間をさけて行います。ディヴィジョン1もデーゲームはほとんどありません。ディヴィジョン2になると、ほぼデーゲームという場合もありますが。

――デーゲームが多くなる理由としては照明など設備の問題もありますね。

そうですね、予算の関係もあります。普段は18時や、19時キックオフの試合が多いですが、15時キックオフの試合とかはまいってしまいますね。やはり、暑いと動けなくなってしまいますから(苦笑)。

――アウェー戦の場合は前日入りが多いのですか?

一般的に、前入りはあまりないと思います。飛行機の関係もあって、チェンマイなら当日入ったりもします。でも、BBCUでは前泊して、試合後にすぐ帰ることが多かったです。それも監督のおかげですね。チームの上層部でなく、監督が決めてくれるので。

――BB-CU時代の練習スケジュールについて教えてください。週末の試合の翌日はオフですか?

試合翌日がオフでした。ただ、水曜に試合が入ると、オフではなくて、軽くリカバリーして、また日曜、次に水曜というふうに、リカバリーして次に軽く練習をして、また試合といったサイクルになります。1週間空く場合は、試合翌日はほとんどオフですね。

――こちらでのサイクルには慣れてきましたか?

2014年はタイ人の監督でして、タイの中でも、わりと無茶をする監督だったようで……もう、すごかったですね。負けたら、というか負け始めたらもっと練習をしないと、というタイプで、負けたらずっと二部練習、2時間半やって、また2時間半とやっていて、正直、「これじゃあ勝てないよな」と思いながらやっていました。

――日本の少し古い時代というか、昔の世代の意識に近いというか……ですね。

根性論というか、自分がこのやり方で監督を何十年もやってきたのだから間違いないという考えの人はわりと多いですね。サッカーが変わってきている中で、その方たちも少し変わっていく必要があるかなとは思います。ただ、全体的に若い監督にはなってきているので、今後、もっと面白くなっていくんじゃないかと思いますね。

――普段、一緒に、あるいは敵としてプレーしていて、タイ人選手のレベルはどう感じていますか?

プレミアとディヴィジョン1を比較すると、やっぱりプレミアの選手のほうが技術は高いですし、一番違うのは戦術理解ですね。プレミアの選手でも、Jリーグ、海外の選手よりはそこが最も劣っているところかなと。簡単な例で言えば、ディフェンスならチャレンジ&カバー、カバーリングの意識とか、ですね。ただ、戦術の部分は、今、どんどん上がってきているところだと思います。それ以外は、テクニックや体力の部分は他の外国人選手と比べても劣っていないんじゃないかなと感じます。

――外国人選手についてはいかがですか?

外国人選手でインパクトを残す選手は高さとパワーがある選手ですね。そういうところが違うのかなと。テクニックでめちゃくちゃすごいっていうのは、いるにはいますけど、そこまで多くないし、やっぱり速かったり、高かったりというのが目立ちますね。

――BB-CU FCを退団、新しいクラブ、ウドンタニFC入りが決まるまでのいきさつを教えてもらえますか?

BB-CU FCを退団することになった後、なかなか良いオファーがなく、プレミア(リーグ)、ディヴィジョン1に絞っていてもダメだなと思っていたときに、ウドンタニFCのトライアルの話をもらって、参加することに決めました。ウドンタニFCは新しいスタジアムも作っていて、ファンもホーム戦はいつも満員というクラブで、監督も、去年タイのU-23代表の監督をしていた有名なタイ人の監督を今年から就任させるなど、チームとして本気で上に行こうという姿勢があるチームだなと感じました。それが入団のきっかけです。

――ウドンタニFCでの抱負・意気込みを教えてください。

今年は必ずディヴィジョン1に昇格して、ウドンタニFCの躍進を一緒に経験したいです。個人の結果もそうですが、今年はチームとしての結果によりこだわっていきたいと思います。ファンの期待に応えられるように頑張ります。

ウドンタニFCの躍進に貢献したいと語る加藤選手
ウドンタニFCの躍進に貢献したいと語る加藤選手

タイはこれから可能性のある国

――ここからは加藤選手のキャリアを振り返らせてください。中学生の時にアンダーチームでアルゼンチンへ、CAウラカンのU-14チームに短期留学をしましたね。

はい、2カ月間だけ留学しました。中学2年の終わりだったかと思います。

――それは自分で行こうと決めて?

