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「風立ちぬ」登場人物と鳥人間コンテスト。本庄季郎の戦後

dragonerWebライター(石動竜仁)
「風立ちぬ」登場人物、本庄季郎が設計した自転車十字号(写真提供:トヨタ博物館)

明日9月4日、”第36回鳥人間コンテスト2013”の模様が読売テレビ系列で放映されます。

1977年に始まった鳥人間コンテストも今年で36回目となる歴史ある大会になりましたが、その記念すべき第1回大会で、先日長編映画制作からの引退を表明した宮崎駿監督の「風立ちぬ」の登場人物が大きな役割を果たし、その後の鳥人間コンテストの方向性を決定づけたのをご存知でしょうか?

主人公堀越二郎の良きライバル?

「風立ちぬ」をご覧になった方は主人公、堀越二郎の東大生時代から三菱内燃機製造(現在の三菱重工業)時代まで、ずっと一緒にいた「本庄」という男性を覚えているでしょうか? 彼のモデルは本庄季郎という実在の航空機設計者で、劇中では堀越二郎と同期の良きライバルとして描かれていますが、実在の彼は堀越より1期上の先輩にあたる人で、同期ライバルという設定はあくまで映画の脚色です。

本庄は劇中でも登場した九六式陸上攻撃機、一式陸上攻撃機を設計し、両機はマレー沖海戦でイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、巡洋戦艦レパルスを撃沈し、水上艦に対する航空機の優越性を示した革新的な成果を挙げました。そんな華々しい実績を持っていた本庄ですが、日本の敗戦により航空機の製造開発が禁止されると、その活躍の場が無くなる……かに見えました。

航空機用資材を使って自転車の設計

日本の敗戦により、航空機の製造開発が禁止されると、日本の航空機メーカーは苦境に陥ります。この頃、多くの航空技術者が航空機から別の産業へと移り、戦後の自動車産業や鉄道産業の発展に貢献することになるのですが、そんな逆境の中、本庄は三菱重工業に残り続け、会社を存続させるべく民間向け商品の開発を行います。そこで本庄が設計したのが、ジュラルミン(アルミ合金)製の自転車、「十字号」でした。

三菱十字号(写真提供:トヨタ博物館)
三菱十字号(写真提供:トヨタ博物館)

十字号は航空機の製造禁止により、大量に在庫を抱えた航空機用資材を平和利用すべく、三菱重工業津機器製作所で製造されていた自転車です。零戦などでも使われた超々ジュラルミン(7075アルミ合金)等が十字型のフレームに用いられた他、リベットを用いて接合されるなど、「風立ちぬ」劇中でも見られた航空機製造技術の応用が多々見られる、他に例の無い自転車でした。1940年代にアルミフレームの自転車を作ったことは、革新的と言えるかもしれません。十字号は1型から4型まで製作され、新聞広告も出されるなど、民需に転換した三菱重工業の顔とも言える製品となりました。

第1回鳥人間コンテスト優勝機の設計

その後、三菱重工業は会社分割を経て、1964年に再び三菱重工業に統合され、本庄は最終的に三菱重工業顧問となり退職します。しかし、第一線を退いた後も航空機への情熱は失われていなかったようです。

1977年、第1回鳥人間コンテストが開催される事となります。鳥人間コンテストは「びっくり日本新記録」というバラエティ番組の企画として始まったもので、イギリスで行われていたBirdman Rarryに影響を受けていました。第1回は滑空機部門のみで、本家Birdman Rarryと同じ様に、バラエティ要素の強い仮装・一発芸的な機体も多く見られ、多くの機体が50メートルに届かずに着水していました。

そんなお遊びムードの中、本庄の設計した滑空機が登場します。アルミパイプを多用した機体は、他の出場者のハングライダー型機とは異質の存在で制作費は100万円。操縦者はグライダーの国際大会にも出場した岡良樹氏と、本気度が他の出場者とは別次元です。この機体は滑空時間10秒、飛行距離82.44mの大記録を叩き出し、2位以下に30メートルの差をつけて圧勝しました。なお、設計者がテレビでクレジットされた時、コンテスト解説者の木村秀政日本大学名誉教授が「私の大先輩です」と述べています。ちなみに、木村名誉教授は、史実の堀越二郎の東大同期です。

以降、30年以上に渡り鳥人間コンテストは開催され、昨年の滑空機部門では501.38メートルを記録し、第10回から加わった人力プロペラ機部門では2008年に36,000メートルの大記録が出るなど、「本気」のチームによる記録の塗替え競争が過熱しています。鳥人間コンテストは世界中にありますが、ここまで大記録を目指そうとするものは他にありません。

当初はお遊びみたいにやろうとしてた鳥人間コンテストに、本気で乗り込んで大記録を残した本庄が、その後のコンテストの方向性を決定づけたインパクトを与えたと言えるのではないでしょうか。

ちなみに、劇中では寡黙な堀越と異なり、ハッキリと物を言う常識人として描かれている本庄ですが、戦後に自衛隊教官が本庄に会う機会があり、戦時中に一式陸上攻撃機に乗ってたと話すと、「え? あれに乗られてたって? あれは良かったでしょう、良かったでしょう」と言われて、教官が閉口したという話が残っています。鳥人間コンテストに本気で乗り込んだ事といい、堀越に負けず劣らずの個性的な人だったようです。

※この記事はブログ記事、”dragoner.ねっと: 「風立ちぬ」と鳥人間コンテスト。本庄季郎の戦後”を、Yahoo!ニュース個人向けに改編したものです。

Webライター(石動竜仁)

dragoner、あるいは石動竜仁と名乗る。新旧の防衛・軍事ネタを中心に、ネットやサブカルチャーといった分野でも記事を執筆中。最近は自然問題にも興味を持ち、見習い猟師中。

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