Yahoo!ニュース

地震にまつわる神様を知っていますか? 一度、お詣りしてはどうでしょう。

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
三重県伊賀市の大村神社

要石で有名な鹿島神宮と香取神宮

茨木県鹿島市にある鹿島神宮と千葉県香取市にある香取神宮には、要石があります。鹿島神宮と香取神宮の要石が、それぞれ大鯰の頭と尾を押さえる杭だと言われていて、鹿島神宮の要石は凹型、香取神宮の要石は凸型の形をしています。鹿島神宮では地震・災難除けの要石守を頂くことができます。香取神宮でも「要石」という字が入った災難除けのお守りを頂くことができます。両神宮の神様が出雲に出かけて留守になる神無月(かんなづき)に大きな地震が起きるということで、1854年安政江戸地震のときには、大鯰と要石を描いた瓦版やお札が人気を集めたそうです。

官幣大社にも列せられる由緒正しい神宮

鹿島神宮と香取神宮は、ともに平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社の名神大社で、それぞれ、常陸国一宮、下総国一宮でもある由緒正しい神社です。ちなみに、延喜式で「神宮」と記されたのは伊勢神宮と両神宮だけで、藤原家の氏神の春日大社に鹿島神宮と香取神宮の祭神が祀られていることもあり、別格の扱いになっているのかもしれません。また、両神宮は、茨木県の息栖神社とともに東国三社の一社になっています。さらに、一年の最初に天皇が宮中で行う儀式の「四方拝」で拝する四方の神々や天皇陵の一つにもなっています。

ちなみに、四方拝の対象となっているのは、伊勢神宮、天神地祇(天津神・国津神の総称)、神武天皇陵、伏見桃山陵(明治天皇)、多摩陵(大正天皇)、武蔵野陵(昭和天皇)、氷川神社(武蔵国一宮)、賀茂別雷神社と賀茂御祖神社(いずれも山城国一宮)、石清水八幡宮、熱田神宮、鹿島神宮(常陸国一宮)、香取神宮(下総国一宮)です。ちなみに、三種の神器の八咫鏡(やたのかがみ)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)、や八尺瓊勾玉(さかにのまがたま)は、それぞれ、伊勢神宮、熱田神宮、皇居吹上御所にあるとされており、石清水八幡宮は伊勢神宮と共に二所宗廟(にしょそうびょう、皇室が先祖に対して祭祀を行う二つの廟)の一つになっています。

鹿島神宮と香取神宮は大和朝廷が支配する地域の東端に位置し、蝦夷に対峙する重要拠点だったようです。また、両神宮の祭神は、武甕槌神(たけみかづちのかみ)と、経津主神(ふつぬしのかみ)で、日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する神様です。そのこともあって、武芸の神様として、色々な武道の道場などに両神様の掛け軸がかけられているようです。

鹿島神宮・香取神宮とご縁のある大村神社

三重県伊賀市にも要石のある神社・大村神社があります。大村神社も延喜式神名帳に記された由緒ある式内社で、小社として位置づけられています。調べてみると、この神社は、春日大社や鹿島神宮、香取神宮と深い関係があるようです。

春日大社は中臣氏(後の藤原氏)の氏神を祀った奈良県奈良市にある式内社・名神大社ですが、その祭神は、鹿島神宮の武甕槌命、香取神宮の経津主命、藤原氏の祖神の天児屋根命、天児屋根命の妻の比売神の4神です。その祭神の武甕槌命と経津主命が、768年に鹿島神宮と香取神宮から春日大社のある三笠山に遷幸した際に、休息を取ったのが大村神社で、その際に「要石」を奉鎮したことに由来があるようです。このため、大村神社では、大村神・息速別命(いこはやわけのみこと)を主神としつつ、春日大社の武甕槌命・経津主命・天児屋根命を配祀神として祀っているようです。大村神社では、鯰の絵馬や可愛い鯰のお守りを頂くことができます。

伊賀市のお隣の名張市には名居神社という式内社があります。「なゐ」は地震を意味することから、地震の神を祀る伊賀国の神社だったのではないかという説もあるようです。

明応地震の津波で流されて漂着したご神体を祀る細江神社

細江神社は、浜松市北区細江町にある神社です。この神社は、元は浜名湖入口の守護神として鎮座していた角避比古神社(つのさくひこじんじゃ)との関わりで地震に関わる神様と言われています。角避比古神社は名神大社にも列せられた式内社でしたが、明応7年8月25日(ユリウス暦1498年9月11日、グレゴリオ暦1498年9月20日)に起きた明応地震で津波によって流出しました。細江町の赤池の里に漂着した御神璽を、仮宮で奉祭していたようですが、1510年に新しく社殿を作ったようです。細江神社でも地震除けの絵馬やお守りを頂くことができます。

明応地震は、南海トラフ地震の一つと言われている地震で、大きな津波を伴ったようです。浜名湖と太平洋との間の砂州が切れて「今切」ができたとか、当時の三津の一つ安濃津(三重県津市)が津波で大きな被害を受けたとか言われていますが、余り定かではありません。鎌倉の大仏の大仏殿もこの地震の津波で流されたとの説もありましたが、最近では直前に発生した1495年の地震との関わりが指摘されており、大仏殿ではなく他の堂舎屋が流されたとも考えられています。

地震の神様を通して、古事記や日本書紀に現れる神々にも親近感を感じます。皆様も、一度これら地震の神様を訪れては如何でしょうか。私も一通りお参りしてお守りを頂き、我が家の神棚に地震除けの御神札をお祀りしています。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

福和伸夫の最近の記事