そうですね。中学のときのチームが練習もしっかりしないところで、中学校の部活でしたし、人数も少なくて、雨や雪の日は5人くらいしか練習に来ない。「ここにいたら自分が終わっちゃうな」って思って、親にお願いをして、「上っていうのはどんなものなのか?」って考えていたので、生意気なことに、自分が井の中の蛙という気もしていたので(笑)。

――最初からアルゼンチンと決めていたのですか?

僕自身は海外という考えではなかったんです。でも、親が「それなら好きなところに行ってみたら」と言ってくれて、それは本当に恵まれていましたね。最初は、やっぱりカズ選手の存在もありましたし、ブラジルかなと考えたのですが、ネットや雑誌でいろいろ調べてみて、海外留学の手伝いをしてくれる会社に連絡を取りました。その会社の担当の亘さんという方と話をしていたら、「ブラジルもいいけど、おすすめはアルゼンチンですね」と言われて、「スペイン語だし、治安の面でもブラジルよりは安全だよ」と。そのとき、親も一緒に話を聞いていたので、「じゃあアルゼンチンにしなよ」となって、その会社に勤めていた方が、一緒にアルゼンチンまでついてきてくれて、2カ月間ずっとお世話になりました。現地のサッカーを見て、ボンボネーラでボカ(ジュニアーズ)の試合も見たんですけど、衝撃でしたね。僕は大阪出身なので、それまでサッカー観戦といえばガンバ大阪の試合を見に行ったくらいだったので、試合もそうですけど、応援の仕方とかスタジアムの雰囲気とか、「これがサッカーか」って。こんなところでサッカーをしてみたいっていう気持ちが生まれて、亘さんにも「高校は出ます。でも、その後はアルゼンチンで試してみたいです」って話をしていたんです、ずっと。高校はとりあえず出ないと親も心配するし、というのもありましたから。

――アルゼンチンに行ったことで、加藤選手の世界観というか、サッカー観が決まったんですね。

はい、180度変わったというか、サッカーってこんなにすごいのか、これがサッカーなのかって!

――最初は中学の短期留学。高校卒業後にまたアルゼンチンに行って、言葉やコミュニケーションの面はどうしたのですか?

中田(英寿)選手は言葉を覚えてから海外に行ったという話を聞いたことがありますけど、僕はそこまで準備はしていなくて、生活の中で、向こうで実際に生活する中で覚えたという感じです。最初のうちは練習で話しかけられても何を言われたかわからなかったので、辞書を持って行って、帰ってから「今日、何か言われたな、これかな」っていうふうに調べて。あとは、学生ビザだったので、語学学校に通っていて、そこでだいぶ覚えましたね。最初はちんぷんかんぷんでした(笑)。

――生活面でも相当の変化があったと思います。

高校卒業後に行ったときは、自分でもどうかしてた、じゃないですけど(笑)、本当にサッカーのことしか考えていなくて、他のことはなにも苦にならなかったです。ここにサッカーがあって、自分はここでやっていくしかないという感じでした。暇があればボールを蹴ってばかりでしたし、サッカーだけに集中していました。

――アルゼンチンでのサッカー生活。今振り返ってみて、こういうところがすごかったなというところがあれば教えてください。

21歳になるまでは、ユースチームのメンバーとして登録していたんですが、4軍から8軍、9軍まであって、中学の短期留学の時は9軍でした。高校卒業後は5軍から始まって、4軍から2軍に飛んで、ただ、4軍とか8軍とか関係なく、練習プログラムはほとんど一緒なんです。ユースでも、プロみたいなサイクルになっているんですね。もちろんリーグ戦もありますし、土曜に試合なら日曜がオフ、月曜は300m、400mを8本、10本といった感じで素走りをやったり、火曜はダッシュ系のメニュー、水・木・金でボールを使ったメニューというようなサイクルです。月曜か火曜のどちらかに筋トレは絶対入っていましたし、週初めですね。それをユースのころからからずっとやっていたので、そういった徹底された部分はすごいなと思いましたね。ユースの選手がトップに上がっても、クオリティが違うだけで、やっていることは同じこと。本当に徹底されていました。

――チームのスタイル、戦術的なところも同じになるんですか?

トップチームは監督の色が少し出ますし、ユースも監督はもちろん違う監督がそれぞれいるので、それぞれの色が少しずつは出るんですけど、練習形態や戦術の基本的なところはほとんど変わらなかったですね。

――アルゼンチンでやってみて、サッカーの土壌というか、スタイル的なところで自分に合っていると感じましたか?

素走りの多かったところなど含め、合っているかなと感じましたね。今はボールを使うことが主流なので、素走りとかは好きな選手も少ないと思いますが、今思うと素走りをやっていた頃のほうが体は軽かったんじゃないのかなと感じます。嫌だったけど、頑張ってやっていたら、体の軽さにつながっていたような気がします。

――食生活はいかがでしたか?

もう、「肉」ですね(笑)。めっちゃ、肉を食べます。あとはパスタ。米はあまり食べないです。米を僕ら日本人みたいに食べたことはないんじゃないかな。米もパサパサした米で、水で少し炊いて、サラダとして食べるような感じです。

――アルゼンチン人のサッカーへの情熱はどういう印象でしたか?

とにかく、すごかったですね。すべてにおいて「サッカーに本気」という感じです。あとは、みんな負けず嫌い。たとえばトランプで遊んでいても、勝つための執念が違いますし(笑)。ゲームでも本当にキレたりするし、ハングリー精神もすごい。「自分はサッカーで食っていくんだ」っていうものが、小さいころから育まれているのだと思います。ユースでも、8軍から9軍に上がるときに切られるんですけど、そこでふるいにかけられて上に上がっていくので、自分は厳しい環境で戦っている、そこで育まれる“情熱”というのはありますね。ファンの方も、情熱が本当にすごいですし。

――試合でのサポーターの雰囲気も尋常じゃないですね。

ブラジルとかもすごいですよね。ただ、スタジアムの雰囲気やゴールが決まったときの感じは、アルゼンチンが世界一だと思いますね。これ以上ないだろって。

――本当に、サッカーに懸けている、愛するクラブを命がけで支えているという感じが伝わっていますね。

たとえば、自分の応援しているチームが「降格しただけ」じゃないですか。もちろん、「それだけ」のことじゃないんですけど、それで自殺する人がいるっていうのは信じられないです。チームの調子が悪い状態、試合に勝てなくなってくると、サポーターのボスのような人が練習に来ますから。脅しじゃないですけど、「お前らわかってるのか?」って。本当に一緒に戦っている感じですね。

――本当に「運命共同体」という感じなんでしょうね。タイのサポーターはどのような応援の仕方なんですか?

エンターテインメントを楽しみに来ているという感じですね。でもブリーラム(ユナイテッド)とかムアントン(ユナイテッド)なんかは、人に聞いた話ですが、ある一定の方には応援団としてお金をしっかりと払ってやってもらっているようです。アルゼンチンも、払っているところはあるようで、しっかり頑張ってもらえるように支払おうという文化もあるみたいですね。応援は応援としてちゃんとやっていますが、タイ人は、そこまでずっと応援している人ばかりではないので、メインスタンドでビールを飲みながらゆっくり試合を見たり、という人もいますね。ゴールの瞬間、ゴールの前のチャンスのシーンは「ワーッ!」と盛り上がりますけど、それ以外の、文化によって違うのかもしれませんが、もしアルゼンチンだったら誰かがものすごい股抜きをしたらスタンディングオベーションが起きたりしますが、タイにはまだそれがないかな、と。今はエンターテインメントとして、ですね。ただ、これから可能性のある国かもしれません。

いつかボカと真剣勝負をしたい

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――タイでの生活の話に戻りますが、食事や気候といった環境面は慣れました?

タイはあまり海外っぽくない印象です。僕はタイのほかにも、ルーマニアやインドにもテストなんかでしばらく住んでいたことがあるんですが、あとは東南アジアとかにも、そういう過去に生活した国と比べてみても、ここまで日本の文化が入ってきている国は珍しいですし、進んでいるというか、建物もしっかりしていて、特にバンコクは都会ですね。日本人にとって、これ以上住みやすい海外ってあるのかな、と思います。ハワイやアメリカもそうかもしれないですけど、日本人が住む上ではタイはまったく困らないですね。バンコクとかでは日本語もかなり通じますし、それってすごいなと思います。日本料理のお店も星の数ほどあるので。

――奥様もこちらで一緒に生活されているんですね。

本当に支えになっています。練習から帰ってきてバランスの良い食事が出てくるっていうのも、選手として本当に助かります。

――サッカーに関して、アドバイスとか、意見をもらうことは?

そんなには多くないです。ホームの試合は毎回見に来てくれるんですが、結構ダメ出しされて(笑)。「なんか、今日いっぱいボール取られてたよ」とか(笑)。そういうときは、「ああ、そう?」ってごまかします(笑)。でも、妻もサッカーをたくさん見てきたわけではないので詳しいことはわからないと思いますけど、パッと見た感じで「今日はまあまあ良かったんじゃない」って言われると、「サッカーをあまり知らない人にもよく映ったんだ」っていうのがわかったりしますからありがたいですね。わかっている人にはわかるプレーと、そうでないものがあって、「今日のプレーはいいと思ったんだな」と、そういう意味では“新しい視点”かなと思います。

――そのくらいのバランスがいいのかもしれないですね。詳しく深い内容でダメ出しされるよりは(笑)。

そうですね(笑)。へこんでしまいそうです。「たしかに……」って深く考えてしまいますし(笑)。

――日本人選手同士のコネクションはいかがですか?

地方に行くと、全然あったことのない選手も多いですし、カテゴリーが違うと対戦しないので接点がない選手も多くなってきます。ただ、僕も5年近くタイにいるので知り合いは増えてきましたね。

――海外での生活のほうが長くなりつつありますね。

20歳を前に日本を出ているので、10年近く……長いですね(笑)。その間に、そんなに日本に帰っていないので、そう思えばそうですね。

――知らない間に日本は進んでいるかもしれないですね(笑)。

インターネットでちょこちょこ調べたりはしているんですけど、音楽の面でも完全に置いていかれてますね(苦笑)。たぶんカラオケに行ってもダメなんじゃないかな。漫画は、まだこっちでも触れる機会があるんですよ。少し遅れてですけど、伊勢丹とかで買えたりします。自分は『ワンピース』も好きなので、ジャンプも売っていますし。小説も伊勢丹の紀伊国屋で買えるんです。日本のもので求めるものは何でもあるから、ないものを探すほうが難しい感じです。

――では、最後に、今後のビジョン、サッカー選手としての夢を教えてください。

僕の夢は、今はアジアでプレーしているので、ACLに出たいというのがあります。その先はクラブ・ワールドカップになってくると思います。やっぱり、僕の中で、アルゼンチンのボカ(ジュニアーズ)というのがあって、いつかボカと対戦したいですね。どんな形でもいいので、ボカと真剣勝負をしたいという想いがあります。じゃあ僕がまたアルゼンチンに行くのかとか、違うチームでボカとの親善試合があるのかとか、形は色々あるかもしれませんし、まだ自分の中で具体的にはイメージできていませんが、いつかは対戦したい。アジアでやっているならACLはずっと目標にしています。そして、やっぱり、いつかはボカと真剣勝負をしたいです。

――理想はボンボネーラですか。

そうですね。理想もハードルも高いことですが、仮に選手じゃなくても、どんな形でもボンボネーラに戻りたいという気持ちもあります。僕は2軍でしかプレーできていないので。

――いろんな意味で、加藤選手にとって、ボカがもたらしたものはとても大きいんですね。

“胸のど真ん中”に入ってきたものです。いつか、ボンボネーラでプレーしたいです。

OneNews編集長

編集者/KKベストセラーズで『Street JACK』などファッション誌の編集者として活動し、その後、株式会社フロムワンで雑誌『ワールドサッカーキング』、Webメディア『サッカーキング』 編集長を務めた。現在は株式会社KADOKAWAに所属。『ウォーカープラス』編集長を卒業後、動画の領域でウォーカー、レタスクラブ、ザテレビジョン、ダ・ヴィンチを担当。2022年3月に無料のプレスリリース配信サービス「PressWalker」をスタートし、同年9月、「OneNews」創刊編集長に就任。

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